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校舎内の禁足地 十二【了】

 コンクリートに固められた木箱は想像していたよりもずっと小さく、大人は勿論、低学年の子供でないと入らない様なサイズだった。傷を付けない様慎重に周りのコンクリートを砕き、三人がかりで床から運び出す。
コトッ
と軽い音がするくらい箱には重みが無く、これに本当に人が入っているとは誰も信じられなかった。
 まじないなのか、無地の白い紙が一面に貼られ、漢字と模様の書かれた札が蓋の上下左右を閉める様に貼られている。大分かすれてしまっているが、鎹(かすがい)や楔(くさび)、封といった文字がかろうじて読み取れる。蓋は閂で閉じられてはいるが、仕組みは至ってシンプルであり、三本の木材を横に通しているだけの物。やはり人柱として埋められていたのは間違いない様だ。これを開けるのかとの恐怖もあるが、人柱という物自体への怒りややるせなさも同時に感じており、それはここにいる誰しもが同じだった。
 宮司が祝詞を唱え大幣を振り、札を剥がす準備を整えていく。
 ふと細目で宮司を見ると、異常なまでの汗をかいているのが見えた。外から流れ込んでくる熱気と着用している衣装のせいもあるだろうが、それにしても今にも倒れんばかりの異常な汗だ。
 儀式が終わったのを見計らって小さく聞いた。するとこんな答えが返ってきた。
「すみません……そこら中から視線を感じるものでして……それも一人二人でなく、何十といる様な気がするのです……後出しにして恐縮なのですが、この学校の敷地内に入った時から見られている様な気がしておりました。見張られている、と言った方がより近いかもしれません」
 そう答えられ思わず教室をぐるっと見渡しても、子供一人見当たらない。私を含め話を聞いていた他の面々も分からないという顔をしていたが、長住さんだけはそうではなかったようだ。
「私達が本当に解放してくれるのか気になるんですよ。信頼に足る人間なのか、そうじゃないのか……じゃあ、開けますよ……長い事待たせちゃってごめんね」
 札に指を掛けた瞬間、全員が唾を飲み込んだ。いつ、何が起きてもおかしくはないと皆の緊張が高まっていく。
 ペリ……ペリ……とあって無い様な粘着を剥がしていく。いとも簡単に札を剥がし終わると、次は閂を抜いていく。コンクリートの欠片が隙間に挟まっていて少し難航したが、それでも15分とかからなかった。取り外されたお札も閂も真っ白な布に包まれ、教卓の上に静かに置かれた。

 そして、長住さんが蓋に手を掛けたその瞬間だった。

 フッ、と教室が一瞬で暗闇に包まれた。驚いて窓を見ると、凄まじい勢いの黒く濁った水が割れんばかりに窓を叩きつけ、振り返った先の廊下では同じく黒々とした水が蛍光灯までも土砂と共に飲み込んでいた。加えて濁流然とした爆音が教室を揺らし、外の音はおろか誰の声も聞こえない程だ。辛うじて中が見えるのは開けられた窓から差し込む光のおかげだが、それも水の勢いによってゆっくりと、しかし一枚一枚確実に閉められていく。
 初めに動いたのは菊池君だった。一目散に窓に駆け寄ると指をねじ込んで強引に押さえつけた。閉められる力が強いのか留めるのが精いっぱいの様子だ。次に走ったのは私で、続けて残り作業員が窓に向かって走り出した。
 恐らくあの窓が閉じ切れば私達の命は無い。直感がそう教えていた。
 私は窓を押さえつつも、長住さんの動向を見逃すまいとして、顔だけはそちらを向けていた。
 長住さんは酷く狼狽していたが、私達が窓に着いたのを確認し蓋を開いた。
 その中には薄汚れた白い着物を着て、手足を縛られ折りたたまれた状態で木乃伊と化している少女が入っていた。
 生きたまま入れられてしまったのだろう、どうにかこじ開けようと必死に藻掻き苦しみ、唯一動かせる首を曲げて板を噛んで開けようとしたが叶わず、悲しみと怨嗟に大きく捻じ曲がった顔があった。それは長住さんが見たと言うあの少女の霊そのものだった。
 突然横から濁流の音に交じり
「ひいぃぃぃ」
 と叫び声が聞こえた。声の方を向くと作業員の足元が黒く濡れ、足が沈んでいくのが目に入った。加えてよく見ればその沼の表面が無数の指の様にぬらぬらと蠢き、作業員の足を引っ張りこもうとしていた。 沼に気を取られた作業員は窓に力を入れられず、閉まる窓に指を挟まれてしまい、痛みに手を離してしまった。その瞬間彼の周辺が一気に闇に包まれた。最早彼の声も姿もどこにもない。
 更に沼はどんどん教室の床を侵食し私達の方へと向かってくる。
 私は長住さんの方を見た。彼女はその少女を箱から抱きかかえ上げている所だった。「急いで」と叫ぼうとしたが、それは憚られた。
 何故なら、そこには家族の縁などを遥かに超えた慈愛の表情があったからだ。

 まるで花園に寝そべる夫婦、眠る我が子を慈しむ母、言葉にせずとも分かり合える兄弟の絆、そのどれとも取れない深い愛があった。
 彼女は少女の顔に優しく触れた。そして顔を近づけ
「────────」
 何かを優しく囁いた。

 私は言葉を失った。彼女が手を離すと少女の顔が穏やかなものになっていたからだ。全く水分の無くなった筈の木乃伊の顔が変わるなど、数多ある蒐集譚の中でも聞いた事が無い。
 あれが本来の少女の顔なのだ。優しくて可愛らしく整った顔。
 私は全てが元に戻った、歪みは正されたのだと確信した。

 長住さんが少女を再度抱きかかえると、濁流の音と黒い水、腐ったドブの匂いが少しずつ消えていき、完全にそれらが消え去ると、また蒸し暑い空気と突き刺す様な陽の光が教室へと入り込んだ。少しして
 バシャッ
 と、水の跳ねる音が遠くの廊下から聞こえてきた。
 私は立ち上がって廊下へ出ると、そこにはつい先程水に飲まれた筈の作業員が倒れていた。
 それも無数の死体のすぐ傍にだ。数種類の学生服、幾つもの上履き。奥の方には赤い上履きが水溜まりに浮いていた。

 この日の午後、倒れていた作業員が病院へと運ばれると、列を為したパトカーがやって来て学校に規制線を張った。事情聴取の為に彼以外の全員が呼び止められていたが、長住さんの両親が到着し、抱えられた少女の遺体を一目見て警察へと何かを言付けるとあっさり解放された。あれだけの量の死体が突如として学校の廊下に現れたにも関わらず、だ。ここでも長住の名前は有効らしいと知った。

 少女の入っていた箱や破つい機などは警察に押収されたが、警察に黙って持ち帰った物がある。
 それは蓋の裏側に貼り付けてあった、一通の手紙である。
 少女が箱から出ようと抗った際に噛み千切られ、半分程読めない状態ではあったが、辛うじて解読出来た部分がある。
 幸運にもそれは長住さんの祖父が口にした歌だ。

「ゆれなとれなはきんくるな、こはかすがいな、もれでるくずしがいつきなむ」
 とは
「揺れな獲れるな饉来るな、子は鎹な、漏れ出る屑死がいつ来なむ」
 だった。揺れるな獲れるな饉来るな、子は鎹だ、漏れ出る屑死がいつか来る出ろう、という意味になる。
 『揺れるな』は地震あるいは土砂崩れ。『獲れるな』は憶測でしかないが、凶兆となる作物などがあったのだろう。それらによって飢饉が起きないでくれ。そして『子は鎹だ』は今回の事件そのまま人柱を指す。
 『漏れ出る屑死』が具体的に何を指すのかだけは不明だが、巻き込まれた人の死臭か併せて起きる疫病。また、飛躍した考えだが、当時街の周辺には有名な薬師がいたという文献が残っており、その人の怨霊がいて定期的に街に危害を加えていたのかもしれない。あくまで想像の域を出ない話ではあるが。
 何故三階に移動していたのか。これは少女の霊としての力が関係しているのだと推測した。彼女はその力で、水を媒介し子供達を暗闇へと引きずり込んでいたが、その際、箱周辺の土も抉っていたのではないだろうか。数年おきに露出する箱。それを是が非でも出させまいとした結果、校舎を建て替え、地面から一番遠い場所に隠したのではないだろうか。如何に霊とは言えコンクリートを壊す事は出来ず、狙いは成功した。基本的に三階にしか出ないのは、旧校舎には一階しか無かった為に面としてしか捉えられなかった。
 勿論こちらも推測である。

 私は翌日には既に帰宅していた。これ以上の物は出て来ないだろうとおもったからだし、長住、菊池両人にも関わらない方がいいだろうと進言されたのもある。
 これで一件落着……といきたい所だが、後日談がある。

 帰宅した更に翌日の事である。
 長住さんの街に、尋常でない大雨が降ったのだ。天気予報士の誰もが予想出来ず唐突に降り始めた雨は、たった数メートル先を視認出来ない程の雨量を誇った。この街で一年で降る量を大きく超える雨がたった一両日中に降ったのだ、川は数時間の内に許容量を超えて氾濫し、街を飲み込んだ。
 追い打ちをかけるように、警察や自治体が救急隊を編成して住人の避難を進めようとしていた所に、生き延びた人をして「山が落ちて来た」と言わしめる規模の土砂崩れが起きたのだ。人という人、建物という建物の全てを轟音と共に飲み込み、押し潰していった。
 夥しい死者、行方不明者を出したこの災害は、隣街には全く被害を出さなかった。偶然被災した街を訪れていた人以外は。
 この災害で長住さんの両親も亡くなったと、数日後に流れたニュースのテロップを見て知った。偶然生き残った人々の話の中で気になったのは
「何故かここなら安全な気がした」
「誰かに止まってっ言われたんです」
 等の証言があったことだ。もしかすると長住さんが関係しているのかとも思ったが、残念な事にそれを確かめる術はない。何故なら長住さんとは一切連絡が取れていないからだ。
 彼女が一体何を囁き、そしてどこに消えたのか、災害に巻き込まれて死んだのか。
 少女の木乃伊をどうしたのか。
 結局、謎は土砂に埋もれたままだ。

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