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異形の匣庭 第二部⑨-2【逃走】

 至る所から水の滴る音が反響して聞こえ、上着を着ないと鳥肌が立つくらいの寒気が漂っている。洞窟は天然の冷蔵庫とはよく言ったもので、まさにその通りの気温だ。山の上にある事も相まって余計に低いのだろう。地面には池にある様な遊歩道が設置され、人二人が余裕で通れる幅はある。道の真ん中と両脇が薄く窪んでいるのは、長年ここに何かを運び入れているからだろうか。携帯のライトで届く範囲の奥を照らすと遊歩道には手すりがなく、万が一足を踏み外せばつらら上に鋭く尖った鍾乳石の上に落ちてしまう仕様になっている。その鍾乳石が一面にある所を見るに、ここは天然の鍾乳洞だと思って間違いなさそうだ。こんな湿気のありそうな場所に手すりの一つもないとは何とも不親切極まりない。
 その鍾乳石には等間隔で規制線の様に紐がくくりつけてあり、紙垂(しで)──神社にある稲妻状に切られた白い紙──がご丁寧にぶら下がっている。この紙垂には祓具としての役割や、境内などの神聖な場所と俗世との境界線としての意味がある。それが鍾乳洞の入り口から奥の方まで延々と続いている……やはりただの鍾乳洞でないようだ。
「……継……継」
 僕を呼ぶ声は更に奥の方から変わらず木霊する。
 10メートル程進むと道は右に折れ、そこからもう10メートル程で左に折れると、そこにはまたしても重厚そうな扉が現れた。今度は木製ではなく金属の扉。素材は鉄っぽいが錆びとカビで変色が進み青銅の色味に近くなっている。声はこの内側からの様だ。
 ここでも閂が付いているがきちんと閉められている。問題なのは錠前こそないが閂が遊歩道側に付いていて、周りには誰もいない事だ。遊歩道に分岐も隠れられそうな穴も無く、相当無理をして体をねじ込めば入って行けそうな狭い横穴はあるが、まず服が引っかかってすぐには通れない。
「やっぱりか……」
 当たって欲しくはない予想が当たったみたいだ。もう一つの予想は外れてくれればと思うけど、それも難しそう。閂があるのは何かを保管するか、中にある物を逃がさない様にする為で……悪い予感しかしない……。
「でもここまで来たしな」
 ここで止めておく選択肢が無いのが、僕がまだ子供である証拠なのかもしれない。僕に所謂霊感があれば予感の証明が出来るのだろうけど、残念ながら出雲大社でもここでもそんなものは発揮されないみたいだ。
 キュイ、キュイ
 と甲高い音から察するに、油を差している様子は無いが、かと言って完全に放置している訳でもない。必要な時に必要なだけ来ている。
 閂を右にスライドさせ、両手で掴み直し力を込めて引く。が、ほんの数ミリ開いただけで止まり、体重を乗せて思い切り引っ張ってやっとじわりと動き出した。重々しい金属音が冷えた空気を揺らし、振動で天井から水滴が落下して肩に滴って来る。開ききった扉からは更に冷たい空気が外に向かって飛び出して、少し体が押されるくらいだ。僕よりも小さい子供だったら倒れこむんじゃないだろうか。そう思って後ろを見ると、真後ろの鍾乳石の色が他より少し違うようにも見える……いやきっと気のせいだ。それこそ勘違い、先入観ってものだ。気の迷いを振り払い、扉の中を覗き見る。
「……凄い」
 圧巻、その一言に尽きる程、扉の中には大量の『それら』で埋め尽くされていた。くの字型で二十畳程の広さで、高さは3メートルあるかないか。蛍光灯が横穴にも設置されているから、もっと奥にも部屋がある。あの看板の無い雑貨屋もどきとは違い理路整然と並べられているが、量は同じくらいか、むしろそれ以上ありそうだ。ぱっと見の印象として、古今東西、骨董品と呼ばれそうな物が多数を占めている。懐中時計に姿見、ナイフ、巨大な絵画。それらに薄暗い電灯が陰影を濃く作り出していて、窪んだ瞳や折れた腕、褪せた箱の隙間に重苦しい空気を抱え込んでいるようだ。貼られた御札と紙垂が無ければ、今にも全員が一丸となって僕に襲い来るんじゃと思わせる雰囲気がある。この全部が呪われた代物なんだろうか。
 棚の物に触らない様に奥に進んでいくと、一つ奥の部屋の角にあの女の子が立っていた。
 遠目には分からなかったが、かなりみすぼらしい布切れの様な着物に黒髪のおかっぱ、これといった特徴の無い日本人らしい顔立ち。改めて見てもこけしや市松人形にしか見えない。もしかしたら彼女も付喪神なのか、ともすれば会話が成立するのかもしれない。あの出口の無い迷路から脱出させてくれるならば、どうしてセツさんのいる所でなくこの保管庫らしき場所にしたのかを聞きたい。
「あの……あそこから出してくれてありがとうございます」
「…………」
「あなたは付喪神の一人、ですか? ここに連れて来たってことは何か手伝って欲しいことがあるんですか?」
 表情筋をピクリとも動かさずに無言で僕を見つめる彼女。先入観もあってより無機質に見える……これだけ近くにいても人かそうじゃないかを判断出来ないなんて。オーラでも見える様になればいいのに。
「もしかして僕のお母さんの事何か知ってるんですか?」
 すると女の子はすうっと左手を上げどこかを指差し
「あっ」
 次の瞬間には姿が消えていた。急いで駆け寄ってもかびた匂いをほんの少し残しているだけで、彼女の正体に繋がりそうな物は無い。またどこかに佇んでいるのかと辺りを見回したが見つからず、彼女はその指差す先へと案内にしたかっただけのようだ。
 彼女が指差した棚には大量の本が並べてあった。製本の仕様からしてこちらも古今東西なんでもござれだ。漢字表記の物には「呪」「殺」「術」「霊」の文字がほぼ確実に入っており、英語やそれ以外の言語は六芒星や黒山羊の絵が描かれている。表記の無い本は既に内容を検められているのだろう、日誌、随筆、手紙とジャンル毎にきちんと分けられている。手紙はセツさんが持ってきた手紙の束とはまた別物の様で、周囲の骨董品と同じく一つ一つに御札で封がされている。
 それらの中に僕が持っているノートと似た色の冊子に目が留まり、出来る限り他の物を触らない様引き抜いた。造りもサイズもほぼ同じで特に御札で封がされている訳ではない、つまり危ない物ではないはず。日誌の欄にあったこの冊子には年代や模様等は無かったが、『穢世ノ渡リ■■■』と遊び紙の下部に書いてある。
 穢世……字面だけでも良くないイメージが連想される。地獄だとか冥界の方が馴染みがあるが、穢れている世は聞いた事が無い。掠れて読めない部分には何が入るのだろうか。渡り方なのか渡って来た後の事なのか……。
 それから中身を検めようとページを捲った時、僕が入って来た方角から
 ギイィィィィィ…………バタン
 と重々しく閉じる音が鳴り響き、続いてガチャンと何かがその奥で落ちてそれにぶつかった。そしてぶつかると同時に点いていた電気が全て消えた。

 たらればの話はあまり好きではない。あの時こうしていればなんて空想は、どれだけやった所で無駄でしかないし、虚しくなるだけだ。それでも人が縋ろうとしてしまうのは、次に選択を迫られた時により良い選択をして、それで過去の過ちを軽くしたい為だからだろう。勿論軽くなるなんて夢物語だけれど、あえて僕がそれに縋るとしたら。 
 塀を乗り越えず彼女の指差した方向へ進み、この手記を手に入れた事をやりなおしたい。そうすれば僕は朱璃を失う事は無かったし、鳴海やセツさんもシゲさんも死ぬ事は無かった。
 目の前の重大な選択は一瞬で過ぎ去り、僕がこうしている間にも外の世界でも同じく時間は無慈悲に過ぎていく。
 過去に戻れるならば、何度でもやり直せるのならば……。

 静まり返った暗闇の中携帯のライトを点けると、一つ前の部屋への入り口に僕の背丈を優に越える白い靄が佇んでいるのが見えた。靄は段々と形を成していき、中世ヨーロッパを彷彿とさせる白いドレスを着た女性へと変貌した。数秒見惚れる程にその人は美しく、まるで絵画から出て来たお姫様の様だった。これがもし普通の出会いだったなら軽い会釈でもして、優雅なティータイムと洒落込んでいた所だろう。
 その左手に握られたアンティーク調のナイフから血が滴っていなければ。

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