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スマホを郵便受けにしまうことにした結果

スマホ(パッド)とは物理的に距離を置くことが一番楽だった。それは基本的にPCの子機のようなものと考え、屋内では必要があるならPCを使う。そのPCもノート型なので、使う時以外はケースにしまっておく。

これによって、家の中でインターネットの網が絡め取られる時間が著しく減る。そして、スマホに触るのを我慢することに集中力を削がれることも防げる。手の届く位置にスマホがある知っている限り、「今はスマホを触るのを我慢すべきか」という迷いが常時発生することになり、かなり疲れていることがわかった。

そして、読書をしていても実はスマホが無い時に比べて集中できていなかったのだと知った。スマホを使用しないと意識し続ける状況と、そもそもスマホのことを考えなくて良い状況は、月とスッポンのように似て大きく非なるものであった。

これにより、「以前ならスマホを使っていたはずの時間」が空く。それが生まれるからこそ、風穴のように新しい活動が舞い込むことになる。その時間のなんたる爽やかさよ。

そう、スマホが家の中にないだけで、生活が猛烈に爽やかになる。これほど費用対効果の大きなライフハックは人生の中でなかったように思える。たとえば、運動をすると集中力を保ちながら、不安を解消し、エネルギッシュに1日を過ごせるようになるが、そもそもスマホがあるせいで、それができなかったりする。

「確実に自分を楽しくしてくれる活動」の前に、ワンクッション「スマホをここでいじるかどうか」という障害が入り、その戦いに負けることもあるが、何はともあれその戦いが一段階挟まること自体が面倒なのだ。

こうなると、「やりたいけどエネルギーを使う活動」をする前に必ず意識はスマホを経由することになる。たとえば、勉強や読書や運動や料理という「やれば楽しいこと」というゴールがあるとして、その前にオリバー・カーン並みの(古いか。そもそもこの方しか知らない)優秀なゴールキーパーにセーブされることになる。

資本主義の中で徹底的にスマホを通じたコンテンツで利益を上げようとする営利企業にとってこれほど頼れる存在もいないが、相手(私たち)にとってこれほど邪魔な存在もいない。

スマートフォンはあらゆる能動的取り組みの「守護神」である。

その守護神を家の外の郵便受けに封印する。これでゴールはがばがばだ。何も気にすることなくただ「集中力を要する楽しい活動」に取り組めばいい。

このゴール前に誰もいない爽快さを、ぜひ多くの人に味わってもらいたい。

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