<定理7-9>悲しみ、憎しみ、後悔を消失に向かわせるには

スピノザは何か後悔や悲しいことがあったとして、それを必然であったと認識した時、憎しみは消えるとした。それはそもそも憎しみを抱く対象がないからである、と。

そもそもなぜ憎しみを抱くのか、といえば、それが自由な主体によって行われたと感じるからである。そうでないこともできたにも関わらず、そうしたところに悪意を見出し、その悲しい出来事の原因として一義的に決定することから憎しみは生じるとスピノザは言う。

しかし、実際は違う。誰かがあなたを傷つけた時、その人はそれ以外選択肢がなかった。その人の元々の性質、育ってきた環境、過去の経験や記憶や感情のあり方、相手を思いやる能力、自分の気持ちを主張する能力、言葉の扱い方、その時の環境や身体条件、そしてあなた自身の言動や見た目や発しているオーラや過去にしてきたことなど、あらゆる要素が複雑に絡み合って、その人はあなたを傷つけたのである。

正確に言えばその人があなたを傷つけたというより、あなたも含めて世界があなたを傷つけたのである。それを「その人に傷つけられた」と範囲を限定することで憎しみが生じる。それは、その人が世界の中で自由に振る舞えると思い込むことから生まれる「混乱した認識」であるとスピノザは説く。

確かに、喧嘩をした後に、「そういえば私のあの言動がストレスを与えたのかもしれない」とか「ああ、元々そういうような言葉遣いをする人なのね」とか「そのような嫌な経験が過去にあったのなら確かにああいう反応をしてもおかしくないよな」とか、さまざまな原因に認識が至れば至るほど、相手を憎む気が起こらなくなってくる。

それは「憎んではいけないから許そう」とする意志の力とは別に、「しょうがなかったのだな」と憎しみというキツく絡まった結び目が自然と解けるようなものである。前者の場合は、すでに存在しているものを無に帰さないといけないような不自然さがあるが(そのような感情は無意識に蓄積され、あとあと症状として回帰するとフロイトは述べた)、後者は紐自体はそのままでよくてただ解けばいいので自然である。ただ認識自体を変えただけである。ただ紐の関係を変えていっただけで解けるのである。

したがって、憎しみや悲しみは、無理に消そうとするべきではない。それは解決になっておらず、かたい結び目が放置され、そこに関係して他の部分の紐を結び目の一部となって絡まり具合が混乱するだけである。おそらく現実でもフィクションでも、大きな悪を為してしまうような人物は、この結び目が小さいうちに向き合わなかったがゆえに、行動や思考全てが混乱して、周りの人を(そして自分自身を)傷つけることになるのかと、私は考えている。

だから、悲しみ、憎しみ、後悔は、その原因を認識することに努めるのが良い。なぜ私はそれによって傷つけられたのか。そもそも、私が今悲しんだり憎んだりしているのはなぜか。これに向かうためには、言葉が味方になってくれる。スマホのメモアプリでも、パソコンの文書ソフトでも、紙のノートに鉛筆で書くのでもいい、自分の感情が起きている原因について書くのである。

そうしたら、そうしないでいるよりも、自分の感情や、相手の言動についてより多くのことが知れる。もちろん一発書き出せば悲しみや憎しみが消えるかと言えばそうではないが、それが和らぐ方向に向かうことは確かである。そして、自分の力で負の感情を和らげることができた、という自分の感情をコントロールする力があると知ることができる。

これはとてつもなく重要な能力であるように思える。どのようにすれば自分が喜びの感情を抱けるのかを知ることが最も大切な力であると考えるが、それに伴い、どのようにすれば自分が悲しみの感情から解放されるのかを知ることも重要だからだ。

それは認識することであると、スピノザは言う。もちろん悶々と考えるだけで感情が変わらなかったら、散歩や運動したらよい。すると先ほどまで考えていたことがトリガーとなって、ふと「ああ、そういうことか」という十全な認識が去来することがあるからだ。これは、認識を得ようとするのは顕在意識だけの働きでなく、潜在意識もまた問いに対して答えようとしてくれるからであると思われる。

身体が爽快になれば、代謝が促進されれば、受ける環境からの刺激が変われば、脳や心の回路もスムーズになり、新しい認識が得られることがある。これはスピノザの心身並行論から考えたことだ。

私たちは、今の認識を超えていくことができる。それには私たちがまず、どのように問いを設定するか意識するところから始めっていくのだと思う。最初のテーマに戻せば、嫌なことが、悲しいことがあったとき、「なぜこのようなことが起こったのか」と問いを打ち立てるところに、あなたの自由は存在する。

定理
(7)憎しみは、相手が自由意志のもとであえてそのような言動をとったと認識することで生まれる。
(8)負の感情の原因をたどり、より多くの認識が得られるほど、感情は和らぐ。
(9)身体が爽快になることで、十全な認識が得られやすくなる。

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