スマホという守護神

「スマホ×資本主義」は現代における最強の依存コンボである。この強大な相手に対して、浅い年月しか対処していない私たちは赤子の手を捻られるように大敗を喫するだろう。もちろん、依存しない人もいる。しかし、一度でも依存したことのある人は、喫煙と同様、すぐに再発してしまう。

禁煙と異なるのは、一切スマホを使わないことが難しい点だ。それほど現代社会はスマホに依存している。

ほとんどの人にとって良いスマホとの関係は、「スマホを自分の喜びのために使い、スマホ内のコンテンツを作る営利企業(個人)のために自分の時間や注意を乗っ取られない」というものではないか。これは戦いの要素を持つ。こちらが意識的に主導権を握ろうとしない限り、いつの間にかやられている。相手はそれほどの達人なのだ。殺気なく味方のように近づいてきて、気づいたときには致命傷を喰らっている(スマホから目を離せなくなっている)。

スティーブ・ジョブズはスマートフォンを発明し、人類はスマホに適したコンテンツや仕組みを作り上げたが、これ自体に良くも悪くもない。楽しんだり学んだり刺激を受けたりすればその人にとって良く、自分の時間やエネルギーを奪われてしまったと感じるならば悪い。

人類は(営利企業は)、スマホに人を依存させるコンテンツを巨額の資本と人的リソースと知恵とインスピレーションを投じて作ってきた。一方、使用者側はそれに対抗するための教育や知恵を大して享受していない。攻める側は人生を賭けて努力を重ねているのに、受ける側は人生を賭けて守る努力をしていないということである。

そう、スマホとの付き合い方には人生がかかっている。あと2,30年もしたら「スマホばかり触っていないでもっと自分のしたいことをしておけば良かった」と悔やみながら晩年を過ごす人が大量に出てくる(スマホは「自分のしたいこと」ではなかったのである!)。

それほどの時間を、私たちはスマホ(のコンテンツを作った営利企業)に奪われている。個人単位でも人類単位でも。もちろん、彼らはエンターテインメントや学習や新しい文化への入り口を開く素晴らしいものを発明し、提供しているとも言える。だが、どのような素晴らしいものも、過度になったときから悪になる。

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