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幼少期①

 常に毒両親からの嫌そうめんどくさそうな対応とマイナスな言葉をかけられていたわたしは、無気力でまともに人とコミュニケーションが取れなかった。何事にも消極的で覇気がなくやる気も自信も無かった。習い事は自分で決めた事もあり、頑張れた部分も多少あったが、特に嫌だったのは学校だった。
 まず、学校の独特の匂いとホコリっぽさが無理だったし、当時は冷暖房もなく、寒い気候の地域だったので校舎内は寒くてよくお腹を壊してトイレに駆け込んでいたことが多かった。牛乳が苦手で、担任に「お腹が痛くなるから飲みたくない」と言っても当時は必ず牛乳を飲まなくてはならず、これは現在もだが牛乳アレルギーがあるかを病院で検査して判定が出た場合しか牛乳を飲まないことを認めてもらえないので、毒母にその状況を伝えても何の対応もしてくれず、小学校6年間牛乳を飲むたびに授業中でもトイレに何回も駆け込むルーティンを繰り返すしかなかった。今考えるとおそらく腸過敏症だったのだと思う。
 給食を食べるのが遅く、小1の時は2時間居残りして帰っていた。当時は食べ終わるまで帰れなかった。それでも毒母は何も気にならなかったようだ。小2くらいからは極力減らすようにしたが、それでも体調によっては食べ終わるまでに時間がかかった。給食と牛乳がとても辛かった。
 勉強面でも全くで、まず字がキレイに書けなかったり、ノートがちゃんと取れなかった。発表も緊張しすぎて声が出なくてちゃんと出来なかった。
 病院に連れてかれるのが嫌で親にも周りにも言わなかったが耳鳴りが小さい頃から酷かったし、寝ても寝ても眠くて仕方がなく、朝は起きれないし、授業中もよく寝ていた。
 毒母が身なりをちゃんとしないので頭はボサボサ、顔も洗っていない、歯も磨いていない、ランドセルや服はタバコ臭い。コミュニケーションが取れない。

 こんな子が小学校にいたらどう思う?みんなからバカにされて嫌がられるいじめられっ子の出来上がりだ。そうなって当然だと思う。

 学校ではぼっちだった。
 人間不信になった。

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