本を食う虫(落書きショートショート)

 本の虫、大絶賛。
 帯にデカデカとそう書かれた本が、平積みにされている。僕はため息を付いた。この本は発売されてからもう一年近く立つ。小説の棚を眺めながら歩く。僕の本は棚に二冊刺さっているだけだった。
 本の虫と呼ばれる種族がいる。上半身は人間と変わらないが、腰から下が芋虫そっくりらしい。いわゆる人魚の芋虫版だ。なぜ『本の』と着けて呼ばれるかというと、この種族は本を食すからだ。本の虫が「うまい」といった書物は素晴らしいものとされている。だから大手出版社は大々的に売りたい本を発売前にこぞって本の虫のもとへ作者とともに献上しに行くそうだ。
 なぜ『らしい』とか『そうだ』とか語尾に着いているのかと言うと、会ったことがないからだ。つまり僕の本は献上すらされたことがない。うまい不味い以前に、食べてさえもらえないのだ。担当編集者は「流行りのものを」「売れそうなものを」と繰り返し僕に言う。僕だって売れたい。だけどお墨付きをもらう土俵にすら上げてもらえないのだ。

『めっちゃバズってるじゃないですか』
 三日前、担当のY氏からそうメッセージが来た。来月発売予定の新刊の最終稿を確認していたときのことだ。適当につぶやいてスマホを放置していたので気が付かなかった。慌ててアプリを開いて、見たこともない数字に呆然とする。そうしている間にも数字はどんどん増える。バズったら宣伝していいんだっけ。僕はツイートをぶら下げようと吹き出しマークをタップした。
『いけるかもしれないですよ、これ。ちょっとまっててください』
 それからトントン拍子に本の虫に新刊を献上することが決まったのだ。

 とある避暑地の大豪邸。僕は両手でしっかりと本を持って、一番奥の部屋の扉の前に居た。隣にいるY氏の顔をちらりと盗み見る。赤ら顔で尋常では無いほど汗をかいていた。彼も本の虫に会うのは初めてらしい。駅からここまで案内してくれた燕尾服姿の男性が、一つ咳払いをした。
「中に入ったら私語は謹んでください。部屋の中央に机があります。皿が置いてありますから、本はそこへ。置いたら扉の前まで下がって、頭を下げてください。食事中は絶対に頭を上げてはいけません。感想を拝聴したら速やかに退室してください。たとえ結果が不満でも、食って掛かったりしないように」
 涼しい顔で淡々と説明を終えた彼は、「それでは」と扉を開いた。僕は中にいる彼女を見て息を呑んだ。想像よりずっと大きい。おそらく全長三メートルほどある。
 震える足を少しずつ前に動かし、机にたどり着く。怖くてあまり彼女の姿を見ることができなかった。皿の上に出来上がったばかりの本を置き、振り返って元の位置に戻る。ちらりとY氏の顔を盗み見た。真っ青な顔で口が小さく開いていた。Y氏を肘で突っつきながら頭を下げる。ずりずりと巨大なものが床を這う音がする。次いでびりびりと紙の破れる音がする。僕は目を閉じてじっと耐えた。
「まずい」
 予想よりも澄んだ声だった。しかしそんなことはどうでも良かった。
「ちょっとまってください!」
 そう言ってY氏は彼女に向かっていった。僕は慌ててY氏の腕をひっつかむ。
「止めないでくださいよ」
「いや、僕が聞きますから」
 Y氏を黙らせて顔を上げる。彼女の冷たい目に、再度息を呑んだ。一つため息をついてから口を開く。
「うまい本とまずい本はどう決まるんですか」
「紙とインクに決まってるだろう。内容で味が変わるものか」
 彼女は鼻で笑いながら言った。
「うまいと言わせたいのなら、うまい紙とインクを使え。保存状態にも気を使えよ? 詳しくは外の男に聞け」
「分かりました。ありがとうございます」
 僕はY氏の腕を引っ張って部屋の外に出た。僕が扉を閉めると、燕尾服の男は少しだけ頭を下げた。
「お疲れさまです。駅まで車を出しましょう」
「彼女の一番好きな食べ物はなんですか」
「……ピン札ですね」
「どのくらい食べるんです」
「口いっぱい」
「歩いて帰ります」
「かしこまりました。またどうぞ」
 二度と来ないよ、と言いたかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?