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クレイジーデブス(小説)

 山本香里奈は今日もうるさい。高校の休み時間の教室はいつも騒がしいがあいつは群を抜いてうるさい。イヤホンを忘れたことに気がついたのは、一限目が終わってすぐだった。だからいつも以上に香里奈の声が癇に障る。私はスマホから視線をそらして、香里奈を見た。三限開始まであと三分だ。
「今日も痴漢にあっちゃってさー! ホント最悪!」
 香里奈はカースト上位の三人に向かってそう言った。教室中央の舞の机には四人が固まっている。どう見ても香里奈だけが異質だ。
「あーまじで?」
「朝からやだね」
「まじでヤダ! 毎週あってる気がするんだよねー。まじどうにかしたいんだけど」
 教室の後ろで、男子数人が集まって騒いでいる。いつもは舞の机のそばにいる男子たちだ。香里奈がいるときだけは近づかない。
 舞はクールだ。いつもスマホをいじりながら、だるそうに相槌を打っている。沙菜は優しい。よく香里奈の話に心配そうな顔をしている。朋美はお調子者だ。いつもニヤニヤと香里奈の話を面白がって囃し立てている。
「てか山本スカート短すぎじゃね? それのせいじゃないの?」
「え、こんなもんでしょ。てか朋美たちと対して変わんないじゃん」
 香里奈は朋美の言葉を適当に流して自分の話を続けている。いかに自分が痴漢にあうか、という話である。
 冷静に観察してみれば、たしかにスカートの丈は朋美たちと対して変わらない。しかしそうは見えない。なぜだろうか、と私は一人で考えてみる。
 たぶん、肌面積が圧倒的に違うからだ。香里奈の足にはたっぷりと脂がのっている。だいたい足一本で沙菜の足二本分だ。
 足だけじゃない。がっつりと開けられた胸元も溢れんばかりに脂肪が付着している。
 さらにその上にある顔面はなかなか見ごたえがある。私は原型を知らないが、毎日大工事であることだけははっきりと分かる。登校前にごくろうなことだ。目など多分三倍くらいのサイズに仕上げてきている。ついでに鼻を小さく見せる努力もすればいいのに、そこはやらないらしい。とはいえ一番不要な顎の肉は化粧ではどうにもならないだろう。ちなみに眉毛は顔の大きさに合わせているのだろうか、常人より二倍太く仕上がっている。
 そんな女が三人相手に大きな声で嬉しそうに痴漢の話をする。恥ずかしくないのか、と私は思わずにいられない。
 そもそも嬉しそうな時点で理解できない。多分私だったら半泣きだし、その日は学校にも来れないかもしれない。自転車通学だから合ったこと無いけど。
 香里奈の話はチャイムが鳴っても終わらなかった。沙菜に諭されて、名残惜しそうに香里奈は自分の席へ戻っていく。私の斜め前だ。
「なに?」
 香里奈は席に座りながら、私の方を向いた。私は自分が話しかけられていることに一瞬気が付かなかった。
「え、なにって、なに?」
「いや、こっち見てたじゃん」
 私が返事をするより早く、数学の教師がドアを開けた。香里奈は返事を待たずに前を向いた。

 地方とはいえ日曜の昼間だ。駅前は私服姿の人で溢れている。高揚した声ではしゃぎながら歩いている女の子たちの服はカラフルだ。黒髪とのコントラストのせいでずいぶんバランスが悪いが、幼い顔立ちがそれを中和している。きっと中学生だ。ゆっくり歩く年配の夫婦は全身暗い。だけど表情は明るかった。開いたスペースには若干の人だかりができている。あそこで行われているのはだいたい路上演奏か大道芸のどちらかだ。まばらな拍手が聞こえてくる。音楽はどう聞いても生演奏ではない。だから大道芸だ。
 私はそれらの人を流し見しながら、イヤホンをはめようとした。その瞬間、聞き慣れた大きな声が耳に届き、反射的に顔をしかめた。香里奈だ。私は正面に向かって顔を上げた。午後二時の日差しは温かい。とはいえもう秋も終わりに近づいている。その中でも香里奈はひときわ薄着だった。知らない男が二人、香里奈を挟んでいる。立ち止まって、なにか話しているようだ。その先の本屋へ私は行きたい。回り道をするべきか、無視して通り過ぎるべきか。声をかけるという選択肢は無かった。
 香里奈が原因で回り道をするのは癪に障る、という理由で横を通り抜ける選択をした。まっすぐ進んでいく。あいかわらず香里奈の声は大きかった。
「え、なに? ナンパ? あたし暇じゃないんだけど」
「まあそういわずに」
「カラオケとかどう? 歌うまそうだし」
「えー」
「ていうか一人? 不安なら友達呼んでいいよ。俺らも大勢のほうが楽しいし」
 そらすべきなのに、どうしても気になって三人を見てしまう。男二人はそれなりに垢抜けた格好をしている。香里奈の顔はにやけていた。私はもう一度顔をしかめた。その瞬間、香里奈と目が合う。
「千花じゃん!」
 しまった、と思ったときにはもう遅い。香里奈はこちらに向かって突進してきた。
「なにしてんのー? ていうかヒマ?」
 香里奈は私の腕を掴んで男の前まで引っ張っていく。私に密着した腕と胸は人体とは思えないほど柔らかい。それに対して、私の腕を掴む握力はやはり人間の女と思えないほど強かった。されるがままに引きづり出されたとき、私は男二人の顔をはっきりと見てしまった。そして即座にそらす。目は口ほどに物を言う、なんてレベルじゃない。彼の心境を答えよ、と言われればふだん国語が赤点のやつでも全員はなまるをもらえるレベルだ。答えは一つかつ明確。「うわ、こいつかよ」だ。
「ねえカラオケ行こうよ! 千花、歌上手いでしょ?」
 私は歌がうまくない。人前で歌うのは大嫌いだ。なにをもってうまいと思ったのか、香里奈の思考は一切理解できない。とにかく今すぐ逃げ出したい。私は掴まれた腕を強く振り払った。
「いや、悪いけど用事あるから」
「えー、そうなの? 急ぎ?」
「うん。じゃあね」
 私は急ぎ足で本屋へ向かった。香里奈は追いかけてこなかった。かわりに後ろから
「じゃあ三人で行こっか!」
 とめちゃくちゃ明るい声が聞こえた。男の返事は聞こえなかった。

「千花さ、昨日、なにしてたの?」
 いつもどおり席で一人、スマホをいじっていた私は、やっぱり自分が話しかけられていることに一瞬気が付かなかった。顔を上げると、香里奈がはっきりとこちらを見つめていた。
「え、昨日?」
「いや、会ったじゃん昨日。ていうかさ、あの後まじ最悪だったから!」
 香里奈は私の目の前で、一人でべらべらと喋りだした。私のことが聞きたかったんじゃない。自分の話を聞いてほしいから、話しかけるきっかけとして尋ねただけのようだ。
「まじ向こうがナンパして来たんだよ? それなのにフリータイム一時間で解散とか意味分かんないし! しかも私、自分のお金払わされたの! ありえんくない?! しかもカラオケついてからもずーっと誰か友達呼べ、ってうるさいの。友達の写メ見せてよ。可愛い子いないの? って、そればっか。じゃあ最初から二人組に声かければいいのにさー」
 なぜあの男二人は香里奈に声をかけたのか。昨日から不思議に思っていたことが、話を聞いて分かった。おそらく昨日、あの二人はナンパがうまくいってなかったのだ。だからダメ元で香里奈に声をかけた。そして香里奈に友達を呼び出させて、それで可愛い子がくればラッキー、という算段だったのだ。しかし実際、香里奈が連れて行こうとしたのは私で、その私に断られた香里奈は当たり前のように自分だけで行こうとした。だからさっさと解散されたのだ。
「しかもカラオケ全然盛り上がんないの! 盛り上がらない、っていうか盛り上げる気がないのよ、あの二人。なんかLINE交換しよ、って言っても結局してくんなくて」
 べらべら喋り続ける香里奈は真実に気がついていないようだ。これはこれで幸せなのだろうか。私だったら嫌だ。気づいた後、きっと死にたくなる。だったら最初から気づいてわきまえている方がよっぽどいい。
 そもそもなぜ香里奈は私に話しかけてきているのだろうか。いつもは舞たちに向かってマシンガントークを繰り広げているのに。私は教室を見回した。三人ともいなかった。もうすぐチャイムが鳴る。香里奈の話は終わる気配がなかった。

 香里奈は六限の体育をサボった。生理痛がひどくてー、と大声で先生に言っているのが、授業開始直後に聞こえてきた。授業中、だいたい校庭の隅に座っていたが、ときおり隙を見ては舞たちに話しかけていた。
 そんな姿を見ていた先生は、授業後の片付けを香里奈に押し付けた。そしてその香里奈は「千花手伝ってよー」と私をひっつかんできた。昨日からろくなことがない。そもそもなぜ私なのか。舞たちにたのめばいい。私は周囲を見回した。すでに三人は居なかった。
「まじひどいよねー」
 バッドを片手に一本ずつ引きずって、香里奈は私の前を歩く。私はベースを数枚抱えて後ろを歩いていった。ひたすら香里奈から出てくる愚痴に適当に相槌を打った。なんなら相槌など打たなくても、多分香里奈は気にせず一人で喋り続けるだろう。これで校庭と体育倉庫を往復するのは三回目だ。よくもまあ、ここまで途切れず一人で喋り続けるものだ。
 体育倉庫へ向かう途中にある水飲み場に、隣のクラスの男子が三人溜まっていた。私は校舎の一番上にある時計を見た。もうすぐホームルームが始まるはずだ。サボったのだろうか。隣のクラスの担任は話が長いことで有名だ。三人はこちらに気づいていないようだ。
「つーか、隣のクラスのあいつ、ホントやばいよな」
「名前なんだっけ。舞たちにくっついてるやつだろ?」
「俺も名前知らねー。化粧濃いチビデブ」
 私は立ち止まった。香里奈のことだ。私は一瞬で理解した。前を歩いている香里奈も、いつの間にか立ち止まっていた。
「こないだ駅前でへんなのにナンパされて嬉しそーについてったらしいぜ」
「まじで? あれナンパするやついる?」
「ナンパとか痴漢とか、めっちゃ嬉しそうに報告してくるらしい」
「やべーじゃん。つーかそんなならすぐやれんじゃね? お前童貞卒業してこいよ」
「ぜってーやだ!」
 私は硬直したまま動けなかった。なにか言う得べきなのだろうか。香里奈に向かって言えばいいのか? それとも話したこともない隣のクラスの男子に向かってなにか言えばいいのだろうか。なにかって、何だ? 悪口言うな、って? 香里奈のために私が? 冗談じゃない。しかしこの空気は耐えられない。指先が冷たくなっていくのを感じる。前にいる香里奈の顔は見えない。そのとき香里奈は静かに歩き出した。道から少しそれるように。体育倉庫ではなく水飲み場に向かって。
「まじバカにされてんの気づいてねーんだよ。自分のこと舞たちと同レベルだと思ってんの」
「ありえねーだろ。鏡見たことねーのかよ」
「まじ一回死んだほうがいいんじゃね」
 静かに男子たちのそばまで近づいた香里奈は左手のバッドを捨てた。地面にぶつかってカランと音がする。空いた左手を右手とともに振り上げた。
「おい!」
 香里奈が全力で振り下げたバッドは、前の一言のせいで空振りになった。明らかにやばいものを見る目で、その場にいる全員が香里奈を見ている。
「……あんたのほうがよっぽど早死にしそうだけどね」
 香里奈はそう言って、捨てたバッドを拾った。そのまま引きずって、体育倉庫に向かって歩き出した。
 硬直していた男子たちは、香里奈が少し離れたあたりでやっと喋りだした。
「……やべー」
「……クレイジーデブスじゃん」
 男子たちはそそくさと居なくなった。私はベースを放り投げて教室に帰りたかった。だけど仕方なく体育倉庫へ向かった。
 とぼとぼとベースを抱えたまま体育倉庫に到着する。ちょうどバッドを置いた香里奈と鉢合う形になった。私が来る前に香里奈がどこかへ逃げたしてればいいのに、そんな願いは届かなかった。倉庫の入り口でばったり向かい合った瞬間、私は香里奈から全力で目をそらした。なにを言えばいいのかさっぱり分からない。可哀想だとは思う。だけど香里奈のことも怖かった。関わりたくない。自分の顔がひきつるのが分かる。多分声を出したら、すごくかすれてみっともない音が出るのだろう。
「ごめんね」
 急に香里奈が謝った。私は慌てて顔を上げた。香里奈は困ったように、だけと申し訳無さそうに、小さく笑っていた。
「あと、やっとくから」
 香里奈は私がもっているベースに触れた。私はそのまま差し出した。受け取った香里奈は倉庫の中へ入っていく。私はそのまま校舎へ帰ることにした。だけど走り出す勇気は無かった。自分の足元だけを見て、歩き慣れた校庭を行く。
 昇降口までの距離が随分と遠く感じた。そっとスニーカーを脱いだ。かかと部分を左手の人差し指と中指に引っ掛けて、空いている右手で下駄箱を開ける。ローファーの上に無理やり乗せたスリッパを引っ張り出した。破裂音のように高い音を立てて床に落ちる。ひっくり返った片方を足先で表に返してから足を通した。さっさと戻って着替えなくては行けない。だけど教室に戻る気になれなくて、同級生に合わないように一階のトイレへ入った。洗面台に手をついて、鏡を見る。ひどい顔だった。

 それ以来、香里奈が私に話しかけてくる事は無かった。

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