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杏夏さんは本が好き「ペンギン鉄道なくしもの係」

「ペンギン鉄道 なくしもの係」 著:名取佐和子

※小説形式の読書感想文です。プロローグはこちら↓

 仕事から帰宅し、部屋着に着替えた茉波は小走りでキッチンへ向かう。ルームシェア相手兼幼馴染の杏夏が混ぜている鍋を覗いた。トマトのいい香りが鼻をくすぐる。
「ビーフシチュー?」
「うん」
 混ぜるのを止め、杏夏は皿にビーフシチューを盛り付けだした。茉波は鍋の横を確認する。レタスとトマトのサラダに、ししゃもフライ。そしてその横には丸いパンが四つ置かれていた。珍しいな、と茉波は首をかしげる。杏夏は朝こそパン派だが、夕食に出すことは今まで殆ど無かった。
「運んでよ」
 杏夏にせっつかれ、茉波はそれらをリビングのテーブルへと運んでいく。サラダ、フライ、カラトリーを運び終え、最後にパンを持ち上げると小麦のいい匂いがした。よく見ると形や焼色が少しムラになっている。机の真ん中にパンの皿を置くと同時に、杏夏が二皿のビーフシチューを持ってきた。
 二人はいつものように向かい合って座った。
「いただきます」
「いただきます」
 杏夏に釣られるように茉波も手を合わす。きっと一人で暮らしていたらすぐに言わなくなるのだろう。
「夜にパンなの珍しいね」
「うん。どうしてもパン食べたくて」
 早速二人して、中央のパンに手を伸ばす。パンはまだ温かい。二つに割ると、中は綺麗な生成り色だ。
「今日読んだ本にパン出てきてさ。パン屋に買いに行こうと思ったんだけど、焼き立て食べたいな、って思って」
「作ったの?」
「うん」
 茉波は一口、何も付けずに食べてみた。中は少ししっとりしているが、外は綺麗にカリッとしていている。
「美味しいじゃん」
「クックパットだけどね」
 杏夏は照れくさそうに笑った。早速ビーフシチューにパンをにつけている。
「でもパン屋の焼き立ても食べたいから、土日に行こうよ」
「いいよ。朝ごはん?」
「うん。店内で食べられるとこ行ってさ、そのあとペンギン見に行こう」
「ペンギン?」
 茉波は首をかしげた。急に動物が出てきたことにも驚きながら、ペンギンが見られる場所を思い浮かべる。
「ペンギンって、動物園? 水族館? どっちにいるの?」
「どっちもいると思うけど、水族館がいいな。ジェンツーペンギンいるところね」
「じぇんつうぺんぎん」
 聞き慣れない単語の登場に、茉波はそのまま復唱した。聞いたことのない種類だ、と思ったが、よく考えたらコウテイペンギン以外の種類の名前は一つも知らなかった。
「なにそれ、普通のペンギンと違うの?」
「マナが想像してる普通のペンギンがどんなか分かんないけど、頭が白いやつだよ」
 こんなやつ、と言いながら杏夏は席を立ち、ソファに置いてあった文庫本を持って戻ってきた。黄色い表紙にはペンギンが描かれているが、ニット帽をかぶっているため頭は見えない。ペンギンの隣には「ペンギン鉄道なくしもの係」と書かれており、その下には線路と茶色い電車が書かれている。
「頭っていうか、目の周りじゃない? 白いの」
「目の周りの白いのが、頭までつながってるんだよ」
「へえ」
 杏夏は本を机の脇に置いた。
「面白かった?」
「うん」
 杏夏はちょっと笑って、本の内容を話し始めた。
「ペンギン鉄道って呼ばれてる鉄道があってね、ペンギンが一人で電車乗って移動してるの。日常茶飯事だからいつも電車使ってる人たちは気にしてないんだけどね。で、江高駅っていう駅にある遺失物保管所でそのペンギンは飼われてるんだよ」
「その本フィクションだよね?」
「当たり前じゃん」
 茉波はちょっとがっかりした。先日、SNSで見かけた動画を思い出したからだ。猫が駅員さんに抱えられて電車から降ろされている動画だった。
「短編連作で四本収録されてるんだけど、各章それぞれみんな落とし物をして、この遺失物保管所のお世話になるの。共通して出てくるのがペンギンとそこの職員の守保」
「その守保って人がペンギン世話してるの?」
「そうだよ」
「なんで?」
「え、それ聞いちゃう? ネタバレなんだけど」
 杏夏は驚いた顔をした。杏夏ほどではないが、茉波もたまに本を読む。自分で買うことは稀で、大抵は杏夏に借りてばかりだ。もしかしたらこの本も読む機会があるかもしれない。
 茉波はちょっと悩んで、じゃあ止めとく、と返事をした。
「まあ、最後の章で分かるんだけど、やっぱこの章が一番面白かったよ。潤平っておっさん視点の三人称単数形で地の文が書かれてるんだけどさ、だんだんあれ? ってなってくの」
「なんで?」
「このおっさんボケてる? って」
「痴呆症ってこと?」
「そうそう。正確には違うんだけど。そんな感じの人の視点で書かれてるのが新鮮でさ」
「へえ」
 茉波はサラダとビーフシチューを交互に口に運びながら相槌を打つ。杏夏の言う文章を想像しようと頑張ったが、さっぱり思い浮かばなかった。
「もちろんストーリーも面白いんだよね。ペンギンの謎とかもまるっと回収しつつ本筋も感動的で暖かくてさ。しかも水族館のシーンでは他の章に出てた人たちもみんな登場するんだよ。その部分読みながら、ああ、この章で終わっちゃうんだなあ、ってちょっと寂しくなっちゃったけど」
「それは分かる」
 物語最後の登場人物大集結は熱くなると同時にちょっと寂しくなるのだ。茉波は高校時代に連載を追っかけていた少年漫画を思い浮かべていた。きっとこの本とはかなり趣向が異なるシーンだと思うが。
「電車乗ってるペンギンって設定はすごくファンタジーなんだけど、登場人物はすごく人間臭いというか。過去の失敗や執着から勇気を振り絞って一歩踏み出す、って感じの話に基本なってるんだよ。で、なくしもの係の守保が度々その一歩の手伝いをしてくれるんだよね。すごく優しいの。なんで優しいのかは、やっぱネタバレになっちゃうから話さないでおくけど」
 そう言って杏夏は笑いながらトマトにフォークを突き立てた。彼女はそのまま続けて守保の話を始めた。
「三章に印象的な会話があってね。私、そこがすごく好きなんだけど。『流されているようで、実は自分が決めていた』って内容の会話なの。仕方なくそうしてたつもりだったけど、よく考えれば別に他のものに変えることだってできた。なのに不満を持ちながらもそうしてたのは、本当は自分自身でそれを選んでいたから」
 茉波はふと机の上を見回した。そういえば、うちの食器類を買うとき、杏夏とちょっと揉めたことを思いだした。家具家電に時間やお金を使いすぎて、選択肢の幅が狭くなってしまったのだ。茉波は綺麗な柄の食器やちょっとお高いカラトリーを揃えたかったのだ。杏夏に諭されてとりあえずシンプルで手軽な値段のものを揃えたのだが、一年たった今でも結局買い換えてない。
 流されているようで、実は自分で決めていた。そう考えると、今使っているものにも愛着が湧いてくる気がした。
「ペンギンに癒やされつつも勇気が湧いてくる本だからさ、ちょっと空回りして疲れちゃったときなんかに読んだら刺さるんじゃないかなあ」
「……じゃあ、取っておこうかな」
「いや、読んでよ。水族館行く前に」
「それ、今週中って意味じゃん」
 でも気になってきたのは確かだ。時間あるかな、と自分のスケジュールを振り返る。
「でも一個問題があるんだよね」
「なに?」
「この本、続編があるの。ペンギン鉄道なくしもの係リターンズ」
「へえ、じゃあ人気なんだね。そっちは読んだの?」
「いや、まだ」
 珍しいな、と茉波は首をかしげる。杏夏はいつも気に入った本は一気に読む。何冊もベッドサイドに積み上げて徹夜している姿も何度だって見た。
「いや、実物のペンギン見てからのほうが楽しいかなあって思うんだけど」
「うん」
「でも結局続編読んだらもう一回ペンギン見たくなりそうじゃない? だったら水族館行く前に読んじゃったほうがいいのかなって」
「じゃあ二回行けばいいじゃん。水族館」
 付き合うよ、と茉波はパンを口に運びながら言った。
 木曜日なら定時で帰れるはず。すでに読む算段を付けている自分に、茉波はちょっとだけ笑った。

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