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2度目の精神病を発症して

自己紹介

初めまして、「くどき上手」と申します。薬学部を卒業後、新卒で薬剤師となり4年現場で勤務しております。まだまだ若輩者ですが、何卒よろしくお願い致します。

これから書く記事の内容

さて、初めてnoteに記事を投稿していこうと思ったきっかけは、2020年2月中旬に人生2度目の幻聴を主体とした精神病にて入院治療を行うことになったからです。私としては、すごく悲しくて悔しい出来事です。なぜなら、私は一度同じ症状で目指していた大学での研究者の目標を変える必要に迫られた経験があるからです。その時の模索の結果、今の薬剤師人生があり満たされた時間が徐々に得られるようになりました。      にも関わらず、私は再び精神病によって人生の帰路に立たさせれているような気がしているのです。個人の主観からには嫌な事が人間関係がなどのストレス大きかったとかではなく、どちからかというと頑張りすぎた結果、大学の頃と同じ体調不良になってしまったのかなと思ってます。
今回のこの出来事を少しずつ文章化していきたいと思います。

書く理由

他の方も世間一般的でいう仕事を頑張りすぎて、お身体を壊された方もいるのでしょう。その人はきっと携帯も見ることも許されない精神病にあるかもしれないし、病院に頑張って通院して治療しているかもしれません。
これから書き続けていく記事は、体調を崩された本人やその家族、またその方に関わる医療関係者、会社関係者に対して、正しく病気の事を認識していただきたく、また同じような悩みを持つ方の何らかの一助、そしてなにより私個人が苦しんだ記憶を明文化することで病気の再燃を抑えることを目的とさせていただきます。精神病を患ったことのない方は、きっとその人のことを理解できないなと苦しむかもしれません。でも、当たり前で他人の気持ちなどわかろうとすること自体がおこがましいのかもしれません。ただ精神病から立ち直るためにはきっと、自分がなぜ体調を崩してしまったのか正しく理解しようとする事がなによりも大事だなと、2度目の発症と入院生活を2週間過ごして思いました。そして、医師、看護師、薬剤師が助けてくれようとしているその手を掴めるかが大事だと思いました。

医療従事者(薬剤師)であり、患者であるから認識して書けること

医療従事者の立場でありながらなぜ2度の発病をしてしまったのか詳細に文字に起こしながら分析して, もし誰か•何かの役に立ったら嬉しいです。徒然なるままに過去に思いを馳せながら記載していきたいと思います。

*注意:私は医師ではなく、薬剤師であり、病名等に誤りがある可能性が否定できません。あくまで一個人としての作文と思って頂ければ幸いです。

2度目の発症前の生活

私は2019年12月ごろに以前より志願していた会社の研修プログラムに抜擢されることなり、心の底から「ヤッタァァァ‼️」と思った(この時に躁状態になったわけではないです笑)。
研修が始まり背筋を伸ばして、日々勉強を始めました。それから1ヶ月半、自分のギリギリのスケジュールを組んで研修に取り組んできました。その成果もあり、メキメキと実力が付いているのがわかり、自信もついてきました。そこから、違和感を感じ始めたのですが、疲れてるんですが非常に楽しいのです(もともとマゾ傾向だったかは不明w)。当たり前のようでしたが、前よりも少し無理ができるようになったので自学習の時間を増やし、さらに休日には勉強会に参加し、その後勉強という生活を始めました。

その次の日に、96歳であった祖母が亡くなりました。その知らせを知ったのは研修を終えた帰りの電車の中で、母からのメールを確認した際でした。もともと在宅の主治医より、骨髄の数値が低下してきており、そろそろだと言われておりました。そのためか、そこまで、悲しくはなりませんでしたが、祖母の息子、娘に当たる、父や叔母の話そうな姿を見て私も悲しみが目頭から溢れることもありました。
また実は、その日の研修中に全身にがんが転移した患者さまの初回抗がん剤治療の説明するのを見学しに行きました。その患者さまに抗がん剤の説明を終えた後、患者さまより一つ質問がありました。「これは完治を狙うための治療ですか?」というものでした。
基本的に、がんの治療において再発•転移の場合においては、全身にがん細胞が散らばってしまっているため、完全に無くすという考え方の割合は少なくなります。つまり、全身の癌細胞をいかに黙らせるかという「延命」を意図した治療になるのです。
この手の質問を何度か受け取った事がありますが、号泣してしまったのはこれが初めてでした。それが祖母の死と関係していたかは全くわかりませんが、その人の話してくれた、がんと宣告されて20年間治療されている方のどんな時にでも絶望してはダメだ「希望を捨てずに生きるのが肝心」という言葉はとても私の医療者としての人生に重く温かく影響を与えてくれた事は間違いありません。

突然、限界を感じなくなった。へ

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