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口八丁と文章力

「パウロの手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者がいるからです。

新約聖書 コリントの信徒への手紙二 10章10節 (新共同訳)

こんにちは、キリスト教学校の聖書科教員をしています、くどちんです。牧師です。

先日、神さまが私たちをどこから見守ってくださっているのかな、ということを、私の好きな観劇に重ねて書きました。

もし神さまが2階席や3階席の高い所から見ておられる時があるなら、神さまからの「大向う」がかかるような、そんな「良い仕事」ができたらいいなと思うのですが。

さて大向うといえば、「松嶋屋~!」とか「成駒屋~!」なんていう、アレですね。(この時点で私の好みが分かるな……)

ああいう「屋号」とか、あるいは「雅号」とか言われる「芸名」っぽいやつ。自分だったらどんなのをつけたいですか?

以前、アニメ「クレヨンしんちゃん」の映画で、「雲黒斎の野望」というのがありました。

「雲黒斎」……。うまいことつけたなぁ……という話になって、そこから我がオットと、「互いの屋号やら雅号やらのようなものを考えてみよう」という遊びをしたことがあります。

そこで思い付いたもの。オットは「免独斎」。そう、「面倒くさい」です。我がオットののんびりした「まあええやないの~」という空気感にしっくりきました。「ひとりでだらだらしてても、勘弁してね」という雰囲気の漢字のチョイスもなかなかいい感じ。

私の方は、「朽竹庵」。「口だけやん」という関西弁のツッコミ的な文句をもじってみました。漢字の並びに趣があって、お気に入りです。しかもおしゃべりな私の「口八丁」ぶりが表れていて、我ながらぴったりなのです。特に使うあては無いですけれども。

私はよく「口八丁」と言われます。「おしゃべり上手」という意味でしょうけれど、自分では「口先人間」というような自戒を込めて捉えています。「口だけやん」ではなく、中身の伴った人間目指して修行中です。あ、でも克服したら「朽竹庵」が使えなくなっちゃうな。(別に困るところではない)

聖書には、「口だけやん」の逆の人が出てきます。パウロです。

パウロは生前のイエスに従っていたわけではなく、イエスに従う者たちを迫害する立場にいた人物でした。ところが彼は「復活のイエス」との出会いを経て信仰を得、積極的な宣教者となりました。「新約聖書」に収録された書物のおよそ半分がパウロの手になるものと考えると、「パウロなくしてキリスト教なし」とさえ言えるような大きな実績を築いています。しかし「転向者」であったパウロには、やはりいろんな意味で風当たりが強かったようです。

パウロはコリント(コリントス、ギリシャの町の名前です)の信徒たちのもとを複数回訪れています。冒頭の聖句はその訪問と訪問の間でコリントの教会の人々へ送られた手紙の一節。

どうもね、コリントの信徒たちの所へパウロに敵対する人たちがやって来て、パウロを貶めるようなことを言いふらしていたようです。引用部分の少し前には、「さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強気になる、と思われている、この私パウロ」なんて書いてあります。ずいぶん自虐的な、皮肉な名乗り……。「会うと弱腰」「手紙は重々しいが会うと話はつまらない」。要するに、「文章はいいけど、会うと大したことない」と言われちゃってたんですね。しかもそれが本人の耳にも入るほどに。これは辛い。

けれども、敢えてこれをポジティブに考えると、「文章はいい」というところは敵対者といえども認めざるを得なかったんですよね。それって結構すごいことです。「最大限悪口を言ってやろう」と思っているのに、その手紙の重厚さはさすがに否定できないわけです。パウロの文章力はそれぐらい不動の評価を得ていたとも言えます。

そしてパウロはその筆の力をもって各地の教会へ手紙を書きまくり、そしてその多くが新約聖書に収録されたわけです。そう思うと、パウロの文章力は「神さまに用いられた」ということなのかもしれません。

キリスト教では、神さまから与えられた才能のことを「賜物(たまもの)」と言います。英語だと「Gift」ですね。パウロの文章力は、パウロに与えられた神さまからの賜物、ギフトだったのです。そしてそのギフトを、パウロはちゃんと神さまのために十二分に用いたのです。

私はパウロの逆を言われたことがあります。「この人、文章はイマイチなんだけど、しゃべると上手いんだよねー」と。その時は「そっかぁ……私文章ダメなんだぁ……」と心の内でしょんぼり受け止めておりましたが、「しゃべりは認められた」と思えば良かったのかもしれませんね。あ、でも単に授業でしゃべってる回数が人より多いってだけかも……。(出ました自虐クドウ)

たとえ「口だけやん!」と言われても、「あなたはその『口』でもって神さまに仕えなさい」という啓示だと捉えれば、そこを最大限に活かそうという前向きな考え方ができますね。せっかく「美Voice講座」も受けたことだし、この「口だけ」でも頑張ってもっと磨いていこうかな~。

皆さんに与えられたギフトは何ですか。「ないものねだり」をしがちな私たちですが、「実はすでに与えられている大きなギフト」に注目して、神さまに喜んでいただくことを目指せると良いですね。

……とはいえ、文章の方もこちらのnoteで精進して参りたいと思います。とほほ。

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