バターのようになめらかに、いのちに満ちて

あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。

新約聖書 マタイによる福音書 7章9-10節 (新共同訳)

皆さんこんにちは。くどちんです。キリスト教学校で聖書科教員をして約15年になる、牧師です。

BTSの新曲、「Butter」が発表になりました~! ぱちぱちぱち~!

ご覧になりましたか、皆さん?! かっこい~! たのし~! いやー、良いです良いです!

公開から21時間で1億回再生を突破したそうです。そのうちのたぶん20回以上が私ですね。(ドヤァ)(←おい)

心躍り、思わずステップを踏みたくなるこの曲に励まされつつ、来る夏を楽しみたいものです。

「Butterのようになめらかに」という歌詞がありますが、「Butterは、ARMYのみなさんの日常にバターのように溶け込むBTSの魅力を存分に堪能できる曲」という言葉が公式のコメントにもあります。

なめらかに溶け込んで、おいしくハッピーにさせるもの。それがバター。ワールドワイドなスーパースターとなったBTSの皆さんが、それでもファンの「身近なところ」に存在して溶け込む存在でいようとしている。賞賛と共に一抹の揶揄を含むことも多い「アイドル」という呼称に対して、むしろかえって強気に積極的に、それを自分たちのものとして名乗っていこうとする。そんな自負や気概が「溶け込んでいる」気がしました。

敢えて身近に。敢えてなめらかに。敢えて親しみやすいものとして。

学校で働く牧師である私にとっては、聖書の言葉がまさにそれです。

キリスト教学校といえども、生徒さんの大半はノンクリスチャン。入学して初めて聖書と出会う人がほとんどです。そんな中で聖書を、自分とは関係が無い、何だか小難しそうな、意味の分からないものとして捉えて欲しくない。実は身近で親しみやすく、自分を豊かにしてくれる言葉。そんな風に聖書と出会って欲しい。これが私にとっての切なる願いです。

もちろん、単に「耳に心地良い」というだけではいけないとも思います。「良薬は口に苦し」ということわざもあるように、聖書が本当に「人を生かす言葉」であるからこそ、時に苦みや、簡単には噛み下せないような歯ごたえの強いものがあるのも事実です。自らの罪に気付かされ、裁きの預言の厳しさにうなだれることもあります。

でも。それでも。

やっぱり聖書は「人を生かす言葉」だからこそ、単に「裁かれて終わり」ではないのだ、というところを私は大事にしたい。「悔い改め」が「悔い」だけで終わるのではなく、ちゃんと「改め」に向かえるような、いのちの力を満たしてくれるものなのだと伝えたい。お腹が空いている人には(空いているという自覚をお持ちじゃないかもしれないけれど)、やっぱりまずはおいしく食べてもらえるパンを手渡したいじゃないですか。

以前、柚木麻子『BUTTER』を読んだことについて書きました。

↑ めちゃくちゃ読み応えのある本なので、こちらの『BUTTER』もおすすめです……!

この本の中で、「ミルクってもとは血液なんですよ」と酪農家が語る場面があって、はっとさせられました。

そう、バターって、ただなめらかでおいしくて滋養に溢れている……だけじゃない。そこには「誰かのいのちを生かそうとする」、そんな必死の祈りや願いの中で絞り出されたものだという背景があるのです。

やさしい黄色、つるりと溶け始めたところのやわらかさ、舌を包むまろやかな味わい。バターの一見「なめらかな」姿と特性を、まずはおいしくいただきましょう。でもじっくりと味わうほどに、そのなめらかさの向こう側に気付き始めるかもしれない。単に甘く舌触りが良いというだけではない、血潮滴る深い滋味が感じられるようになったら、体も心も魂も、さらに養われるのではないでしょうか。

聖書と初めて出会う方が、そういう聖書の豊かさにいずれ導いて行かれるようにと願いつつ。まずは「バターおいしいよね! とりあえず食べてみて!」という感じで聖書を語っていきたいと思っているクドウです。

そして良かったら、BTSの「Butter」も聴いてみて! Get it, let it roll!!

(広報担当か?)(立ち位置が謎)(それがファンというもの……) 


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