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縛られることで得られる自由?

神はこれらすべての言葉を告げられた。
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」
旧約聖書 出エジプト記 20章1-3節 (新共同訳)

こんにちは、くどちん、こと工藤尚子です。キリスト教学校で聖書科教員をしている、牧師です。

先日久しぶりに靴擦れしました……。冬はいつもタイツと靴下を重ね履きする寒がりなのですが、この日は珍しくタイツだけでした。いつもより薄手だから擦れやすいのかなぁとも思ったのですが、ふと「いつもより薄手だから靴の中で足が安定していないのかも?」と思い付き、靴ひもをきつく締め直してみました。するとあら不思議、さっきより擦れず、痛くない。すでに擦り傷はできてしまっていたものの、何とか帰宅するところまでは持ち直したのでした。

実はこの思い付きの背景には、先日読んだこんな本があったのです。

著者曰く、多くの人が「自分の足は幅広だからなかなか靴が合わない」と思い込み過ぎなのだそうです。ほとんどの人が、自分の足のサイズを1cm大きく勘違いしているといいます。そうして大き過ぎる靴を履くせいで、足の形や体のバランスまで悪くしてしまいがちなのだとか。

たとえば、爪先が当たってきつく感じる靴は、きついのではなくむしろ大き過ぎて足が前滑りしているため……ということも多いようです。そういう場合、インソールを入れて履き口をぴったり合わせてやる、といった形で解決することになります。きついと思っていた靴にインソールを入れるなんて、なかなか思い付きませんよね?

靴擦れするのは靴がきついせい、靴は大きめを買わないと痛くて履けない、とそれまでずっと思い込んでいた私にとっては、全く真逆の観点で、目から鱗が落ちるような本でした。

そういうわけで、「あ、これは足が靴の中で滑るせいで靴擦れしているというやつなのでは?」と思い当たり、靴ひもを締め直すという方法で解決できたのでした。

「適切に縛られている方が、のびのび歩ける」って、何だか逆説的な印象を受けますね。でも意外と私たちの周りにはそういうことが多いのかもしれません。俳句のように音数や季語などの縛りがある方ことで奥行きが広がる芸術もありますし、スポーツなんかもルール無視だとちっとも面白くないですよね。凧揚げの凧が束縛を嫌ってあの糸を切ってしまったら、もう墜落するしかありません。

冒頭に挙げた聖書箇所は、旧約聖書の「十戒」と呼ばれる戒めの初めの部分です。

自覚的に信仰を持たない人にとって、クリスチャンという存在は「わざわざ縛られに行く奇特な人」と映ることもあるようです。「日曜の朝に礼拝なんて、大変なのによくやるよね」なんてことを言われることもあります。「神さまを信じていると、やるべきこともやりたいことも全部神さまに縛られて、そんなの自分らしい人生って言えるの?」というような反応をもらうこともあります。

でも、「何もかも私自身の好きにして良い」という生き方が、本当に私らしくのびのびと自由な人生だと言えるのでしょうか。欲望の暴走に歯止めがかからず、むしろ自分の生き方を損なってしまうこともあるかもしれません。

かと言って、縛られ過ぎるのももちろん大変です。他人の目、他人の評価、上下関係や常識……。いろんなものに縛られ過ぎて苦しくなってしまうことも往々にしてあることでしょう。それこそ「がんじがらめ」というやつですよね。

「何に」縛られるか、「どこを」縛られるか、というのは、見極めの必要なところなのかもしれません。何でもかんでも縛られれば良いとものではなく、縛られるべき「勘所」があるのでしょうね。

その意味で、「十戒」というのはよくできているなぁ、と感心します。数としてもぎりぎり絞り込まれていますし、挙げられているのも本当に「生きていく上での基本」と言えるような根本的な所を押さえてあります。とりわけこの最初の戒め、「神さまだけを神とする」というのは、最小限の言葉で最大限に私たちの「勘所」を押さえてあるように感じます。私たちはしばしば、自分の欲望や他者の評価、社会的成功の指標などを「神」としてしまいがちですものね。さすが神さま!(びっくりするほどの上から目線(笑))(お許しを!)

「もっと自由にさせてよ」と感じる人もいるかもしれません。でももし「私の生きにくさは何のせい?」と悩むことがあったら、先の靴の例のように、ただゆるさを求めて好き放題にすれば解決するわけではない、ということを思い起こしてください。

神さまという「靴ひも」だけをきちんと締めれば良い、そういう形で得られる「自由」な生き方があるんだ……ということを思い出していただけたらと思います。



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