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「心の疲れ」という丸太に気付こう

あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。

新約聖書 マタイによる福音書7章3-5節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教学校で聖書科教員をしている、牧師です。

先日読んだ本がこちら。

いや、あの、今私が仕事を辞めたがっているとかではないので安心してください(笑) 誰も心配してないかもしれんけど(゚∀゚)!(自虐クドウ)

この中に、著者の岡崎氏の対談がありました。対談相手は、児童精神神経科医の石川憲彦氏。「うつ」やストレスについて語り合う部分で出て来た文章が私にとって衝撃的で、以来ずっと頭の中をぐるぐるしています。

 ストレスと休息を考えるうえで、「身体・頭・心」を分けて考えましょう。身体を使うストレスを一とするなら、頭を使うストレスはその数十倍、心を使う対人関係のストレスはその数百倍。これをまず頭においてください。
 寝ていても休息をとれないのは、ああだろうかこうだろうかと考えたり、誰かに申し訳ないと思ったり、頭や心を使ってしまうからです。身体を動かしていなくても、数十倍、数百倍のエネルギーを使ってしまっては意味がありません。

なーーーるーーーほーーーどーーーなーーーーー!!!!!

……と、膝が砕け散るくらい膝を打ちたくなる一文でした。

「今日すごい疲れたな―」という時、「そんなに大したことしてへんのにな。全然動いてへんのにな」と自分に対して怪訝に思うことがあって、自虐傾向のある私はそんな時はつい「甘えてんちゃうぞ、自分!」と自ら追い込むような考え方をしていたんですよね。

でもこの対談を読んで、「あー、身体を使った仕事をたくさんしなくても、座りっぱなしでも、もっともっと疲れるってことはあるんやなー!」と納得できたのです。人生40年経って、今さら? いやはや、本当に今さらですが私にとっては目から鱗な気付きでした。

私は学校という所で働いていますが、思い返せば生徒との面談や保護者との個人懇談の時期なんかはやけにヘロヘロになったりしていました。あれも「座りっぱなしでただ喋ってるだけやのに、なんでそんな疲れるねん」と思いがちだったのですが、「人と関わる」というのはすごく心を使う営みなんですよね。うん、今なら分かる。

冒頭に紹介した聖句は割と有名な言葉かと思います。他人の目のおがくずを取り除こうとする前に、あんたの目に丸太が入っとるがなー、というツッコミ(?)なのですが。これは「人を裁くな」という話から始まったイエスの「たとえ」です。「人の罪をあげつらって裁く前に、あなた自身のもっと大きな罪が神さまから豊かに許されているということに気付いているか?」という、自己点検を促すような聖句として読まれますし、それがスタンダードな読み方だと思います。

でも、先の「心を使うストレス」の話から、急に全然別の読み方に思い当たったので、ちょっと大胆にもそれを記してみたいと思うのですが。

この「おがくず」や「丸太」を、「疲れ」「ストレス」と置き換えてみたらどうでしょう。

誰かに対して、「ねえ、あなた疲れてるんだからちゃんと休みなさいよ」と言う前に、「あなた自身ちゃんと自分の疲れに気付いていますか?」「あなた自身実はものすごく大きな疲れを引きずったまま無理してませんか?」という「自分へのお手入れの促し」として読めるように思うのです。

この本も『仕事を辞めたい』というタイトルで、働きの場で起こりがちな「無理」について解きほぐす内容なのですが、ほんと、私たちは仕事をする中でつい無理をしがちですよね。同僚に対しては「もうちょっと楽にやりなよ」「早く帰れるなら帰った方がいいよ」と促せるものの、自分のこととなると「もう少し頑張ればもっといい授業になるんじゃないか」とか「まだ他の先生たちも残って仕事してるのに自分だけ帰るなんて」などと思ったりしてしまうことがあります。

人に対しては「休むこと」の大切さを伝えられるのに、自分では「それは甘えなんじゃないか」と厳しく捉えてしまう傾向があるとしたら、「ちょっと待ってー! あなた丸太引きずってるわよー! そら無理だわー!」と警告してあげた方が良いですね。そうやって自分が自分の疲れ(身体も頭も心も)に気付いてちゃんとメンテナンスできたら、さらに他者を思いやったり支えたりできる、すなわち「おがくずを取り除ける」人になれるんじゃないかと思ったのでした。……まあ、だいぶ強引な読み方なんですけどね(笑)

いずれにせよ、心を使うと疲れますよ、皆さん気を付けましょう……ということです。身体を痛めるのは誰が見ても分かりやすいけど、心は目に見えないから、つい無理しちゃいがちですよね。

昨日は所属校の卒業式でした。高3担任だった私にとっては大きな一日でした。それこそ「大したことはしていない」一日でしたが、ものすごーーーく疲れてぐったりしています、今日も。それはきっと、ものすごーーーく心が動いた一日だったからでしょうね。

ゆっくり眠って、身体はもちろん、頭と心も解放してやりたいと思います。

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