見出し画像

ひとりよりもふたりが良い。でも、ひとりでもひとりじゃない。

ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。
倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。
更に、ふたりで寝れば暖かいが
ひとりでどうして暖まれようか。
ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい。
旧約聖書 コヘレトの言葉 4章9-12節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教学校で聖書科教員をしている、牧師です。

夏休みに入り、いつもとは違うリズムの毎日。イレギュラーにそわそわ落ち着かない部分もあるものの、平日でもうまく時間を自分なりに作れたりするのはやっぱりありがたい。日頃なかなか会えない人と連絡を取ったりする機会も大事にしたい期間です。飲み会はできんけどなー。ちぇ。

そんなわけで、先日もある友人に久々に会ったのですが。ちょうど彼女の「推し」の新しいアルバムが発売されたので、その「開封の儀」に立ち会うことになりました。

(「推し」を敢えてカギカッコ付きで書いているのは、この言葉に対する自分なりの気持ちの置き所が今ひとつまだ素直に落ち着いていないものの、対外的にはこれが一番使いやすい……という折り合いのためです。我ながらめんどくさいやっちゃな。めんどくささにお付き合いくださる方は以下の過去記事をご参照いただけますとクドウが喜びます。)

大好きなものを目の前にして、「ぎゃー!!」と歓喜の叫びを上げ、ひとつひとつ開封していく友人。「このポスターめっちゃいい!」「フォトカードかぶり無し! やったー!」などと言いながら、喜びに共感しつつ過ごすのはたいそう楽しいものでした。

一人で開けたって楽しい嬉しいのに変わりはないはずなんだけど、やっぱり誰かに一緒にその思いを共有してもらえると、心の深いところがぽっと温まる気がします。一人だと、全部開け終わった後、急に「すっ……」と現実に帰るというか、上がっていたテンションが冷まされていく感じがあったりしませんか? でも誰かとその思いを分け合った後だと、別れた後もその温もりの余韻が続いて冷めにくいように思われるのです。何だろう、入浴をシャワーだけで済ませた時と、しっかり湯舟に浸かった後との違い……?(どんなたとえや)

そんなほっこりした気持ちで友と過ごした日の帰り道、思い出したのが冒頭の聖句でした。

うん、「推し」のポスターとか一人で見たら、あまりの素敵さにぶっ倒れることあるもんね! 誰かが助け起こしてくれたらありがたいよね!(……なんか違う)(いや、違わない!)(強気オタククリスチャン)

思えば「創世記」で人が造られたくだりでも、神さまは「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」と仰ってるんですよね。私たちは何につけても、隣人と共にいるということの中で助けたり助けられたりする関係として、その存在そのものが意味付けられているんですね。

「この味がいいね」と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日

言わずと知れた俵万智さんの有名な一句です。「おいしくできたよ」とお皿を差し出す相手がいること。「あ、おいしい」と思った時に、それを伝えられる相手がいること。日常の中のごく些細な一場面であっても、そのような心の共有、交流こそが、私たちの生を豊かに彩ってくれるものになるのでしょう。

この度のパンデミックの最も厄介なのは、この「人と会えない、人と会いにくい」というところだろうなぁと痛感しています。「この味がいいね」と一緒に感じられる距離で、サラダを分かち合える友がいない。「この味がいいね」と思った時に、それを伝える相手が目の前にいない。……短期間であればまだしも、それが1年半も続くとは思ってもみませんでした。このことは私たちの魂の深い所を蝕んでしまっているのではないかと、不安になります。

でも冒頭の聖句は、「三つよりの糸は切れにくい」と続きます。「ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する」と語られた直後に、「三つより」? 単なる言葉のあやかしら……とも思うものの、ここにはやっぱり「神の臨在」を読み取りたいと思うのです。

私たちが何者かに攻められたり、苦境の中で倒れたりする時、すぐそばで助け起こしてくれる、一緒に困難に対してくれる友がいることはとても嬉しい、望ましいこと。でも、たとえ実際にそういう伴侶がそばにいてもいなくても、見えない形でもうお一方、神さまがそこにいてくださる。一人でいても、一人じゃない。ふたりでいても、三つより。そんな励ましのメッセージがここにはあるんだろうな、と思います。

だから推し活中のみんな! もし一人で「推し」のアルバムやグッズを開封することになっても、寂しくないからね! 神さまが「ま~たそんなに買って……。おっ、でもランダムカード、いいの当たったやん」とか何とか言って、苦笑しながらそばにいてくださってるんじゃないかな、なーんて思ったりしています。(勝手過ぎる神さまへの信頼(笑))



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?