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もうずっと前、二十数年前の不登校のこと(1)

それは恥ずかしいことでした。

もう二十数年も前、僕が中学生だった頃の話をしようと思います。
中学生の僕は当時としては珍しかった不登校というものに、なってしまったのです。
不登校への偏見も多かったあの時代ですから、それなりに苦しみましたし、色々なことを考えました。そこから何をどう乗り越えて、一端の社会人となり、結婚もして子どもたちにも恵まれた現在の状況になったのか?

いま不登校の真っ只中の君たちもいるだろうし、それを見守りつつ、どうすればいいのか悩んでらっしゃる親御さんも読んでいるかもしれません。
僕が経験した不登校と、当時の僕や家族はそれをどう乗り越えたのか?

僕の場合、不登校の始まり

自分で言うのもおこがましいですが、僕は中学生の頃、勉強のできる優等生でした。
優等生だった僕がある日、不登校になったのです。
冬休みの連休明け、インフルエンザを患って一週間学校を休みました。その後何となく学校に行っても楽しくない、笑えないという日が続き始め、あれは次年度の新学期が始まってすぐの頃、プツリと学校に行くことが出来なくなってしまったのです。 

今でこそ不登校なんていうもの、あちらこちらで話を聞くし、認知度も上がっていますが、平成も始まったばかりのあの頃は、不登校という言葉すらなく、登校拒否と呼ばれていました。病気でもないのに学校に行かないのは甘えで、叱ってでも学校に行かせるのが親の責任であると言うことを、世間の誰もが疑っていない時代です。学校に行かないのではなく、行けないのだと言うことを理解してもらうのは不可能に近いことでした。

何が不登校になる原因だったのかは今更考えても仕方のないことなんだろうと思います。確かに不登校になる前に友達との確執があったり、人生で初めての恋愛を経験して失恋したりと、中学生としては当然の経験をしていました。でもだからと言って、失恋も友達との確執も不登校の原因になることもあれば、ならないこともある訳で、それ自体が悪いことではありません。人として成長する過程で経験することであり、いわば青春の一ページです。

当時の僕は色々な本を読んで調べました。
僕はどうなってしまったのか? どうして何をしても楽しくなくて、こんなに人と会いたくないのか? そして人が怖いのか?
ある本でこの単語に出会いました。
“うつ病”
中学生の僕は初めて聞く病名です。しかしそこに書かれる症状は僕の状態そのもの。
これだ!
すぐにそう確信しました。

次回、心療内科というものの扉をたたく


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