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もうずっと前、二十数年前の不登校のこと(2)まだまだ絶望の中

僕は二十数年前、中学2年と3年の大半を不登校児として過ごしました。
そのときに感じた絶望と苦しみ未来への不安感は、図らずも不登校になってしまった子供たちや、その親が皆大なり小なり感じるものであると思います。
僕は不登校でありましたが再び立ち上がり、今では社会人として働く一方、家庭を持ち子供たちにも恵まれました。
その経験を踏まえて、「不登校なっても大丈夫!」と胸を張って言うことができます。
それを今、苦しんでいる子供や親に伝えたいのです。

心療内科というものの扉をたたく

二十数年前の地方の田舎町で、心療内科という病院は得体のしれないものだった。内科なの? 精神科なの? いったいどういう病気の人が掛かる病院なの? だれにも正確なことは分からない、そんな病院です。
かろうじて精神科に行くよりは敷居が低そうだ、大方の人が感じるように、中学生の僕でもそんなことを考えていました。
学校に行けなくなって一ヶ月ぐらい経ってから、僕は母に相談してみることにしました。
「心療内科に行ってみたいんだけど」
「は? 精神病院? 何であんたが精神病院に行くわけ?」
当然母はギョッとした表情をしました。
「精神病院じゃないよ。心療内科。ほら、不眠症の人とか、叔母さんみたいな更年期の人とかが行くところ」
今考えると随分語弊のある説明ですが、当時の僕はそんな風に心療内科を説明した記憶があります。なにせ当時、街に心療内科がゴロゴロあるような状況ではありませんでしたし、今のように身近な病院でもありませんでした。
当時自宅にあった現代用語の基礎知識の中の「うつ病」の項目を母に見せました。
「俺、これかもしれん」
「なんねそれ、そんな病気あるの?」

誰にも分からない

兎にも角にも心療内科に連れて行ってもらいました。
そこで自分の状況を先生に説明しました。
先生は考え込んでしまいました。
「確かにうつ状態ではあるけど、中学生がうつ状態になるというのを聞いたことがない」
当時の僕はまだ中学生でインターネットというものすらない時代ですから、調べることもできなかったのですが、二十数年前、中学生がうつになるというのは極めて稀なことで、症例も殆ど無かったようです。
「一応、気持ちの落ち着くお薬を出しておくね」
そして僕は少量の精神安定剤(今考えると抗不安薬だと思うけど)をもらい、病院をを後にしました。
「夏休みまでには学校に行けるようになるかねえ?」
「さぁ? 行けるんじゃないかな」
不登校生活1ヶ月。すぐにもう一度学校に行く日が来ると思っていました。
母も、僕も。
だけどまだ、僕の不登校生活は、長い長いトンネルの入り口を入ったばかりなのでした。

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