公認心理師の上位資格について

公認心理師資格について、以前より上位資格が作られるのではないかという話がありました。それがこの最近、実際に設けられ始め、一部の心理職の中では、研修機会の増大や、金銭面の負担などが懸念されているようです。

そもそも公認心理師資格は、様々な心理療法の専門家集団が、意見をすり合わせながら作ってきた経緯があるらしく、全体的な統率はあまり取れていない。最大公約数のような形で作られた面がある。

また、実際はまだ民間資格である臨床心理士資格の方が専門性を担保しているところもあり、国家資格<民間資格というねじれ現象が起きているのが実情です。

上位資格を懸念する側の意見を調べてみると、「資格ビジネス」のように、社会的地位や業務の保障といった中身が与えられぬまま、虚ろな上位資格がはびこることを懸念しているようです。また、更なる分裂を生むのではないか、という不安も目にします。そもそも決定過程に会員の総意が反映されておらず、議論の過程も示されていない。不安になるのはもっともです。

しかし、資格を作る側から考えると、そうした懸念も想定しない訳がない。となると、では何故そうしたのかという疑問が浮かびます。事実は入り組み厳密に確かめられませんが、推測はできる。

恐らく、資格ができてまだ3年程度。更なる混乱を招くのは控えたい。しかし、社会福祉士や看護師など、他の資格でも上位資格は作られている。ただでさえ経過措置で、最初は取りやすい資格でもあった。専門性の研鑽のためには、当然のシステムでしょう。つまり、いずれにしても作る必要性はある。

更に大局的に考えるなら、徐々に臨床心理士と言う民間資格から公認心理師という国家資格へと、代表資格をシフトさせたいはずです。なぜなら国家資格の場合は他資格と同様に、医療など社会システムにも組み込んでいきやすく、保険適用や業務独占といった、利用者への利益にもなる(そもそも資格自体が利用側への専門性の担保である訳ですが)。

そう考えると、長い目で見れば、公認心理師資格に上位資格というシステムの器ができるのは、十分に意味のあることではある。

もっと穿って考えるなら、資格や組織といったシステムは、規定や構造といった器は残っていきますが、人は世代交代します。そうした意味でも、「とりあえず上位資格という決まりを作る」というのは、「必要だけど議論がまとまらない」よりは、賢明な判断でもあるでしょう。

もっとも、そもそも上位資格の専門性を作り出していくのは、他ならぬ資格保有者である私達なのです。それは人任せでは作られてはいかない。社会への働きかけのみでなく、草の根的な実績も必要です。個々の意識が重要となる。

このように考えると、ただ単に上位資格が作られたという表面的な見方をするよりは、「その流れをどう活かすか」「長い目で見てそれがどのように役立てていくか」「それを土台に専門性をどう作っていくか」を、主体性に考えていく方が建設的でしょう。

しかし、人間ともすると、自分自身の利害や、表面的なメリット・デメリットに視野が狭くなりがちです。「自分自身も含めて全体を見る」という視点は、なかなか広まりにくい。そのようなメタ認知とを保持するのは認知的資源を多く用いるし、得手不得手もあります。

とは言っても、不満は声として目立ちやすく、サイレント・マジョリティの声はかき消えやすい。特にTwitterなどは大きな流れは生み出しうるものの、議論は非常に深めにくいツールです。体感の伴わない、文字だけが一人歩きをする。

恐らく、長い目で見れば、臨床心理士資格は世代交代し、上位資格と臨床心理士資格が同等に扱われる長い時期を経て、公認心理師メインに代わっていく。そういう流れが作られ始めているし、必定でしょう。

一時的に専門性の質は薄まるでしょうが、いずれにしても(どんな資格でも)人間集団なので、質のばらつきは避けられない。しかし、それでも真摯に活動する人間さえ居続ければ、ある程度の専門性は保障されていく、と推測されます。

この論自体も実態を正確に把握できぬまま書いているので、穴ぼこだらけでしょう。自分を棚上げして俯瞰した話でもある。でも、大きな流れはこうなるんじゃないかなあ。ちょっとまとめてスッキリ。


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