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欠乏が人を盲目にするというのなら

面白い実験があります。
ずばり、ダイエット中の人は盲目になるかを検証したもの。

画面上に赤い点が見えたらボタンを押すように。被験者へ与えられた指示はこれだけです。

それでは、実験開始。

被験者の目の前で画面がパッ、パッと次々切り替わります。ときどき点が現れる直前に別の画像が画面上にパッと表示されます。別の画像とは、食べ物であったり、空や動物などであったり。

ダイエットをしていない被験者にとって、直前の画像は点が見えるかどうかに影響しませんでした。

まあ当然ですね。

しかーし!

ダイエット中の人には興味深いことが起きました。食べ物の画像を見た直後だと、赤い点が見えにくくなったのです。たとえばケーキの画像をパッと表示すると、ダイエット中の人がその直後に赤い点を見る確率が下がる。まるでケーキが彼らの目を見えなくしたかのように。

これこそ、欠乏の厄介な問題です。ちなみにこの研究のタイトルは「私に見えたのはケーキだけ」です。

欠乏の行動経済学

僕がこの実験を知ったのは『いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学』という本の中でのことでした。欠乏が引き起こす人間の行動の変化についてこれでもかと事例を挙げて書かれている面白い本です。

この本の中で、人々は締め切りが迫っている時、貯金を切り詰めている時、ダイエットしている時など、何かが欠乏している状態の時トンネリングと呼ばれる注意欠陥状態に陥ることが取り上げられていました。

たとえば、お金持ちでも貧しい人でも、お金が欠乏していると感じる状況の中ではお金以外について難しいことを考えられなくなってしまうんだそうです。

トンネリングに陥ると、トンネルの中のこと、つまり締め切り間近の課題や支払いの迫ったお金のこと、空腹を満たす食べ物のことなど以外には注意が向かなくなります。トンネル内のことには没頭できるんですけどね。

欠乏による不注意は制御できない

最初の実験の延長ですが、ダイエット中の人は他にもドーナツという英単語を見つけた後に中立的な英単語(雲など)を探すのに苦労することがわかっています。

ドーナツが頭の中を離れず、心をかき乱し、注意を引き付けてしまうのですね笑。身に覚えがある方もいるのでは?

同じように、あるプロジェクトや課題の期限が差し迫っている時、それとは関係のないことをしている人は心ここにあらずの状態になってしまいます。大学や会社という場所にはこういう人がたくさんいますよね。

ここから予想できることは何か?

学費に苦労している学生はそのせいで成績が落ちやすくなり、貧乏な人は貧乏なために新たな健康習慣やスキルを獲得するのに苦労するのではないかということです。著者の研究によれば実際そうなっています。

学力が低いから貧しいのではなく、貧しいから学力が下がるし、思慮が浅くなってしまうんですね。

トンネリングはふつう、意識して集中しようとする力より強力です。何度目かのダイエットの挑戦中に冷蔵庫の中にケーキをしまっておくとそのことがよくわかるでしょう。

そういうわけなので、注意を逸らす原因は減らすに越したことはありません。目に入ってしまうと心を奪われてしまう。欠乏を感じている人は注意を逸らすのにかなりのエネルギーを消耗しちゃいます。

何を足りないと思わせるか?

欠乏が人の行動をコントロールしてしまうことはわかりました。

では、この視点を持って社会を見てみましょう。

すると、「何を足りないと思わせるか」をコントロールすることで人々の思考の枠組みをコントロールしている例がたくさん見つかります。

一番わかりやすいのは、お金。

たくさんの人が、支払い期限や「ヨキンザンダカ」や「ロウゴノシキン」のために心を奪われてますよね。お金がなくなると生きていけないと固く信じているので、常に「まだお金が足りない」という欠乏マインドにあります。

そのため、貨幣経済社会にいる人々の多くはお金を稼ぐことを考え、賢ければ「そのためには広く『ありがとう』と言ってもらえる必要がある」などと考え、社会全体に利益をもたらすため奔走してくれます。

国家はお金というただの紙切れ、あるいは電子情報を発行するだけでそれを使用するすべての人の思考の枠組みをガチッと制限しているのです。いやあ、あっぱれ!

あとは、自由もそうだと思います。

現代はどんなものでも選択肢が増えてますよね。これは少し前の人たちが「自由が足りねえ」と欠乏マインドで選択肢を増やし続けてきたからでしょう。

結果、選択肢が増え過ぎた今、今度はなんでも選べるのって疲れるという方向に価値観がシフトしているのは面白いなと思います。自由恋愛になった結果、ソロ充な人が増えたのは象徴的じゃあないでしょうか。自由の欠乏が起こしたトンネリングの魔法が溶けてきたと見ることができます。

若者にどうなってほしいか?

欠乏が人々をトンネリングに陥らせるなら、構造的に「何を足りなくなりやすくするか」「足りないと気付きやすくするか」をコントロールすれば人を誘導することができるはずです。

どうせ人は足りないと感じる何かに行動を制御されるので、国家や自治体がシステムを作るときは上手いことそれを利用した方が良いのではというのが僕の考え。

次の時代を作る若者達にどんなマインドを持ってほしいか?

それを欠乏していると”気づかせる”にはどんな仕組みが良いか?

たとえば、若者には辛気臭いことを言って欲しくない。もっともっと面白いことを考えてほしいと思うならどうすればいいか。

これについては、お笑い芸人の教育が参考になります。
先輩芸人は後輩芸人を育てるためこんなことを言うそうです。

「飯は俺が食わせてやる。ただし、食事の時に必ずオモロイことを話せ。オモロなかったらその日の飯はなし!」

こう言われた若手芸人は、四六時中面白さが欠乏している状態に陥ります。面白いこと以外に頭が回らない笑

これを地域社会に応用してみましょう。
「自治体の予算で無料のシェアハウスは提供してやる。ただし、ここに住む大学生は地域を盛り上げる・アピールするオモロイ企画をYouTubeでアップし続けなさい。月に100人フォロワーが増えなかったらその月の家賃・光熱費は自腹だ。」と言ってみたらいいんじゃないでしょうか?

大学4年間、ずーっとその地域を盛り上げるオモロイ方法を考え続けた学生を育てることがどれだけ地域にとって価値ある存在になるかは計り知れないんじゃないかと思います。

欠乏欠乏マインド

こんな感じで欠乏という観点からいろんなものを眺めて、世の中に応用する方法を妄想したら楽しめるんじゃないかと思います。

何を欠乏させようと意図された仕組みかを察することができれば、自分は意図的にトンネリングを避けたりあえてはまってみたりすることもできそうですしね。

ではでは、今日はこの辺で。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

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