第6話 割に合わない依頼
ホールケーキのようなこの黄泉世界は、それぞれ異なった神の領域で、ショートケーキのように分断されていた。
上から円グラフのように見れば、倭国の黄泉世界は、倭神領域として約二十パーセントほどを占めている。
倭神領域のその中心には怨霊崇徳が居する。
その居する迷宮にから絶え間なく、大量の妖気を放っている。
その妖気は、現在おおよそ十五の層に分かれていて、討伐者達は、怨霊崇徳のいる最深部の層を第十五層と呼んでいる。
討伐者の拠点となっているまだ妖気に侵食されていない場所、つまり円周付近、そこから中心にかけて、一層、二層と数えていく。
層ごとに妖気は濃くなり、妖気が濃いほど、強い妖怪が存在している。
その妖怪達は怨霊崇徳を守るためにその迷宮に続く森を守護している。
討伐者たちの拠点には、神と交信できる眷属の住まう神社を中心に、街のようなものが形成されている。
宿屋、討伐隊の事務所、装備類を購入したり、浄化結晶石を換金できる商店などがある。
その全ての経営は眷属が行っており、人は関与していない。
しかし昨今、見えざるものの存在を認識出来ない人が増えたため、人という観測者によって生み出される『物の怪』があまり産まれてこなくなっている。
眷属とは、神に仕えることになった『物の怪』の類いであるため、『物の怪』が産まれてこなければ眷属もまた然り。
現世と天界との中間に存在する黄泉世界も今は人手不足ならぬ、眷属となり、それを解消するために使われるようになったのが、AIアバターというから面白い。
そこは討伐者のあつまる黄泉界の酒場だった。
運営しているのは、眷属ではなく、自分で考え、まるで人のごとく行動できるAIアバターだった。
メタバースの中に用意されたゲームとして作られた疑似黄泉世界で学習したAIアバターを、黄泉世界に取り込んで眷属の様に使役している。
この酒場、酒場と言ってもアルコール類はない。
飲み物と食事と、情報交換の場所だが、討伐者たちはそう呼んでいる。
酒場は、討伐者としての経験が浅い三級以下の者が集まる場所でもある。
その一角に討伐隊メンバーの募集や、討伐の手助けなどの依頼、妖怪の情報などが掲示されている掲示板がある。
今その前に一人の少女が、おどおどした様子で立った。
やがて意を決し、精一杯の声を振り絞った。
「二級陰陽術師の白雪と申します。討伐者の皆さんにお願いがあります」
騒がしかった酒場が一瞬静まりかえるほど、彼女の声には、強い意志が感じられた。
「どなたか、私の親友を救出に行ってくださいませんか! 7日ほど前、彼女は第六層を目指す討伐隊に加わりました。しかし昨日、その討伐隊は帰還しましたが……うちの二人が六層ではぐれ、まだ帰還していません。その一人が私の親友のはるちゃんです。どなたか助けに行ってくれる方はいらっしゃいませんか?」
「いくら出す?」
等級の高そうな討伐者の男が言った。
「今、私の持っている全財産は金貨四枚です」
それを聞いた討伐者達はざわついた。
「六層まで行く危険を考えたら、それはいくら何でも安すぎだな。討伐しながら稼げば良いが、最短で行くとなれば赤字だ」
他の討伐者たちも口々に否定的なことを言いだした。
「単独でいくならどうだ?」
「おいおい、六層だぞ。ソロでの討伐は無理だろ」
「まあ、五級以上の防盾術師か、槍剣術師ならなんとか」
「五級以上のやつがこんな下級の酒場に来てないだろう」
防盾術師らしき赤毛の耳と尾を持つ男が立ち上がった。
眷属の狛犬だ。
「来週、俺たちの隊が六層を目指す予定だ。そのついででよかったら、救助できるぞ。だが今日から数えて五日後だな」
「ありがとうございます。でも、それでは間に合いません。おそらく触媒は明日にでもつきるのではないかと思います」
触媒とは術を発動するための必須アイテムだ。
部屋の隅に立っていた槍剣術師らしき女の討伐者が白雪に近づいた。
「で、嬢ちゃん。その二人の職はなんだ?」
「陰陽術師と結界術師です」
「結界を張っている限り生きてはいられるだろうけど、触媒がなくなれば終わりだね。残念だけど諦めたほうがいいわ」
白雪は、必死に何か言おうとしていたが、涙だけがあふれてきて泣き声をこらえるのが精いっぱいの様子で、言葉は出てこなかった。
見かねた酒場の主人がやってきた。
AIアバターであるが、人がそれと気づくことはできない。
「おいおい、こんなかわいい嬢ちゃんが、必死で頼んでんだ。俺が五金貨だすぞ、だれかソロでも行ってやるって度胸のある奴はいないのかよ」
「そう言ったってなあ、五級にもなってソロやってる奴なんて、殆どいないだろう……ソロでやってるのは駆け出しで隊に入れないやつぐらいだよ」
「役に立たないかもしれませんが、私も行きます――」
震える声で白雪は言った。
「よしなよ嬢ちゃん、二級の陰陽術師なんて、六層じゃお荷物にしかならないよ。無駄死にするだけ」
さきほどの女性討伐者が諭した。
実はこの女も、討伐者を装ったAIアバターで、討伐に出たこと無く、討伐者を援助するための存在であったが、討伐者たちには認識出来ない。
「でも、大切な親友なんです! 私が危なかった時も絶対見捨てたりしなかったんです。だからどうしても助けたいんです」
白雪は床に膝から崩れ折れた。
(これは罪滅ぼしのチャンスかもな……)
一人で食事をしながら、その様子を見ていた尊は立ち上がった。
「俺が行こう」
「おおっ――」
その場で彼女を見守っていた討伐者たちが声を上げて、尊のほうを見た。
その防具は汚れや傷がついていたが、それがベテラン討伐者だという証拠でもある。
この世界の防具は布、皮、金属のように見えるものも、全て浄化結晶を材料として作られていて、みな同じ強度で見た目とは関係ない。
黄泉世界には神ごとに領域があり、倭国の神が司る倭神域では、その眷属が作っているため、和装の防具を着けている者が多い。
武者鎧を着けている者もあれば、忍者やくノ一、僧侶や巫女、浪人風、たまに西洋風の鎧や縄文時代の鎧なども見かける。
だからその装備だけで職は推察できないが、その装備の状態を見れば誰でも経験豊富な討伐者と見て取れるのだ。
泣き崩れていた白雪も、笑顔をみせた。
「いだぞいたぞ、勇者がいたぞ!」
酒場の主人が全面の笑みで叫んだ。
「お前さんまだ若そうだが、職種と等級は?」
「まて、そいつ回復術師だぞ! 以前俺の隊で雇ったことがある。男の回復術師なんてめったにいないから覚えてる」
それを聞いた他の討伐者たちが笑い出した。
「あっははは、こいつばかか、回復術師がどうやってソロで行くんだよ」
「おいおい、回復術でソロプレイなんて一層でも無理ゲーだろ、とうやって妖怪倒すんだよ。ガハハハハ。こいつぁあ、ひでー笑い話だぜ」
「全くだ。冗談じゃないぞ、嬢ちゃんをぬか喜びさせやがって!」
ヒーローを見るかのようだった群衆の目が、一瞬で冷淡視線に変わる。
一瞬歓喜の表情を浮かべた白雪の顔がみるみる落胆に変わっていく。
宿屋の主人が、それに気づいてその肩をポンポンと叩いて慰めた。
尊は、周りの声を無視して、白雪のそばに近づいた。
その前にひざまづき、下から彼女の顔を見上げた。
「報酬は後払いでいい。いや成功報酬でいい。俺は尊だ。ずっとソロで討伐している。五層迄しか経験していないが、六層なら行く自信はある。だが生きて連れ帰れるかどうか、その保証はできない。それでよければ俺が行こう」
「わかりました、私も行きます!」
「おいおいやめとけ。回復術師がどうやって妖怪倒すってんだよ、絶対死んじまうぞ!」
酒場の亭主が止めに入った。
「そうたそうだ。そいつ頭おかしいぜ。一人で行かせろ、どうせ戻って来やしねーよ」
周りの連中も次々とその意見に賛同した。
尊は酒場から戻ると直ぐに装備を調えた。
翌朝早朝に宿屋から直ぐ迷宮森に向かった。
迷宮森は怨霊崇徳の迷宮を起点に広がっている森だ。
怨霊崇徳の発する妖気を吸って繁殖している木々が育つ。
昼でも生茂る木々の間にわずかな木漏れ日が差し込んでくるが、日中でも薄暗い。
その迷宮森には討伐者達が歩いた獣道のようなものが、森の開けた安全な地である拠点から三本続いている。
さらにその両脇には十数本の細い道が存在はするが、ここ何年もあまり使われず、どこまで道があるかは不明だ。
ただし、道から外れれば、たちまち方角を失うため、妖気磁石をもって行動する。
三本の討伐者道を外れると、妖気だまりという、妖気が溜まって濃くなっている場所が沢山存在し、妖気磁石も狂ってしまい遭難の可能性は高まる。
よって特別な理由が無ければ、討伐者は三本道の真ん中にある中央道を使うのが常だ。
尊が中央道の入り口に向かうと、そこには白雪が待ち構えていた。
昨夜別れ際に、白雪に問われたので予想はできたことではある。
「良かった間に合った」
直ぐ側に焚き火の跡、寝袋があった。
「えっ、もしかしてここで一晩明かしたの?」
「はい、どうしてもお渡ししたいものがあったので」
「それはいいけど、一人で野宿なんて怖くなかったの?」
「平気です。ハルちゃんのいる六層の事を思えば全然。これ触媒です。持って行って下さい」
白雪は拳大の袋を開けて尊に見せた。
中には白い砂粒のような触媒が入っている。
触媒は妖怪が滅したときに残る浄化結晶を砕き、神社で3日間祈祷し妖気を完全に除去したものだ。
討伐者にとっては術を発動するときにかならず必要なものである。
この世界では討伐者は自分の生体エネルギー[=生気]を外に放出させることで、様々な現象を起こさせることができる。
だが、生気は無尽蔵にあるわけではない。
全力で三十分も放出すれば、立っていることも困難になるほど消耗する。
下手をすれば昏睡状態になり、直ぐ治療しないと永久に魂が肉体に戻れなくなる、つまり死んでしまうのと同じことだ。
触媒を使えば、微弱な生気の放出でその百倍もの現象を発現させることができるのだ。
つまり術を発動するのに不可欠なものなのだ。
なお触媒は、所持している場所を意識すれば使用することができる。
直接触れる必要はなく、体に身に着けていれば使えるのだ。
「ありがとう、助かるよ」
尊が背負っているリュックを下ろそうとした。
「あっ、私が入れますので、後ろを向いてしゃがんで下さい」
「そう、じゃあ頼む」
尊は後ろを向いて、その場に片膝をついた。
「失礼します」
白雪は尊のリュックの蓋を開けて、持っていた袋を詰め込んだ。
蓋を閉めポンポンとリュクを叩くと、白雪はいきなり尊の背中から抱き着いた。
「えっ! なっ、なに……」
尊はちょっとパニックになった。
女の子に抱きつかれた経験などないから慌てて当然だ。
またいくら黄泉世界だからといって、そんなことは普通しない。
白雪は尊の右側から耳元に顔を近づけた。
尊の鼻孔に甘く優しい香りが入ってくる。
その香りは尊の心を落ち着かせる。
だがそれもつかの間、耳元で白雪が囁きだすと、全身に電気が走ったようにびくっとした。
「どうかご無事でご帰還されますように」
尊の首元に何か生暖かい、そしてすぐ冷たくなる何かが落ちた。
それが白雪の涙だとすぐに分かった。
白雪が離れると、尊は立ち上がり白雪の方に向き直った。
その時の尊の顔がゆでだこの様に真っ赤だったので、白雪は目に涙を浮かべながらも、自分も真っ赤になった。
「ごっ、ごめんなさい! 私つい……」
白雪自身にも突発的、ほぼ無意識の行動だったかのようだ。
「あっ、いや、うん……大丈夫、ちょっとびっくりしただけだから……」
「あの……一つだけ聞いてもいいですか?」
「なんだろう」
「なぜ、こんな危険な依頼を引き受けてくれたんですか?」
「えっと、お金のため。と言ったら信じる?」
「いいえ……割に合わないですから」
「だよね。以前ある人を連れて帰れなかった。そのことの贖罪みたいなものかな。俺は自身のために行くんだ。だからもし俺に何かあっても、君は自分を責める必要はない。いや、ちがうな……俺、自信があるから行くんだ。死ぬ覚悟があるわけじゃないから」
「そうなんですね。帰ってきたらその話聞かせてくださいね。私は尊さんがハルちゃんをつれて戻って来ると信じてます!」
「うん、任せて! 必ず救出してくる」
「はい。あっそれと、この子も連れて行ってください」
白雪が右手を上げて、「来て、モコちゃん!」と呼んだ。
すると空中に白雪を小人にしたような容姿の式神が現れる。
「はい、ご主人様、モコちゃんでーす!」
(式神ってこんなおちゃめな態度とるんだっけ……)
式神は使える主人の思考で具現化するので、白雪は自分の分身をイメージして式神を出している。
その性格は主人そのものか、もしくは自分がなりたい願望の人格で出現するといわれている。
「モコちゃん、尊さんのお供をお願い」
「えーっ、こんな平凡な男のお供ですかー、もっとイケメンだったらいいのに!」
(なんだよこの式神、失礼な――)
「こっ、こらー! 尊さんは十分かっこいいです!」
(いや、そんなにむきになってフォローしなくてもいいよ。自分の容姿は分かってるから……)
「えーっ、ご主人って男の趣味悪かったんですね」
「もう、黙りなさい!」
白雪は頬を赤らめて頭を下げた。
「ごっごめんなさい、尊さん」
「えっと、でも式神って主人から離れたら消えちゃうんじゃない?」
「はい、私から2時間以上の距離に離れたら5分ぐらいで消えてしまいます。でも出現させず、憑依させておけば消耗しないので、緊急時に出現して、足止めぐらいはできるはずです」
(へーそんな便利なことができるのか、初めて知った。俺いつもソロだからな……)
「なるほど、それはいいね」
「モコちゃん尊さんに憑依。そうね、剣がいいかな。後は貴方の判断で様子を見守りつつ、緊急時に出現しなさい」
「はーい、わかりました」
モコは、不服そうではあったが素直に尊が腰に下げている剣に溶け込んだ。
続く
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