【イベントメモ】『シャープさんのSNS漫画時評 スマホ片手に、しんどい夜に。』刊行記念 山本隆博(シャープさん)トークイベント

●2023年9月18日(月)18:00〜
●場所:青山ブックセンター
●登壇者:山本隆博さん(シャープさん)、たらればさん
●刊行図書:「シャープさんのSNS漫画時評 スマホ片手に、しんどい夜に。」(講談社)

 これは絶対、すごく、すごく素敵なトークイベントに違いない! 告知を見た瞬間チケットを購入。そわそわしながら表参道まで。

*発言は走り書きをそのまま書き写したもの。若干の齟齬があるかもしれない。

電卓の話

シャープさん:
ウケる家電とすべる家電がある。広告費をかけてもらえるテレビや冷蔵庫などとは違う。たとえば電卓。公認会計士の先生たちの必需品で、広告費に関係なく話題が上がる。

 これは個人的にめちゃくちゃアガってしまった。公認会計士の世界はまったく知らないけど、同じような現象が他の世界にもあるんだな……という親近感。私にとってのこの「電卓」は六法全書だ。

 法学部生の必需品と聞かれれば、誰もが思いつく六法全書。しかし六法にもいろいろある。ポケット六法、デイリー六法、判例六法、司法試験用六法、なんちゃら実務六法、ナントカ法六法……。その中でも活発なのは「ポケット六法かデイリー六法か」じゃないだろうか。
 大学生のときは特に、ポケット六法とデイリー六法で論争している男子学生を見かけた。条文に書き込みやすいのはどっちか、ペンで書きやすい紙を使っているのはどっち、サラサはこっちで万年筆ならあっち、こっちはインクが滲むだろうが、あっちはページがめくりにくい、それはお前の指がかさついてるんだ指なめとけ、何ページにどのくらいの文字が掲載されていてポケットとデイリーでちょっとずつページ数が違って、……という、きのこたけのこ論争もおっかなびっくりな、しかし当事者にとっては勝鬨をあげたくて仕方がない論争がしばしば行われる。ちなみにポケットとデイリー、どっちを選んでも教授の心象が良くなることもなければ、試験に合格しやすくなるわけでもない。本当にどっちでもいい。

 ポケット六法かデイリー六法か、有斐閣か三省堂か。もちろん出版社同士はお互いを意識しているだろうけど、彼らは気づいてくれているだろうか。もしかしたら今もどこかの大学の、法学部の建物の片隅で、「どっちの六法がより優れているか」論争が繰り広げられていることを。
 毎年何かしら改訂される六法は、最新版を持っていないと学部生も実務家も笑われる。そんな一定数の顧客を既に獲得できている出版社にとって、出版部数を伸ばせるほどの威力はこの論争にはないかもしれないけれど、出版社の看板を背負っていない学生たちが愛を込めて議論していることに、ちょっとだけ気づいてもらえたら嬉しいな、なんて、ニヤニヤしてしまった。


主語を小さく

シャープさん:
会社の広告は「我が社は」といったように主語が大きかった。それを「私は」と、言葉の主語を小さくしようと思った。

 なるほどー、と思った。このお話は『スマホ片手に、しんどい夜に。』のまえがき部分でも語られていて、そちらともリンクしていたこともありとても聴きごたえのあるものだった。

 主語が小さかった人のおかげで、とても助かった思い出がある。二年ほど前、神奈川ペイの恩恵に与るため、長らく足を運ぶことがなかった家電量販店に行くことになった。母の代から私の代へ受け継がれ、20年の寿命を見事にまっとうした冷蔵庫を買うためだ(ちなみに粗大ゴミに出す時に調べたところ、冷蔵庫の寿命は10年だった。プラス10年も耐え抜いたとは恐れ入った)。

 店員さんにはいろいろ無茶なことを言った。置き場所の採寸や予算以外にも、大容量の冷蔵庫がいいこと、タッチオープン式でなくてもいいけどガラスやステンレスはちょっとやだ(マグネットがつかないから)、冷凍庫は小さくてもいいけど大小ふたつほしい、野菜室は大きくて、素材が腐りにくいエコなやつ、などなど。こうやって書き出してみると注文が多すぎることに今更気づく。しかも神奈川ペイとマイナポイントを連携した挙げ句楽天ペイ支払いを希望しているポイント三重取りを目論むケチくさい客。なんていうか、違う意味で主語がでかい。これを相手にしなくてはいけないとは、店員さんはさぞ面倒くさかったと思う。

 こんな客だというのに、店員さんは本当に親身に寄り添ってくれた。私がどのくらいの頻度で料理をするか、どんなものを料理するかを店員さんは世間話のような形で聞いてきた。メインを張れる一品料理でその日のうちに食べてしまうか、何種類か作り置きして何日も保存しておきたいか、日持ちのするものかしないものか。
 それぞれ、私の要望だけではよくわからない点を補うための会話だった。大きめの棚が必要か、タッパーがいくつか入れられればいいのか、冷蔵と冷凍のどちらをより好むか。こうやって事務寄りの質問に変換できるのに、店員さんはそうは聞かなかった。私は「店員さんと楽しいおしゃべりをしちゃってるなあ」なんて、のんきに思ってたくらいだった。

 これがAIなら、もしかしたら
Q 大きい棚は必要ですか
Q タッパーはよく使いますか(またはタッパーを多く所有していますか)
Q 冷蔵で保管するもの、冷凍で保管するもの、より頻度の高い方を選んでください
 などなど、質問を羅列して、最終的に集まった回答から「あなたの求めている冷蔵庫はこれですよ!」と最適な製品を紹介してくれるのかもしれない。でも、どうも血が通っている感じがしない。

 そうして、店員さんという小さな主語の人が紹介してくれたいくつかの製品の中から、私はこれというものを選ぶことができた。要望は半分くらいしか叶えられていない、だけどすごくいいものを紹介してもらった気がして。消費者にとっては重大な、予算という条件がクリアしていなかったのに。ガラスドアだからマグネットがつかないのに。でもこれが、一番私の生活スタイルにしっくりくる冷蔵庫だった。私の料理の相棒として、最適な冷蔵庫だった。

 これがもし企業の製品紹介ページだったら。こんなこともできる、あんなこともできると機能がたっぷり載っていて、それは全部魅力的なことに間違いなくて、これを手に入れたら私は料理界で全知全能になるであろう……などと勘違いをするに違いない。だけど頭の片隅で、これを手に入れても全知全能になることはないとわかっているので、一呼吸置いてから他の製品を見比べて、でも違いがよくわからず、口コミサイトを見てみて、でも自分に合うものが何かよくわからず、リサーチが面倒くさくなり、結局、消費者にとっては重大な、予算という条件「しか」クリアしていない製品を買ってしまったんだと思う。そういえば家電量販店で冷蔵庫を買った時、買おうとしている商品が本当にいいものなのか、店員さんが紹介しきれていない(あるいは意図的に明言を避けた)情報があるんじゃないかと疑うこともなく、スマホを持っているのにネットで検索もしなかった。
 ちなみに高機能電化製品を買っても全知全能になれないというのは実体験に基づく。名前を聞けば誰もが知っているブランドで、超絶万能で、テレビで紹介されるほどの多機能型電子レンジが我が家にはあるけれど、使い方がわからないので(使い方をググりもしないので)ボタンの半数以上を押したことがない。

たらればさん:
Twitterの中で「自分」を確立しようとしたんですか?

シャープさん:
パーソナリティで個人を確立してはいません。アイコンはシャープという「企業」だけど、ツイートは「私」。勤務中の「私」という感じ。個人の「自分」と社員の「自分」とはあまり関係ない。みんなそうじゃないですか、SNSですべて垂れ流してるんじゃなくて、ちょっとよそいき。

 大きな「企業」のことも知っていて、小さな「私」のことも理解してくれる。それがどっちつかずという印象を受けないのは、「ちょっとよそいき」という、素敵な言葉を選んでくれる人だからなんだと思う。企業がいくら「お客様のため」を謳っても、個人は、企業という大きな存在の前ではなぜか「でも……お金儲けもしたいんでしょ……」とビクビクしちゃうし、手放しで良い製品を紹介してもらったとしても、騙されないゾと一度お財布の紐をキュッと締めてしまう。あまりにも本音で語られないと信用できず、寄り添われすぎても警戒する。シャープさんの「ちょっとよそいき」は、そういう緊張感のある距離をぐっと近づけ、けれど決してパーソナルスペースは侵さない、私達との絶妙な距離を表現されている。信じれる主語の小ささが伝わってくる、すごく素敵な回答だった。
 こんな「企業の中のひと」が増えてくれるといいなあと、圧倒的消費者の私は強く思ったりした。


構成を変えるということ

シャープさん:
コミチに投稿された漫画を読んで、それについて考えたことを文字にするという順番だったけど、この本(『スマホ片手に、しんどい夜に。』)では、文章が先にあって、その後に漫画が掲載されている。順番を変えることで、あたかも僕(=シャープさん)が頭がいいように見える(笑)

 会場の笑いを誘ったお話の一つだ。

 まったく関係ないけど、順番を変える=構成を変える、編集するということについて、思い出したことがあった。もう十数年前、大学で編集論という授業を受講した。担当教授は当時、有名なバラエティ番組で書籍を紹介するコーナーを担当していたこともあって、ファンだった私は生で本人を見たいという超絶ミーハーな理由から、私はその教授が在籍する学部の生徒でもないのに受講を決めた。
 その授業は木曜の7限とか土曜の4限とか、遊びたい盛りの大学生にとってはうげええな時間にしかコマが割り当てられていないにもかかわらず、そこそこの受講者数を誇っていた。なぜかというと、初回の授業で映画を数分間上映することでちょっと有名だったのだ。呪文のようなお経のような、基本書をダダ読みする授業にばかり慣れてしまっていた私は、好きな教授の授業だということに加え、映画という娯楽から出発する授業なんてなんだか特別な気がして、テンション爆上げだった。
 上映されたのは、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」の、シンジくんが公園で一人遊んでいる夕方のシーン。もう一つは、「ALWAYS 三丁目の夕日」で、夕日が東京の町を照らしているエンディングのシーン。
 教授は教室を明るくしながら、「三十を過ぎると涙腺が弱くなってね、もう泣きそうだよ」なんて言いながら、こんなことを教えてくれた(うろ覚えで、一言一句間違いだらけだと思われるものの、内容はあっているはず)。

「2つの映画を見てどう思いましたか。エヴァンゲリオンは不穏、ALWAYSは牧歌的と対照的なのに、どちらにも共通する感情がありませんでしたか。寂しさを感じませんでしたか?」

「なんで夕日を見ると僕たちは寂しく感じるのか。ただ夕日というものだけを取り上げてみると、特段寂しさを感じさせる要素はないはずです。ただの太陽だし、時刻的に日本から隠れる時間というだけだし、日が落ちるという太陽の行為に寂しさを感じる必要はない。ということは、夕日と寂しさを紐付けるなにかがあるはず」

「エヴァンゲリオンでは、子どもがお母さんと帰っていくシーンがありました。ほとんどの人(生徒)に、同じような思い出があるんじゃないでしょうか。夕方の5時、6時にお母さんやお父さんが迎えに来る。もう夕ご飯の時間だから帰ってきなさいと言われる。もう暗くなるから帰ってきなさいと言われる。家に帰るということは、友達と遊ぶ楽しい時間から切り離されるということ。自由で楽しい時間から切り離される寂しさ。僕たちは夕方、別れという寂しさを経験しています」

「ALWAYSではみんなが明日への希望を抱きながら夕日を見送っている。胸が熱くなるシーンですが、夕日は時間の経過とともに姿を消す。いつまでもそこに留まることはなくて、いつかいなくなってしまう。いなくなった後は夜が来る。電気がないと真っ暗で心もとない。真っ暗は怖い。照らしてくれた太陽と別れ、何も見えない夜が来る。太陽との別れ。楽しさとの別れと似ている」

「こうやって我々は、経験となにかを紐づけて、『なにか』に意味を持たせている。友達との別れが夕日と紐づいて寂しさを感じるように、我々の感情は経験によって編集されている」

 編集論では編集の技術を学ぶことはなかった。私達が経験する様々なことが、どのように人生に影響しているか。「人生が他者によってどのように編集されているか」を学ぶ授業だった。

 構成を変えることで与える印象が変わる。編集することで読んだ人の感情が変わる。一つ一つの意味は個別にあるのに、合わさったり、順番が変わることで伝わる意味が変わったり、より伝わりやすくなったりする。
 私達はそれをたぶん日常的にやっている。真実はこうだけどこの人は怒るだろうから伝えるのはやめておこうとか、こういう言い方をするとちょっと嫌な人に見られるかもしれないから柔らかい言葉に変えようとか。きっとそれらも構成といえるだろうし、人に物を伝える上でとても重要なことなのに、でもそれはあまりに些末なことで、時たますごく面倒くさくて、すっぽかしてしまうことも結構ある。もういいや、お好きに受け取ってよってペッと吐き出したものを相手がそのまま受け取っただけなのに、「曲解だ」とか反論してみたり、「誤解を招いてしまったことを心から……云々」とか言って訂正しようと思っても時すでに遅し、みたいなこともしばしば。

 私の仕事は太陽を見て寂しさを体に覚えさせるようなだいそれたものではないけど、構成が必要な作業はたまに発生する。会議での発表、研修内容の報告、自分の仕事の引き継ぎなどなど。臆病なので行き当たりばったりの報告はできず、事前に原稿を作成していくけれど、実際にはただの原稿読みになっていることが多い。「ここはもっと簡単な単語にしないと聞き手に伝わらないんじゃないか」「これだと複雑だしここまで発表する必要もないから、簡略にしていい」とか思っても、本番に修正する能力はなく、そのままだらだらしゃべることがよくある。

 順番を変えることで印象が変わる。書き手の印象も、作品の印象も変わる。
 順番が変わったことで、読者である私達は、シャープさんが書籍に掲載されている通りの過程を辿ったのだとある種錯覚するように「編集されている」ことになる。そうしたほうが理解しやすく、そうしたほうが内容がより伝わっていく。もともと人に伝える能力の高い人達によって、更に編集されることで伝達力を高めていく。日々のコミュニケーションに丁寧さを加えるための、小さなヒントをもらえた気がした。

 頭の中に入ってきて、体の中にすとんと落ちる、そんな本に出会ったとき、「わーおもしろーい!」と思うだけでも良いかもしれないけど、もっと感動したいと思った。「わーおもしろーい!」の後ろで、どうしたらおもしろいものが作れるのか、どうしたらおもしろくなるのか、実践して、考え直して、やり直して、また実践する、考えるだけでも途方もないことをしていた人達が、目の前でおしゃべりをして観客を沸かしていた。

 定期的に青山ブックセンターで開催される、たらればさんと浅生鴨さんの推し本紹介トークイベント。どの回だったか忘れてしまったが、そこでたらればさんが平積みの文庫本を掲げながら言った。

たらればさん:
文庫本ってポケットに入るんですよ。ポケットに入る娯楽です。

 自分のポケットに語彙力と構成力の集大成が一つ入ると思うと、なんだかちょっとワクワクしてくる。


この記事が参加している募集

#最近の学び

181,879件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?