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宇宙人はいるのか?

割引あり

「宇宙人はいるのか」(以前、Facebookに書いたものに加筆したものです)

 宇宙人はいるのか、と、問いかけられた時に、反応には温度差があると思う。
 すなわち、UFOを既に生きた人生の時間の中で「見た人」と「見ない人」がいるからである。もし、見た人なら、《あんな巨大な地球のものとは思えない人工物があるのなら、きっと宇宙人はいるのではないか!」と、強い期待感を抱いて当然であり、逆に見ていない人なら、《いやいや、ドレイク方程式によれば、この広大な銀家系のどこか、地球以外のどこかの星にいるのかもしれないが、分かりようもない… 仮に銀河系内にいなくても銀河系外にならいるのかもしれないが、仮にいたとしても遠すぎる。いたから、それがどうだと言うのだろうか…》と非常に冷めた感想しか抱かないだろう。そういう質問自体が、オカルト好きの悪戯っぽい(子供っぽい)質問としか思わないだろう。だが、オカルトマニアではなく、非科学的な事も嫌いなので、そう思っている人向きに、これを書いているのではない。少なくとも既にUFOを見ている(現実にUFOは存在しているのだと知っている)人に対して、可能な限り科学的に考えて、宇宙人は存在するのだろうかという考察なので、もし未だにUFOは存在するのか存在しないのかで悩んでいる(すなわち、まだ見た事がない人の多くの普通の考え)ような人や、ましてやUFOは存在しないと信じている人や、UFOは全部嘘だったという一部の人の情報(隠蔽工作?)を信じる人は、残念ながら、ここで読むのを止めた方が時間を無駄にしないし、苛立つこともないと思う。見た人と、見ない人の間の壁は、残念ながら理屈で突き崩すことは不可能なのだ。なぜなら、いい大人がUFOを見てもいないのに存在を信じられる訳がなく、こどもでも真面目に存在を信じるなんて幽霊を信じるようなものだとしか思わないだろうし、逆にUFOを実際に見てしまった人は、それを明確に見た人ほど存在は否定しずらい(自分が狂っている、幻覚を見たとは誰しも思いたくないし、自分の感覚ほど信じられるものは結局ないのだから)のは事実だからだ。その突き崩しようもない大きな乖離を埋める努力はいつも虚しい。だから、「UFOを信じますか?」というのは途方もない愚問であり、質問するなら「UFOを見ましたか?」と問うべきで、それすら大多数が見ていない現状からして(高緯度オーロラのような見るのは低い頻度であるため)、うかつに質問すると質問者の方がオカルトマニアか馬鹿者だと勘違いされかねない事だから、なかなかUFOに関する質問自体がしない方が無難としか言いようがない。
 しかし、あえて、見た人を相手に、可能な限り宇宙人はいるのかいないのかを科学的に考えてみたいと思うのだ。もう一度言うけれど「馬鹿だなあ、UFO自体が非科学的だよね」と嘲笑しつつこれを読んでいる人は、そんな愚かなものを読むあなたの方が愚かという事になるのであるから、あるいは馬鹿にするだけのために読むのなら非常に趣味が悪いので、もうここで読むのは止めてほしいと思う。なにしろ、麻衣は既にUFOを2度デイライトで見ているのだから、見た事のない人との間の溝は埋めようがないからである。ただ、既に確実に目撃してしまったという事実から、UFOというものは存在しているのだとしか言いようがない。現在分かっている迷信から脱却した科学的に考えるととか、恒星間距離から考えるととか、常識的に考えればとか、こちらの得た情報がとか、そういう風に考えるなら存在しえないはずなのは言うまでもないのであり、そんな事は言われなくても分かっているのだが、では、現実に目撃したという事実はどう考えればいいのだろうか。ここで説明しておくと、麻衣はきわめて正常で精神病を患ったことは一度もない。いたって健全な精神状態である。UFOをはっきりと目撃した時にも、昼間の頭脳の働きは十分に活動的だった時であり、ぼーっとしていて見間違えたとか、勘違いだったとは考えられないという事だ。例えば、デイライトで道路の向こう側が車が走って来るのが見えた場合、やはり本当に実在の車であった場合ばかりである。数千回、数万回と車を見ているのであるが、実は勘違いで途中で消えてしまったとか、車だと思ったのは幻覚だったとかいう事は、これまでの人生でただの一度もないのである。それだけに、自分の感覚、目撃するものに対しては自信がある。UFOは明らかに、実在する人工物のように見えた。実在する人工物のように見える光学現象かもしれないし、それは否定しないが、実在する人工物のように見えたのは間違いのない事実なのである。しかも、大きく、はっきりと、30秒くらいも見ていたのだ。だから単なるプラズマのような光学現象の可能性があったとしても、その可能性は極めて低く、おそらくセラミックのように見えた白い正確な半円形の外観からして、「人工物である」という可能性は極めて高いだろう。あんな人工的に見えるものが実は自然現象であるとは、麻衣の感覚からすると到底思えないという事なのだ。
 そんな訳で、麻衣と同等のUFOとの接近遭遇をした人であるなら、明らかに「人工物」が存在するのだから、それを製造した「誰か」がいるはずだと考えるのは当然であるという事だ。それが冒頭で書いた(人々の反応の)「温度差」という意味である。温度差があるなら、冷めている人にどれだけ説明しても、それだけ体験談をしても、あるいはどれだけ大勢が目撃していると例をあげても、これほど虚しいことはないのである。だから、ここでは目撃した人向けの内容を書いているという事になる。変わり者と思われたり、面白がられたり、目立ちたがり屋だと思われたり、などというのは麻衣の意図するところではないのである。
 ただ、ここで注意しないといけないのは、(本当に目撃しているのかどうかは別にして)大騒ぎしてマスコミから出演料受け取りを目論む「UFO芸人」は論外としても、比較的真面目な人であっても、一度UFOを目撃すると、それを基礎にして思考するので、ついつい思考が暴走しがちだという事だ。なんしろ飛行する人工物、しかも地球人の技術とは思えない人工物を見たのだから、その「とんでもない事実」を基準にして考えてしまうと、ついつい思考が飛躍し過ぎたり、想像がたくましくなり思考が暴走しがちだという事だ。UFOを目撃していても、宇宙人は目撃していないのだから、UFOの存在はほぼ確定であるにしても、宇宙人の存在まで確定的だと思うのは飛躍し過ぎである。もし宇宙人も見たというなら、もちろん、そこが出発点になるだろう。実際に窓に多数の宇宙人が乗ってるのを見たという過去のパイロットの証言もあるようである。しかし、麻衣は宇宙人は見てないのだから、「存在は分からない」というのが正確な(科学的な)見方だろう。観察で分かったことは、それは事実だろうが、観察で分かっていない事まで事実とするのは飛躍し過ぎという事だ。
 しかし、UFOを見ていない人は二度飛躍する必要がある。すなわち、1、多くの目撃例や資料からUFOは存在するのではないかと思う(という、第1の飛躍)。2、UFOが存在するなら、誰かが製造しなくては存在しえないので、地球外生命が製造したのではないか(それなら宇宙人が存在するのではないか、という第2の飛躍)………という二段階の飛躍をしなくてはならないのである。一度の飛躍でも大変なのに、脳内で二度も飛躍しようとするのだから、宇宙人の存在をどう思うかと問われても、「宇宙人、あなた、正気で訊いてるんですか?」という反応が正常な大人の反応であると思う。少なくとも論理的な思考をするように教育された先進国の大人であるなら、そう考えて当然だろう。呪術師が活躍し、非現実的なことを信じる、幻覚や自然の薬物に精神が侵されている人の方が、まだ常識の壁が低い分は飛躍しやすいであろう。UFOは絶対に存在しないとテレビで断言するような大学教授のような、科学教の信者が登場するのも、この飛躍し難いという事実があるのだから仕方がないのだ。
 ところが、麻衣のような、はっきりとUFOを目撃した人の場合はどうであろうか。飛躍の回数は1度でいいのだ。しかも、理詰めで考えるなら、人工物があるなら創造主が存在するはずだと考える方が論理的なのだ。だから、恐ろしく飛躍しやすい状況なのだ。だから、UFO芸人のように(もし、それらしいものを見たなら)暴走してしまう人もいて当然だとも思えるのだ。ただ、やはり、推測した事と、目撃した事だけはきちんと分けて話さないと、多くの人から嘲笑される原因になると思う。それは要注意だと思う。もし、あなたが本当にUFOを目撃したのなら尚更である。頭の弱い人とか、テレビで鼻高々のUFO評論家と同一視されないためにも、まず慎重であるべきだ。
 だが、その慎重さを忘れないなら、他人から笑われることなく、第2の飛躍をすることは比較的容易だ。何故なら、第1の飛躍は難しい(恒星間距離が異常に膨大であるという科学的事実が飛躍の最大の障壁となるため)のであるが、それさえ目撃によってクリアされたのなら、第2の飛躍はそれと比べれば論理的な障壁はほぼ存在しないからだ。確実に人工物を見たなら、知的生命が作ったと推測する方が科学的(というか論理的)なのだから、こんなに飛躍の容易な事柄はない。だから、ここまでの結論としては、UFOを目撃した人の間だけで、宇宙人は存在するのだろうかという思考実験をするのは意味がある試みだと思う。第1の飛躍で躓いている人に、そんな思考実験をするのは時間の無駄としか思えないだろう。二種類の人と人の間に架ける橋はないのである。
 単純に推測するなら、宇宙人はいると考えるのが、目撃者の共通の考え方だろう。もちろん、宇宙人でなく、ロボットとか、アンドロイドが作ったのかもしれない。そのアンドロイドを作った宇宙人は遥か遠い過去に絶滅していて、存在していないかもしれない。あるいは、太古の宇宙人の作った人工脳が生き残り、人工脳が人工知能を組み込んだアンドロイドを原子を1個づつ組み合わせる事も可能な量子コンピューター付きの3Dプリンターで作成して、その創造物がUFOを制作したという可能性もありえる。だから、宇宙人は存在していないという可能性はもちろんあると言える。UFOが存在するから宇宙人がいると考えるのは少し早計なのである。こういった事を書くとUFO芸人と混同される恐れがあるが、単なる可能性を推測してるだけなので、混同して勝手に想像した事を現実のように喋りまくり笑いを誘う(面白くもないが)人々とは違うと断っておきたい。
 また、途方もない人工物が存在していても、未知の地球製の人工物の可能性も皆無とは言えない。でも、これは、そもそも地球外から飛来したという意味でのUFOという意味でなく、単に未知の航空機というだけなのだから、これでは宇宙人なんて存在しようもない事になる。ただし、麻衣の目撃したUFOはとてもでないが地球の現代科学で製造できるレベルのものには見えなかった。これは本能的にそう思ったのだから科学的に検証されたものではない。しかし、現在の航空機とか、現在のTR3Bアストラなどのプラズマエンジンの軍用機の飛行動画(実物も目撃している)や、ソビエト製の浮遊するだけが限度のような円盤の動画、そしてロケットや、その他の飛行する乗り物を見ているのは事実だ。そういう経験や知識と比較すると、目撃したUFOは余りにそれらの技術とは隔絶された高度技術のように見えたという事だ。
 アストラは空中に停止できると言われるが、実際には動画を見て分かる通り、フラフラしてる。ところが麻衣の目撃したUFO(古い白黒写真にあるのと同型機)は、まるで空の見えない壁に貼り付けた物のように、空中に微動もしないで停止していたのだ。アメリカの優れたマッドサイエンティストの最先端技術も、スカンクワークスも、アストラ製造当時からの技術進歩も否定するものではないが、体育館のような巨大な物体を、空に貼り付けたように完全に空中に静止させられるものだろうか。いくらアメリカでも、これは無理でしょうというのが率直な30秒以上の観察による感想なのである。やはり地球外から飛来したものと断定しないにせよ、地球外技術ではないかと考える方が、違和感が少ないという事なのだ。遠くから飛来したのか、あるいは過去に恒星間移動してきたものの生き残りか、そういう技術のような気がしたという事である。UFOに搭乗しているのは宇宙人とは限らず、アンドロイドであるかもしれないし、人工知能が載せられてるだけかもしれないし、そもそもリモコンで飛んでいるだけで、要するに飛行機能だけかもしれない。何であるかは全く未知なのだ。
 とにかく、UFOイコール宇宙人と即断するのは容易な飛躍であるが、必ずしもUFOが存在するから宇宙人もいると考えるのは早計であるというのは、ここまでの説明で分かってもらえたと思う。過去の伝説、神話、聖書などからすると、宇宙人のいる可能性は高そうだが、やはり実物を確認した訳でないので、これらも確証になるという訳でもない。何しろ、恒星間移動が可能なほどの科学力というのが最大の宇宙人存在の障壁になるのだ。そんな途方もない事が可能なら、人工脳のレベルも途方もないだろうし、製造技術も途方もないはずだ。そうならば、どれほど物凄いアンドロイド(耐久力、思考力、自己復元力、利用エネルギーなど)がUFOに載せられていても大した不思議ではないはずだ。そこまで科学が発展すれば、よく言われている通り、恒星を人工物で取り囲みエネルギを無尽蔵に取り出せるかもしれないし(現実に人工物が取り巻いていると思われる、衛星のない奇妙に明るさの変化する星が発見されている。普通は衛星の影にならないと明るさが度々低下するはずがない。建設中の建設物の陰になると暗くなるという事かもしれない)、あるいはブラックホールなどから膨大なエネルギーを得ているかもしれない。そうなら恒星間移動のエネルギーには全く困らないはずだ。そして宇宙人が絶滅しても、既に作り出した人工物が自己増殖し発展を続けて、絶滅の数万年後に地球にUFOを飛ばしているかもしれない。あるいは、生命が機械と融合していき生命そのものの概念そのものが変容しているのかもしれない。あたかもプラズマのような形態にまで推移しているかもしれず、それを宇宙人と呼べるかどうかすら難しいのである。肉体のあるような宇宙人の実態は既になく、その意識だけが人工脳の中に残されているという状態になっている可能性もある。すなわち魂という物が科学的に理解され、魂を肉体から機械へ無理なく移す事が可能な時代になっていても不思議はない。人工脳化しても、考えるだけで思考を実体化させたり(考えるだけで物質化できるとか)、(アバター的なもので)直接に現実に影響を与えられるまで科学が進めば、殺人も作業も生産も疑似的な飲食も昼寝も何でも出来るという事になるはずだ。テレパシーで話しサイコキネスを使えれば、わざわざ肉体は必要なくなるだろう。機械が革命を起こして臨時政府を作り、実態のある宇宙人を排除して、非効率を排除した理想郷を作る可能性もあり、そうなら知性があるから生命があるとすら限らなくなってくるかもしれない。生命反応がないけれど知性はあるという危ういSFのような世界になるかもしれない。現在、木星の輪に地球の3倍の長さの宇宙船らしいものが回っているという話しもある。月が人工物であるという話しもあるし、他の惑星の衛星にも人工物疑惑のある衛星があるのも事実だ。本当に恒星を包み込める建造物が作れるようになればタイムトラベルのエネルギー確保にも困らないかもしれない。省エネなどというのは原始社会の話という事になるのだろうか。そもそも宇宙のエネルギーは莫大なのでケチっても時間の無駄かもしれない。一挙に膨大なエネルギーを使い人類も恒星間移動のできる未来になるかもしれない。
 そんな風に色々想像するのは自由なのだが、現実にはUFOを見たのと、宇宙人を見たというのは別の事で、事実としてはUFOを見たというだけの話なのだ。おそらく乗ってるだろうと思っても、実際に見た訳でないのでは、結果的には証拠がなくてどうにもならないのだ。
 ただ、UFOを目撃したのなら、地球外生命がいるのではないかと思うのは、それは自然の成り行き(当然の推論)であると思う。それを否定できるようなものは何もない。仮にUFOを飛ばした宇宙人が遠い太古に絶滅していたとしても、その元々の知的生命がいない事には決してUFOは作れそうもないのだから、宇宙人が作った物とも言える。
 宇宙にも知性があるのだと考えるのは、UFO目撃者の自然な思考の行く末だと思うのだ。ただし目撃後は全部思考実験、全部想像で物を言うだけなのだから、目撃する事は大変な前進であるものの、そこからは全て想像の域を出ず、要するに一歩も前進しないというジレンマに陥るのも、誰しも同じであろう。仮説の上に仮設を積み重ねるのは簡単だが、それは誰でも可能な事で余り意味はない。やはり一番欲しいのは証拠であると思う。一番いいのはロズウェル事件がもし本当にUFO墜落事件ならば、現地に立ち会える立場の人間である事だろう。あるいは、それと類似の体験をする事であろう。あるいは、宇宙人に誘拐されたという話しがあるが、まず宇宙人の存在を確かめる最高の方法は誘拐される事だろう。しかし珍しい物を目撃する運に恵まれた麻衣ですら、UFOを目撃したのは2度だけなのだ。しかも恐らく数キロから十数キロ先のUFOを目撃したに過ぎないのである。それなのに、さらに誘拐までされろというのは困難すぎると思うのだ。ただ、麻衣は宇宙人はいるのではないかという証拠を1つだけ目撃しているのである。証拠というより、宇宙人がいる可能性が高いと思えた事件なのだが。ただ、これは決して作り話ではないので、常識的な人はここで読むのを終えてくれた方がいいと思う。実話を作り話と思われてしまうのも、愉快な話ではないからだ。双方共に不幸になるだけなので理詰めで考える人は読まない方がいい。理屈ではあるはずのない事があるのが現実で、これも事実だったのだから奇妙な話であっても仕方ないのだが… ただ奇妙な話は作り話と思いがちの方は読んでも意味がないと思う。ぜひ、読むのはここまでにしてほしい。
 

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