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自己紹介:久保田悦史

はじめまして、久保田悦史と申します。


幼少期の思い出

三重の鳥羽の離島生まれ。
姉と私の2人姉弟。

コンビニも信号もない、そんな田舎で生まれ育ちました。

保育所の年長の時、父が病気になり、働けなくなりました。

2階で一緒にテレビを見ていた時、急に父が暴れ出し、部屋ごとめちゃめちゃになりました。1階にいた家族が慌てて階段を駆け上がってきて、船と救急車を手配して、父は病院へ緊急搬送。

「脳梗塞」でした。
脳の血管が詰まり、激痛が走ったから、あの時、耐えきれずにのたうち回ったんだと、後で分かりました。
あの光景は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。

その日がヤマと言われつつも、なんとか乗り切ることができました。
ただ、後遺症で半身付随になり、父はその日から働けなくなりました。

父との別れ

ボクも子供ながらに悲しかったですが、今思うとバリバリ働き盛りの時だった父にはプライドもあったと思うし、一番、本人が悔しかっただろうなと思います。

その背景もあり、このころから、母が昼も夜も働きに出るようになりました。ボクは、祖父母や親戚の方々に面倒を見てもらっていました。

今思うと、人よりも経済的な直面が早かったので、「大きくなったら、稼ぎたい」という思いが、人一倍強かったんだと思います。

部活と彼女に熱中していた学生時代(笑)

中学、高校は、サッカーに明け暮れていました。
高校へ進学する際、特に何も考えず、母と姉が通っていた商業高校へ進学。

高校を出たら、働きに出る気マンマンだったのですが、母や親族から、
「大学を出れば、良い会社に入れる。お願いだから大学には行ってくれ!」
という強い背中押しもあり、大学に進学することに。
高校の時に稼いだ内申点のおかげで、東京の大学に指定校での進学が決まりました。

田舎から都会へ

その直後、、、
その時お付き合いして、結婚を約束していた彼女が、名古屋に就職を決めました!
私は、急に名古屋が好きになり(笑)、気づいたら東京の指定校を蹴り、名古屋の大学へ進学を決めていました。

志望していた大学を蹴ってまで、名古屋へ進路を変えた私は、その先、当時付き合っていた彼女とのバラ色の人生を描いていました。
が、
現実は、そううまくいくことはなく、名古屋へ行って3ヶ月が経った頃、彼女との別れがやってきます。

なんてツイてないんだ。。。
ひどく落ち込んだこと、今でも覚えています。

そこで自分自身決めたことは、
【他人軸で人生を決めるのではなく、自分軸で選択していこう!】
という事でした。

その時、決断したことは、大学を1年で中退し、専門学校へ進む道です。
学費を4年間払うよりも、専門学校へ2年間通って、就職!
その方が、学費も安く済むし、4大出るよりも早く社会に出て稼げる!という理由からでした。

実家が工務店をやっていたこともあり、専門学校は建築の学校へ。その後、ハウスメーカーへの就職が決まりました!

社会人生活スタート、そしてメンターとの出会い

仕事は本当に楽しく、毎日新しいことの連続でのめり込んでいきました!
毎日、始発近くで出勤して、帰りは終電帰りもザラでした。打ち込めるものを見つけた感覚があり、毎日が楽しかったです。

仕事への熱意を買われて、1年目で会長の家を建てる際、担当に任命して頂きました。大変嬉しかったことを覚えています!

本当にやりがいを感じながら、仕事に取り組んでいました。

ただ、その一方で、
「やりがい」だけで、突っ走っても本当に良いのだろうか?
やりがいはもちろん大切だけれど、経済的な側面や、共に人生を語れる仲間の存在は、見てみぬフリをしていて、本当に良いのだろうか?
本当は、もっと稼ぎたいんじゃないのか?
本当は、自分が一緒に仕事したいという仲間と組んで仕事したいんじゃないのか?

同時にそんなことも考え始めていました。ちょうどその時期に、今のメンターと出会う事となります。

人生のターニングポイント

その出会いは、今まで生きてきた中で、最も衝撃的な出会いとなり、後の自分の人生に大きな影響を与えることとなりました。

当時、その方の年齢は32歳。既に、年収1億を突破されていました。
衝撃でした。。。実績の違いに、圧倒されました。

その方のライフスタイルや、職業観、そして何より仲間を大切にされている人生観に惚れ、憧れの気持ちを抱きました。

ただ、サラリーマン1年目の自分とは、あまりにも違いすぎて、「私には関係のない人だ。」始めてお会いした時は、そう思いました。

話をさせて頂くうちに、
・当時は会社員をされていたこと
・学歴がそれほど高い人ではないこと

という事が分かってきて、勘違いもあったとは思いますが、
「自分にもできるかも。チャンスがあるかも。」
と、思えてきました。

「私も、そのような人生を歩む事ができますか?」
ダメ元で聞きました。どうせ、絶対に無理!お前にはできない!と、言われるよな〜と思いながらの質問でした。

返ってきた答えは、
「努力はもちろん必要だけど、ボクと同じようになれると思うよ!成功する能力は既にあると思うから、頑張り方だけは間違えないようにね!」
でした。






「えーーーーーーーーーっ!?なれるの!?」

「成功する能力、既にあるって本当?」
「頑張り方って、そもそも何と何があるの?」
想像していた返答と違いすぎて、驚きやら嬉しさやらでパニックでした!

喜びを隠しきれない

続けて、
「能力の差は、努力で埋めていける。ただ、収入の差は、シンプルに仕組みの差だからね!」
と、お言葉を頂きました。

ただ単に頑張れば良いってもんじゃない。世の中の仕組みについても理解した上で、登る山を決めるべきだ!
この日を境に、そう考えるようになりました。

この出会いが、私の人生のターニングポイントとなった事は言うまでもなく、メンターとして今も尊敬してやまない存在です。
まさか、あの出会いから始まり、ここまでの長いお付き合いになるなんて、その時は思ってもみなかったです。

その後、お陰様で事業を立ち上げることができ、今は、ギフト(セレクト)ショップを東京と大阪で2店舗経営。
ご縁もあって、ロボティクス関係のベンチャー企業の立ち上げや、キャリア支援などにも携わるまでになりました。

コミュニティファースト

 コミュニティファーストの考え方は、ある意味で非常にシンプルといえる。仮説やコンセプト、プロダクトの設計から始まっていた開発プロセスを、コミュニティづくりから始めるだけだ。外部企業で働く人々、クリエイター、デザイナー、行政担当者、エンドユーザーなど多様な立場の人々によって構成されるコミュニティの力を最大限活用し、共働して「正しい問い」を立てる。イノベーションを駆動させるエコシステムをつくり、ビジネスを立ち上げていく。それこそ、コミュニティファーストのあり方なのだ。

Harvard Business Reviewより

ここからは、ビジネスど素人の自分がなぜ多角経営をすることができたか?
について少し書かせて頂きます。

まず、メンターからの教えは、「チーム(コミュニティ)をつくりなさい」だった。


チームビルディング

世間的には、コミュニティファースト、コミュニティビジネス、チームビルディングといった形で表現されていたりします。

どんなビジネスに置いても、最終的にユーザーがいなければ、成立しない。どんな良い製品を開発しても、どんな美味しいパスタを提供しても、誰の手元に届かなければ、自己満で終わる。

要は、流通網を持っているかどうか、が一番の鍵という教えでした。

最初は、ビジネスアイデアが先ではないか?iPhoneのように製品開発を先にやらないとダメなのではないか?などと素人なりに考えていました。

メンターからの教えは非常にシンプルで、
「ビジネスをスタートしてから集客するのではなく、集客を完了した状態でビジネスをスタートする。」
この順番が大事なのだと。

私は離島出身で、
「離島には美容室が1店舗しかなかった。島の住人はみんなそこへ髪をきりに行っていた。」
「離島には居酒屋が1店舗しかなかった。島の住人はみんなそこへお酒を飲みに行っていた。」
「離島には電気屋が1店舗しかなかった。島の住人はみんなそこへ電気の配線や家電の修理を依頼していた。」

この田舎での経験が、
「コミュニティを先につくり、そこに必要なビジネスを立ち上げると、全ての人が利用するので、売上が上がる。」
という仕組みへの理解を早めたように思います。

だからと言って、ただ単に飲み友達を増やすように人だけを集めていたのではそうはなりません。

チーム(コミュニティ)をつくり、それをどのようにマネタイズしていくか?そのノウハウを学ばせて頂くために、頭を下げ、弟子入りをし、学んできたというのが、私が辿ってきたプロセスになります。

そこから先の細かなプロセスに関しては、テキストで学んできたというよりは、体で覚えてきたという感覚です。学んできた事を実践する中で、少しづつ形になってきたように思います。

現在、取り組んでいる事業の一部をご紹介します。

取り組んでいる事業

ギフト(セレクト)ショップ  [surf]の運営

surf(サーフ)@大崎

東京の大崎というエリアで、【surf(サーフ)】というギフトショップを営んでおります。
『Nature & City』というスローガンを掲げ、
「自然由来で身体に優しいもの(Nature)」と「ハイセンスでファッショナブルなもの(City)」を提供し、心身共に健康で活発なライフスタイルのキッカケを提案しています。

オーガニックや自然由来のモノは、一般的には「素朴」や「無骨」なイメージがあります。
一見、「オーガニック」と交わらないと思われがちな「ファッショナブル」や「ハイセンス」なモノとを融合させていくのがsurf(サーフ)の役目。

surf(サーフ)は、『身体や環境へ配慮した上で、お洒落なライフスタイル』を提案します。


酸素ボックス

酸素ボックス

酸素ボックス(酸素カプセル)は、室内を高気圧の状態に保ちます。
この中で1時間ほど睡眠をとると、3〜4時間の睡眠をとった時と同じ回復効果を得られるといわれています。

実際、私自身がハードワークで疲労が溜まっていた時に、酸素カプセルを利用して体感があったことが、導入のキッカケとなりました。

他にも以下の方々にオススメです。

  • 集中力を必要とする時

  • 疲労回復

  • お肌を健やかに保ちたい方

  • 二日酔いの方

https://reserva.be/surf_osaki


紹介動画


今後のビジョン

私は、目立った経歴もなく、何のビジネスアイデアも資金もない中で、ある程度、目に見える結果を作らせてきて頂きました。

その結果の原因は、学ぶ人を決め、人一倍努力してきたから、そして、先にチームをつくり、その後、ビジネスを展開する!という順番を大切にしてきたからだと思います!

この順番で起業すること自体が、新しい起業の形として、新しい業界を確立していくと信じています!

私の好きな言葉の一つに、こんな言葉があります。

新たな価値を創り出し、全く新しい業界をつくり出す人は、後に来る人達が裕福になるハシゴをかける。

例えば、エジソン。
彼は、電力会社をつくりました。発電、送電、配電までを一連の流れとして、世の中に提供した人です。
電力会社をつくった事により、まわりの人は裕福になりました。
彼が電力会社を作り出したあとに、豊かになった法人、個人は数え切れません。


または、ライト兄弟。
彼らのおかげで、航空業界ができました。今日、航空業界で多くの方が働かれています。
彼らがつくった新しい業界により、たくさんの方々が恩恵を受けています。


そして、このチーム(コミュニティ)を先につくるという働き方。
新しい働き方、業界が誕生しようとしています。

世間的には、まだ「未常識」の領域かもしれません。

未常識から常識に変わり、この業界が確立される事によって、どれだけの人がこれから豊かになっていくか?
楽しみで仕方ありません!

歴史に残る土台をつくっている!
という手応えがある今の仕事に出会えた事に、心から感謝しています!

これからも新たな目標に向かって努力し、世の人々の可能性に貢献する人生を歩みます!
どうぞよろしくお願い致します!



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