一生、届くことのない言葉(2011年6月27日の久保マシン)
10年前の今日
2011年6月27日の久保マシン
その日、ボクと相方は午前中から「その日が締め切り」のマンガ原稿を描いていた。(担当編集者からは、その日がデットラインと言われていた)
そんな時、末期癌の父が入院している
病院の看護師さんから電話が入った。
ボクは「仕事が終わり次第、会いに行くから」との
父への伝言を看護師さんにお願いして仕事を急いだ。
だが、昼過ぎに再度、病院から電話。
父の容体は急変したというのだ。
そして…
駆けつけた時には、父は亡くなっていた…
この時のことを相方はずっと「あの時どうして病院へ、お父さんのところへ行って!と言えなかったのか」「それまでは、いつも親を優先してたのに…」と、父を一人で逝かせてしまったのは自分のせいだと後悔していた。
だけど、相方のせいではない。
最終的に判断したのはボクなのだ。
ここでは書かないが、あの時どんな思いで相方がそう言ったかはボクはわかっているし。あの時どれほど相方が、いろいろなことでメンタルの限界が来ていたかも。
そして、どうかしたら
ボクよりもずっと相方の方が親のことを
親身になって考えていたかもボクは知ってる。
ただ、それとは別に、ボクが父の最後の言葉を聞いてあげられなかったこと。最後の言葉が一生、届かない言葉になってしまったことは、いつもボクの心のどこかにあって忘れることはなかった。
あれから、ずっと父に手を合わせる時は、いつも心の中で
「あの時、何を言いたかったんだよ」と問いかけていた。
で、話はココからなんだ。
先日、行った父の10年の法要(コロナだからメッチャ小規模だったけど)の時に、何となく父の若いときの写真でも列席の身内に見せるといいかな〜と思って、法要の前日に父の昔の写真をiPadの中に入れてる時、
突然、父の声が聞こえてきたのだ。
いや、違うな。
生前、父がボクによく言っていた言葉が浮かんできただけだ。
いつも仕事に追われていたボクは
何かにつけて父に「そんな暇はない」
「締め切りがあるから無理」
「仕事があるからダメ」みたいなことを連発していた。
だからボクは父には
いつも、こう言われていた。
「嫌な仕事だなあ〜」
でも、それは正しい。当時の、常に締め切りに追われて、非人間的な生活を強いられてるような仕事は、間違いなく嫌な仕事でもあるのだ。他の人は誰もそんなことは言わない。大抵は「でも、マンガで食べてるんだから凄いよ」とか「ホントに大変だよね」とかだ。
だから父のその言葉は、
あまりにも率直すぎてボクは面白かったのだ。
そして、その言葉が浮かんだ時、
ずっと気になっていた、あのことに繋がった。
10年前のあの時、病院のベットで
立ち尽くすボクを父は見ていたはずだ。
そして「仕事が終わってから行くから」と伝言だけしてきて、肝心なときに間に合わなかったボクに呆れながら、こう言ってたはずだ。
「嫌な仕事だなあ〜」
そう思ったら、なんだか「ふふっ」っと笑えてきた。
いや、もちろん父が元々ボクに言おうとしたことは
別のことなのは分かってるけど、
もう、それもいいや!って(笑)
10年経って、こんな父の言葉が浮かんできたのは、きっと、面倒くさいことが嫌いだった父が『いつまでも意味のね〜こと(一生、届かない言葉とか)ゴチャゴチャ考えてんじゃね〜よ!』って言ってるんだと勝手に思うことにした。
(写真:ボクと父)
最後に。父が亡くなった数日後に書いたブログが残っているので、その文章をコピペしておく。このnote記事の冒頭部分は端折って簡単に書いてるけど、その他は当時の凄まじい状況がよくわかる。
まさに「嫌な仕事だな〜」って感じだ(笑)
絵と文:久保マシン(Y)
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