就活記: ドン底からメガベンチャーに内定をもらうまで
初めまして北九州高専に在学しています「クボ太郎」です。
普段は主にWebフロントの開発を専門としてやっており、最近Twitterが大人しくなったでお馴染みの人間です。
本記事はサイバーエージェント21卒内定者のアドベントカレンダーの一環として作成されました。明日以降も大変面白い記事が投稿される予定ですので楽しみにしててください。
👉 CA21 Advent Calendar 2020
はじめに
2019年10月28日(月) に 「株式会社サイバーエージェント」様 からWebフロントエンジニアとして内定をいただくことができました。正直にいうと、この時期での内定は異常に早いです。
自分の学校では、就職希望の人は一般的に「5年生の5~7月」頃で早くても「4月」に内定をいただくと言うのが基本です。自分の聞いた話だとそれまでの歴代最速記録でも「4年生の12月」頃ということなので、自分はその学内の歴代最速記録を約2カ月も更新することができました。
今回は自分がその常識外れの就職活動を行うまでに体験した出来事を赤裸々に語った就活記を作成しました。物語としての面白さはもちろん、皆さんの今後の人生のお役に立てるような内容に仕上げています。少々、長い記事ですが楽しんでいただける内容に仕上がってると思いますので、お付き合いください🙇♂️
この就活記で画面の前の"あなた"の人生が変わることを心から願ってます。
内定先について
自分の内定先は「株式会社サイバーエージェント(通称:CA)」という会社です。この会社はインターネット広告事業、ゲーム事業、メディア事業を主な事業ドメインとするIT企業です。グループ全体の規模としては5000人以上の社員を抱える大企業です。一方で、グループ内は100を超える子会社により細分化されており、それらひとつひとつは大企業というよりかはベンチャー企業のようなカルチャーを持っています。
代表的なプロダクトとしては以下の通りです。
(他にも紹介したいサービスはたくさんありましたが絞りました🙏)
「AbemaTV」
国内最大のライブストリーミング形式であるインターネットテレビです。
「アメブロ」
芸能人とかがよく投稿するブログサイトですね。
自分も過去に本名を隠して投稿していた時期があるので自分の投稿しそうな内容で探索すればクボ太郎の黒歴史を発掘することができるかも!?
「AWA」
自分が愛用している音楽ストリーミングサービスです!
個人的に世の中のアプリの中でUIが一番好きなサービスです。
「OPENREC.tv」
eスポーツ大会や特別番組、音楽ライブ、プロゲーマー、芸能タレント、声優タレントのライブ配信などを見れる動画プラットフォームです。自分の場合はeスポーツの大会なんかをよく見てたりしています。
「バンドリ! ガールズバンドパーティ!」
多分、自分の周りで一番プレイしている人が多い音ゲーです。「これうちの会社のゲームだよ〜」って自慢したいのでみんなもっとプレイしていけ。
「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」
SEGA×Craft Egg/Colorful Paletteが贈る、新作スマートフォンリズムゲームです。
この素晴らしい世界に祝福を!ファンタスティックデイズ
「この素晴らしい世界に祝福を!」の初スマホゲームです。「このすば」のアニメが好きな人は楽しめると思うので是非ダウンロードしてみてください。
「NieR Re[in]carnation」
自分が今一番リリースを楽しみにしてるサービスです。
好きすぎるのでリリース前ですが宣伝しちゃいました (NieRファン並感)。
サイバーエージェントを選んだ理由
もともと自分はIT技術というよりはその先にあるサービスが好きなので、開発だけでなく企画の立案から開発と言ったすべての工程にかかわりたいという思いが強かったです。
そのため、就活をする上で 自分は 裁量権(意思決定がどれだけ自分でできるか) という指標をとても重要視していました。ただ、イメージとして大企業になればなるほど 一人あたりの裁量権というものは小さくなる 印象があり、実際多くの企業ではその傾向にあります。
なので、就活序盤は会社の規模が小さいベンチャー企業を中心に企業調査を行っていました。ですが、ベンチャー企業となると現状のタスクで手一杯になり新規事業を立ち上げる余裕がないという会社がほとんどでした。また、技術的になレベルの高いエンジニアが在籍する会社は多くなく、技術力を磨いていくのは厳しいという感じる場合が多いかったのが現実です。
そんな中、地元のアプリコンテストに参加した際、「サイバーエージェント」に出会いました。CAの会社のシステムは、大企業ですが多くの子会社に分かれているため、ベンチャー気質の強い子会社も多く存在しています。
つまり、自分が求めていた「ベンチャー企業のような 裁量権の大きさ」と「プロジェクトの成功に必要な 企業体力 と 切磋琢磨しえる優秀な仲間」などのすべてがそろっていたということです。
この「ベンチャー企業のような挑戦のできる環境」と「大企業のような安心感」を兼ね備えた会社の環境は自分の中で理想に近く、最大の志望理由となりました。
サイバーエージェントには当然これ以外にもさまざまな魅力的なポイントがあります。それらに関しては、ここで自分が説明するよりもYouTubeで偶然見つけたこちらの動画の方がわかりやすいです。興味のある方はぜひ。
(ビジネスサイドの話ですが、エンジニアでも本質的な部分は一緒でした)
就活記
さて、ここからが画面の前の皆さんが楽しみにしていたであろう自分の『就活記』です。内容としては自分が「高専入学から内定をいただくまで」にどんな経験をしていったのかを簡単にまとめてます。
先にネタバレをしておくと、自分はもともと絶望的にエンジニアという職業に向いていませんでした。エンジニア界隈によくいる『本やドキュメントを読めば大体理解できるよ』とかいうタイプの人ではありません。
ですが、そんな自分でも今では「それなりに優秀」って言われる部類にはいると思っています(多分)。
正直に言って、今の自分は自分自身の努力ではなく、運命的な奇跡の連続によって形成された人物だと考えています。ですが、その奇跡をつかむまでに自分が持っていた『マインドセット(考え方)』などは皆さんの今後の人生のきっと役に立つ考え方だと思うので、今回は何も包み隠さず赤裸々に語っていきたいと思います。
高専入学
まずはなぜ高専に入学したのかという理由についてお話します。
理由を端的に説明すると「高校生時代からプログラミングをしたい」というものでした。
ではなぜ、その理由で高専を選んだ経緯を少し過去をさかのぼってお話しいたします。
中学時代は「MineCraft」といゲームにどハマりしていました。
当時はPS3でプレイしたのですが、そこで自分がやっていた遊びは「MineCraftのゲーム内の機能を駆使して、オリジナルのミニゲーム的なものを作る。そして、そこにPS3のネット上のフレンドを招待して遊ばせる」というちょっと変わった遊び方でした。当然、マインクラフトの本来の遊び方でプレイしたり、他のプレイヤーの作ったオリジナルのミニゲームで遊ぶこともしてました。ですが、それがどれだけクオリティが高かろうとも、自分で作ったオリジナルのミニゲームをみんなが楽しんでいる光景を眺める時の方が圧倒的に幸せでした。
その経験から自分は「ゲームを作ってみんなに遊んでもらう」ということが一番の幸せであると考え「ゲームクリエイター」という職を志すようになりました。
そして、ゲームを作る為には「プログラミング」が必要ということを中学校時代の担任の先生から聞き、自分はプログラミングを学ぶことができる学校をひたすら探していました。ですが、自分は福岡県でもド田舎の「筑豊」という地域出身です。なので、家から通える範囲で行ける学校の種類がそこまで多くありません(寮暮らしは嫌だったので)。そして、自宅から通える範囲の高校で「プログラミングが高校時代からできる」という条件でフィルターをかけて、残ったのは「北九州高専」のみでした。
そして、自分は必然的に「北九州高専」に入学することになりました。
プログラミングを始めたての頃
次は自分が高専に入学してからプログラミングを勉強してしばらく経過するまでの話です。
自分の学校では授業でプログラミングをほんのちょっとだけやってましたが、それとは別に「コンピュータ研究部」というプログラミングなどを専門にする部活動が学内にはありました。そのため、もともと「ゲームを作りたい!!」という意思を持って入学した自分は迷わず、この「コンピュータ研究部」に入部しました。
ですが、入学した当初の自分はもともとプログラミングがあまり得意ではなかったようでそこから挫折を繰り返します。その時の未熟さを具体的に語るのであれば「プログラミング歴1.5年(18カ月)で『関数何それ?』とか言っていたレベル」です。
情報系の学生から見ればわかると思いますが正直話になりません。
そのため、あっという間に部活の最底辺に落ちていきました。
それでも自分は 「これを頑張れば自分の作りたいものが作れる」 と信じて部活動には出席していました。
全国大会
コンピュータ研究部にとあるイベントへの案内がきました。それは自分の同級生の WA_TLE が大阪である「SuperCon」というイベントに参加したいけど人数が足りないから誰か一緒に出てほしいというものでした。今でこそ、彼が「世界屈指の競技プログラミングの実力者」ということは学内で知れ渡っていますが、当時、彼がそんな実力を持ってることは自分も含めて誰も把握していませんでした。そのため、当日はそのイベントの価値を部員の誰も理解しておらず参加したいと手をあげたのは自分だけでした。
(もし、他の人に参加の意思があれば、実力が皆無であった自分ではなく、他の人がこのチャンスをつかんでいたことでしょう。)
手をあげた動機としては先輩から「無料で大阪にいけるイベントなんてそうそうないし勉強になるんじゃない?」って助言してもらい、興味本位で手を上げただけでした。
で、結果ですが「全国優勝」です。
これ別に地方のコンテストで優勝したとかレベルじゃなくて名だたる強豪校とかがいる中で優勝しちゃったんです。「関数何それ?」って言っていた人が全国優勝してるんです。なんか正直ごめんなさいという気持ちでした。
そして、その流れで同年の「PC甲子園」にも出場して全国準グランプリをとりました。その時の賞金は20万円だったのでおこぼれで10万円ももらいました。(さすがにPC甲子園の時はちゃんと勉強していきました)
ですが、こうした華々しい活躍とは裏腹に自分の心境は結構複雑でした。
かなりの実力差があるのはしっかりと理解していたので、そこまで衝撃を受けませんでした。しかし、自分は実力だけでなく、「モチベーション自体すらもまったく以て足りていない」ということを自覚し、ひどく傷ついたのを今でも覚えています。
ただ、「モチベーション自体がまったく足りていなかった」という問題点に気づくことができました。この事実は部活の中だけに引き籠もっている人には絶対遭遇することができなかったもので、それを理解した自分は大会終了後は今までにないやる気に満ち溢れていました。
ちなみに、その時の衝撃は本当に強烈で、今も自分の「向上心」や「行動力」の根幹としてずっと残り続けています。
技術バイト
ある日、部活の5年生の先輩が4年生にある会社説明会の勧誘をしていました。それは5年生の先輩がアルバイトスタッフとして技術バイトを在籍していたIT企業の会社説明会でした。全国大会を終えて、向上心に満ち溢れていた自分はその話を4年生の先輩以上に熱心に聞き耳を立てて聞いていました。
そして、自分はその話に誘われていなかった無関係の人間なんですが、図々しく「それって自分でもいけますか?」と聞いてみた所、高専2年生という就活とは無縁の時期なのにもかかわらず自分をアルバイト先のオフィスに連れて行ってくれました。
IT企業の会社説明とかをしっかり受けるのははじめてで、強い衝撃を受けたのを今でも覚えています。その会社の説明で感銘を受けた自分は、人事の人に技術バイトに興味がある旨の話をした所、高校2年相当の学生という前例のないということでしたが、選考をしてもらえる運びになりました。実はそれまでの過去最年少のアルバイト生は大学受験が終わった高校生だったそうで、その高校生よりも1年以上も若い自分を採用しても良いのかという議論があったそうですが、過去の大会実績などもあったことを考慮していただき、なんとか合格することができたそうです。
当然ですが、自分の実力ではなく見せかけの実績で勝ち取った技術バイトだったため、バイトをはじめて最初の数ヶ月間は本当にダメダメでした。加えて、自分の周りには技術的に自分よりも数段高みにいる2~3歳上の大学生がゴリゴリ開発している環境です。
当時の緊張感という焦りはすごいものでした。しかし、そのおかげか、コンピュータ研究部でマイペースに勉強していた頃とは比較にならない程のペースで成長していき、技術バイトをはじめて1年も経過する頃には自分の技術力は部内、いや学内トップレベルにまで君臨していました。
チャレキャラ
「九州アプリチャレンジ・キャラバン(通称:チャレキャラ)」は半年にかけて開催されるアプリコンテストの1つです。このイベントでは月に数回のコアイベントが開催されます。その際に社会人エンジニアのメンターさんにアドバイスをもらい、自分の作品のアイデアやクオリティに磨きをかけていきます。そうして洗練されていった作品をもって半年後のコンテストで優勝を競うという、育成を主軸においた珍しいタイプのアプリコンテストです。
自分はこのイベントに上記のバイト先にいた先輩(バイトを紹介してくれた部活の先輩とは別)に紹介していただき参加することになりました。今では高校生年齢の人がチャレキャラのコアイベントに参加するというのは当たり前の光景になっていますが、2018年時点ではそんな人間は自分以外には存在しておらず、参加するだけでメンターの人に話しかけてもらえるような存在でした。
それに加えて、自分はこのチャレキャラで1つの伝説を残したことをきっかけとして、自分は名物キャラクターのような存在になりました。
その伝説の内容は以下のスライドで結構わかりやすく説明されています。
要約すると、「野良でチームメンバー組んだら、最年少メンバーだけが残って、他は全員蒸発。それでも諦めず開発を続けたら企業賞受賞した」って感じです。
さらに、チーム名を「Only One」にしたり、「全員消えて、賞金が5倍になったわww」という風にネタにしたりしていたおかげで、いい意味で参加者の先輩学生エンジニアさんや社会人エンジニアさんにイジってもらえて、普通の参加者以上にいろんな人と親睦を深めることができました。
内定をもらうまで
上記のチャレキャラを乗り換えた自分は県内の学生エンジニア界隈でそこそこ広い顔を持つようになりました。それからは、ビックリするほどたくさんの「こういうイベントですか?」「こういう案件あるんですけど?」みたいな話をいただくようになりました。
そのため、2019年の3月から年末にかけては土日は何らかのイベントに顔を出して、家にいる方が少ないって状態になりました。それに加えて、上記のバイトとは別の技術バイトを始めたりしました。
技術を磨いて得たバイト代のほとんどを、さらなる技術を向上のためのイベント参加の交通費に溶かすという狂気じみた行為を行っていたのを今でも覚えています。この年も、前年以上に波乱万丈な一年でしたが、それを何も感じないというか、むしろ心地よいと思ってしまうほど、その雰囲気に慣れていきました。
このイベント参加の一環として、CyberAgentの長期就業型インターンにも参加しました。(下の記事にその時の様子が乗っています)
このインターン期間はとても楽しく、充実した日々だったため、そのままの流れで本選考に進み、内定をいただきました。自分の場合は、それまでの積極的にアプリコンテストやハッカソンをはじめとする何らかのイベントに取り組んでいた姿勢を高く評価していただき、内定を獲得するこおができたそうです。
これにて就活記は以上です。最後に自分からこの就活記を通し、皆さんに伝えたかったことをまとめさせていただきます。
最後に画面の前の皆さんへ
今回は自分が高専に入学してからスピード内定をもらうまでのお話をさせていただきました。
最後に、自分の過去を赤裸々に語ってでも、皆さんに伝えたかったことを自分なりの文章でまとめます。今までの話は単なる事例集で 本当に伝えたい内容 はここからです。
その①:
チャンスは "愚直" に "ダメ元" で "ただひたすら" 探そう
自分の 全国大会への参加 や 技術バイト などの人生のターニングポイントとも言える出来事はどれも「偶然」獲得できたものでした。多くの人々はこれを単に「ただ、運が良かっただけ」と言いますし、個人的にも自分が恵まれた環境にいたと言うのは事実だと思っています。
ですが、他の人も自分と同じ環境下に置かれたら同じ未来をたどることができたかと聞かれるとそうではありませんでした。例えば、
・普段から県内のイベントにすら参加する習慣なんてまったくないのに、急に大阪のイベントにいく
・誘われてもない会社説明会に図々しく『連れて行ってください!』と言う
これができれば自分でなくても、他の人たちも獲得することができたチャンスです。
つまり、自分は特別運が良かったわけでなく、他の学生と比較して「目標に対して撃った弾の量」 が段違いだったと言うだけです。今回の就活記では就活に関係のある成功例ばかりを取り上げていましたが、いろいろな挑戦をやってたくさんの失敗を繰り返してました。
今の自分であれば「このイベントは自分にぴったりだな〜」「このイベントは行ってもメリットは少なそうだな〜」はなんとなくわかります。
ですが、これはさまざまなイベントに20~30回くらい参加してやっとなんとなく分かり始めただけであり、最初から「少数の意味あるチャンス にだけ挑戦して 最低労力で結果 を出す」という考え方であれば、数えきれないくらいのチャンスを逃していたことでしょう。なので、経験が浅い場合は決して 「最短ルートを進んで、スマートに勝つ」 なんて考えていけません。
つまり、私たちに残された道は
自分の挑戦するすべてのチャレンジに
「今後の人生を180°変えてくれる、何かが存在する」と信じて、
"愚直" に "ダメ元" で "ただひたすら" 挑戦する
以外にはないということです。
それは何度も何度も失敗を繰り返す道です。
ですが、そうでなければ「今後の人生を180°変えてくれる、何か」に出会うことは決して出来ないでしょう。
その②:
背の丈を気にせず挑戦していく。
自分は「大学生」ばかりのイベントに参加する「高校生」って感じの「場違いな人間」でした。そのような良い意味で場違いな存在であれば多くの人が注目してくれます。
とくに自分の場合は、
失敗しても:
『高校生なんだし仕方ないよ! 』
『むしろ、高校生でここまでやったのがすごい!』
成功したら:
『高校生なのに大学生に勝てるなんてすごい! 』
『本当に大学生になった時が恐ろしいよ!』
という感じで多くの場合、どのような結果に陥ってもポジティブな方向に評価されていました。
ですが、大学生年齢になった途端、この恩恵はなくなってしまいました。
体感としては4年生(大学生相当の年齢)になった時からイベントで他の参加者や主催者さんから声をかけてくれる機会はそれまでの半分以下になったように感じます。
もし、仮に自分が年相応になってるから動き出したら
『うん。えらいね。けど、みんなできてるし、当たり前だね。』
みたいな反応をされて挑戦する気も失せていたでしょう...。
なので、
「高校生」であれば 「普通の高校生は"絶対にしない"であろう挑戦」 を、
「大学生」であれば 「普通の大学生は"絶対にしない"であろう挑戦」 を、
「会社員」であれば 「普通の会社員は"絶対にしない"であろう挑戦」 を、
をやっていきましょう!
そうすることはできれば、あなたの挑戦する世界はあなたに対して本来よりも数倍優しいものになり、あなたが挑戦し続けることを容易なものにしてくれます。
また、自分のやっていたような「自分の背の丈に合わない大きな挑戦」には人を大きく成長させる力があります。最初は嘘つき野郎でも、それを貫き通すために努力を続ければやがて本物になれます。
最後に自分が画面の前の皆さんに伝えたいことを自戒の念も込めて、オブラートに包まずにお伝えします。ここからの話は少し耳の痛い話かもしれないですが、しっかり受け取っていただけると嬉しいです。