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「その場で集まる人たちが繋がる理由」


さて、こんな言葉を問いを聞いた事ありますか?

『世界中の人、全員にひとり1秒ペースで移動時間考えず会うとしたら何年かかりますか?』






正解は・・・




世界人口は増え続けていて今では約80億人にとどきそうな勢いなので

1日は86400秒で、
1年を365日とし、
1年は31536000秒なので、
80億÷31536000=253.678…
約250年かかります。

という事は
今、人と人が出会う事はやはり奇跡的な事だと思います。
そう考えるとその人と関わる時間の密度が濃くなるというか
いつもより少し愛おしく大切になったります。
食事もそうですよね、何気なく食べていると1日3食、ぐらいの捉え方なんですが
人生であと何回食べられるのか?って考えると
その日の食事が愛おしく感じたりします。
僕は基本的に1食の日が多いのでその3分の1になるわけです。

少し話が逸れました。


人と出会う事が奇跡的であるならば
カフェの店主をしてきて、せっかく人が集まっている場に交流がないのはなんだかもったいないと思っていたのですが、
cafeだとどうしても他のグループ同士が繋がるという空気は作りにくいなという限界を感じました。(時にカウンターに座るお客さん同士を繋げた時に達成感のようなものはありました)

flotsでは無いですが


 その後町おこしに関わる中で
「古民家の縁側は人との壁を取り払いやすい」ということと、
「共有言語(地元が同じだった等)があるとすぐ仲良くなれる」というこを経験し、
そこで生まれた関係がその後のお互いの日常に影響していくのを見ると
人と人をつなぐことはやはり意味意義があることだなという経験をしました。




古民家の縁側は壁を取っ払う

そして食の世界からより深く繋がるにはという問いの中から
「生産者さんと料理人が繋がる」「料理人とお客さんが繋がる」「料理人が生産者さんとお客さんを繋げる」というような循環を目に見える形にしたり、
「〇〇○屋さん」×「料理人」という異業種さんとのコラボや、
「自然」×「料理人」や「歴史」×「料理人」など色々な食の団欒を作ってみたり、
塩を作ることにより海と繋がり、
その塩をより美味しくするには山の整備が必要だったりと
色々なことが実は繋がっていることに気づかされる経験を積んできました。


薪火で塩を作ってます


そんな経験を積んできて現時点の自分の中にある答えは・・・


「結局くりかえす、そして課題は尽きない」
ということです。

それはマイナスなことではなく
視座が上がる、というのでしょうか。

友人が「アウフヘーヴェンかな」と言ってくれました。


・経験が増す
・仲間との共感が増す、深まる
・ぽかぽかする
・安心する
・頼もしくなる
・嬉しくもなる
・「大丈夫」
・どんな状態になっても大丈夫

繰り返し、繰り返しの中で上のように思えるような仲間との関係が育ってきています。


本日の結論


お金の使い道として「楽しみを得る」や「不安を和らげる」という目的を達成するための手段もあると思いますが
ともに経験を積んでいく「友達」や「仲間」という存在があれば
実は「楽しみ」と「不安」に費やす「お金=手段」が必要なくなり、
さらにお金では手に入らない関係性(思い出や技術など)を育み、豊かに暮らせていけるのではないのか、というところに行き着いています。

そのような関係を作ることが今の、そしてこれからの自分の生きる道なのかなぁと思っているのでございます。



そんな関係が広がっていけば
良いのだろうな。




次は「認め合うこと」のような内容を
考えてみます。

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