見出し画像

病院を転々とさまよって。(私のこの症状は、何? 誰も教えてくれない)その3

 21歳から家を出て、一人で暮らしていたけれど、結婚することになり、半年くらい実家に戻った。こんな私でも、結婚できるのは奇跡のよう。でも、結婚式当日にパニックを起こしてしまったら、と思うとそれどころではなかった。
 今度こそ完治させよう。どこまでも、ヘンに前向きな私は、国立病院に行くことにした。実家から自転車で1時間くらいかかるけれど、電車に乗らなくて良いのでありがたかった。
 最初は、いつも通り泌尿器科からスタート。尿検査をやっても異常値が出ない。ここでは導尿と言って、尿道に管を入れる方法で検尿して、ものすごく痛かった。
「うーん、もう泌尿器科で出来ることないです。まだ違和感があるのなら婦人科系を疑ってみてもいいかもしれない。紹介状を書くから、そっちに行ってみたら?」
 匙を投げられてしまった。当然だ。どこも悪いところがないわけだから。
 でも、ここでももしかしたら、心療内科のテリトリーでは? と思ってくれていたら。もちろん、きっと今なら、そのルートもできているだろうけれど、いかんせん昔のこと。数値が正常なら、どうすることもできなかったのだ。

 さて婦人科。これから、結婚しようというのに、婦人科系の病気だったら? 実は子供が産めないのでは? などとまた悪いことばかりを考えてしまう。
 それとは別に、母にさんざん痛めつけられていたので、この時点では子供を持つという普通の結婚生活を全く思い描くことが出来なくなっていた。
 また、辛いことが沢山あるのに、さらに子供を産めないということがわかったら、完全に絶望してしまうのでは、この先生きていかれるのだろうか、という気持ちがあった。産めるのに産まない選択をするのと、そもそも産めないとわかってしまうのは、また違う意味を持っている気がした。
 そのせいで。
 婦人科へ足を向ける決心が鈍った。迷いに迷って、漸く重い腰を上げたのは、数か月後だったと思う。紹介状を持参したのか、カルテに書かれていたのかは忘れたけれど、とにかく泌尿器科の先生が書いた日付が刻まれているわけだ。
 それを見た40代半ばの看護師の女性が、
「まっ、一体どういうつもりなんだろうね! こんなに日にち経っちゃって! よくもまぁ平気で来られること!」
 と大袈裟に抑揚をつけた声でがなり立てた。
「自分の身体だっていうのに、こんなに間あけちゃって、どうかと思うよ。こういう人がいるから、まったく!」 
 どうして初対面の人に対してここまで罵ることができるのか。怒り狂えるのか。今思えばその人も、相当に病んでいたのだろう。日々の忙しさのストレスを、どこかで発散させなくてはやっていけないくらいに。私は、前にも書いたけれど、こういう人達のターゲットになりやすいタイプだった。全て押し黙って嵐が去るのを待つ、という対処法をしていたから、言う方も安心して怒りをぶつけてきたのだろう。
 この看護師は、きっと日々吠えまくっていて、医師や同僚が注意などしようものなら、何十倍にもなって返って来るから、周囲の人たちもきっと何も言えないのだろう。
 今なら、そこまで思いが馳せられる。けれども当時はやっと行くことができたのに、こんなに責め立てられ、診察待ちの他の患者さんにも聞かれ、ものすごく恥ずかしかったし悲しかったのを覚えている。でも、反論はできなかった。思考がストップして、何も考えることができなかったし、大人に言い返すという発想がなかったのだ。
 深く傷ついて、早く家に帰れるよう願いつつ、ぎりぎりのところで心を保っていた。
 こんなことを言われても言い返せないところが私の病理だと思う。今同じことが起きたら、絶対に反論するし、おそらく起きないだろう。私がそのようなオーラをもう脱ぎ捨てているから。
 あの看護師は、どうしただろうか? きっとたくさんの人を傷つけたことだろう。婦人科というデリケートな場所、就職先を間違えたのではないか。配属されたのが、たまたま婦人科だったのかもしれないけど、罪深い人だ。
 私は、ズタズタに傷つき、一度限りでその婦人科に行くのも止めてしまった。私の症状は、パニック障害だったのだから婦人科に続けて通ったとしても、決して治らなかっただろう。早く見切りをつけて良かった、と今は思う。
 けれども、そう結論づける前には、まだまだ長い病院行脚の日々が待っていたのである。

 今苦しんでいる人へのメッセージ。心ないことを言う人に出会った時に、反論は出来ないかもしれない。でも、その人から離れることは出来る。我慢しないで、もちろん何も言わずに去っても良い。相手がどう思うかなんて、考えなくても良い。
 逃げるというと卑怯というニュアンスも含まれているかもしれないけれど、もし猛獣が襲ってきたら、逃げるのが最善の方法。猛獣、なんて大袈裟と思うかもしれないけれど、命を奪う点においては傷つける人と猛獣は同じ。そうして、それは大いなる練習となる。いつか自分をとことん苦しめてきた毒親から逃げる時の。そう、親からも逃げて良い。全然良い。まったく良い。100%良い。

 それと、攻撃してくる人は、思いのほか人を良く見ている。このヒトは、自分より下、だから攻撃しても反撃できないだろう、自分の方が目上だから傷つけても良い、など無意識だとしても人選をしている。毒親が、子供を責め立てるのは、自分より弱いということを重々知っているからで、これらすべてを跳ね返すには、そういうオーラを棄てる必要がある。現に私。色々ひどい目に遭って来たけれど、「私なんてどうせダメ」「こんな私をいたわってくれる人なんかいない」「もう人生で何も良いことなんかない」などの暗い気持ちを解き放ったら、人から痛めつけられることは完全になくなった。だから、そういう人たちのターゲットにならないようにするのは、とても大切。負けないで。そんな卑劣な人たちに。

こんなに長い文章を最後まで読んでくださり、本当にどうもありがとう。今苦しんでいる人がいたら、少しでも明るい希望が訪れますように・・・。

 そうして、またアップしたら他のエッセイもぜひ読んでほしい。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?