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ピアノだけに狂騒曲(ほとんど恐怖のレッスン日と発表会) その4

  在籍していれば、当然「発表会」というものがある。これも、相当のプレッシャー。3,4回出たけれど、良い思い出は一つもない。
 まず先生が曲を選ぶ。それを暗譜しなければならない。曲名は覚えてもいないけれど、短調が中心の暗い曲が多かった。まず、耳が楽しくない。
 相変わらずテレビのせいで練習がしにくい。しかも暗譜というハードルも増える。他の生徒さんは、楽しいのだろうか。個人レッスンのため、そういうことをわかち合える友達もいなかった。
 ある年の発表会の日、生理の2日目とぶつかってしまった。用意していたのは、クリーム色のワンピース。曲がうまく弾けるかどうかより、赤い染みをつけてしまわないか、という気になる問題が持ちあがった。 
 それなら、衣装を変えれば? と思うかもしれない。いやいや、それはできないのだ。
 まずネグレクト気味の母は、私に服をそんなに買い与えていないから晴れの舞台に着て行く服は、その一着しかない。さらに、生理の話を母にするのはご法度だった。
 この話は、また改めて深く詳しく書くつもりだけれど、母はとにかく生理というか、娘が女性に成長する関連の話をするとものすごく不機嫌になってしまう。
 長じてインターネットで知って本当にびっくりした。毒母は生理の話を極端に毛嫌いする人が多いらしい。その理由は、娘が女性になっていくのが「気持ち悪い」らしい。
 自分だって経験したことだろうに、成長過程の一つなのに、一体何を考えているのかと憤りさえ感じるけれど、当時はなるべく母を怒らせないように、生理の話を避けて暮らしていた。
 だから、この時も伝えるという選択は万に一つもなかった。それどころか、トイレにナプキンを持って行くにも、ものすごく気を使い、最初に会場のトイレに入った時に、個室にこっそり2,3個のナプキンを隠しておいたことを覚えている。雑誌の「りぼん」の付録だった赤い紙製のケースに入れ、汚物入れの後ろの死角に置く。
「こんな苦労、普通の人はしてないだろうな」
 頭の隅で、チラッと考えた、でもそれよりなにより今日と言う日を粗相なく無事にやりすごすことが最優先。
 もしも無邪気に母に打ち明けていたとしても、望むような反応はもらえっこない。
「あーあ、よりによってこんな日になるなんて、ついてない」
 とか、
「粗相しないよう気をつけなさいよ! みっともないから!」
 とか、強い口調で言われるだけ。容易に想像できる。
 言うだけ、無駄。
 私は、一つでも罵りの言葉の毒矢から逃げようと必死だった。
 他の年、暗譜もおぼつかないまま、発表会当日になってしまったことがある。先生も渋々OKを出した感じで、自分の番が近づいてくるにつれ、緊張して上手に弾けるかどうかより、早く終わって欲しい気持ちの方が強まっていった。
 私が本格的にパニック障害を患う直前のこと。今考えると、発症する前でまだ救われた。そうでなければ、私はステージから逃げ出していたかもしれない。
 うまく弾けるかドキドキするのは、ちゃんと練習した人が思うこと。私は、その境地にも達していなかった。
 本番は、どうなったかと言うと・・・。ほんの最初の方で、和音を弾く際に違う鍵盤を叩いてしまい、とても気持ちの悪い音が鳴り響いた。
「あ、やっちゃった」
 それから、どうやって弾き終えたのか記憶にない。ただ、
「落ち着いて弾けばいいのにねぇ」
 と小さな男の子の声が聞こえ、それに励まされ少し気を取り直した。そんなことを言われてしまうほどに、ひどい演奏だったのだ。
 途中はしょったりしつつも、なんとかステージを降りた。
 ステージ袖で先生が、笑顔の一つもなく、
「ちゃんと弾き直せたじゃない」
 と迎えてくれた。ある意味、先生の顔に泥を塗ったのだから当然。
 その顔が怖かったけれど、終わった喜びが勝り、どうでも良くなった。
 それなのに。
 すべてが終了した後に、男の人が近づいて来て、
「すみません、音響を担当している者なんですけど、あなたの演奏中機材の調子が悪くって録音できなかったんですよー。申し訳ないけど、もう一度弾いてくれますか」
 と言った。
 もう一度?
 ほっとしていたのに、がっかりした。機械の故障を恨んだ。その録音されたカセットテープは、一度も聴いたことはないけれど、きっと本番よりはましな演奏だったと思う。
 それから数年後、音響の仕事をしている人と話す機会があり、思い出話としてそのエピソードを伝えた。
 すると。
「ははは、そういうことある。あんまりひどい演奏だと、記録に残せないから適当に口実作ってもう一回弾いてもらうんだ」
 そうだったのか!
 それほどにひどい演奏をしたのか。時を越えて知った、真相。少しショックだったけれど、もう過去のこと。自嘲気味ではあるけれど、その人と一緒に笑うことができた。
 それくらい、ピアノが嫌いだったんだね。少女の私に、同情してしまう。
 結局私は、大学受験の時期に、先生の方から、
「受験が済むまでお休みしたら?」
 と提案してきて、私もその大義名分を持って母にレッスン休止を告げることができた。10年余りにわたる辛いレッスンに別れを告げることが、ようやくできたわけだ。
「しばらく休んで落ち着いたら再開するということで」
 母には、そんな希望的観測を口にしたけれど、二度と鍵盤に触れるつもりはなかった。
 今もあのアップライトピアノは、実家の居間にある。誰も手を触れず蓋の上には、古新聞がつくねられている。
 かわいそうなピアノ。他の家庭に買われて行ったなら、今も毎年調律されて、美しい音を奏でていたかもしれないのに。
 そうして、どうしてこんなに我慢してまで続けていたのか、疑問に思う。けれど、私をパニック障害にしてしまうほどに、ものすごいパワーを持つ母の前では、ピアノを辞めたいとは、とてもじゃないが言えなかったのだ、と結論づける。
 
 私は、極限まで耐えてしまったけれど、今同じような状況にいる人がいたら、勇気を持って拒絶した方が良い。ピアノやバレエと言った習いごとだけではない。進学塾も同じこと。私自身が親になった時に見たのは、そういう所に手を引っ張って無理やりに連れて行った子供が、後にDVになってしまったり、引きこもってしまったりしていること。何例も見ている。ある程度は従順にしていても、いずれどこかで、そのプレッシャーに耐えられなくなってしまうのだと思う。ママ友として、控え目に伝えたけれど、母親本人は良かれと思ってやっているのだから、全然聞き入れてはくれない。自分が壊れる前に、強い力で拒否した方が良い。それを続ければ、
「この子は、何を言っても言うこと聞かない」
 と諦めるから。そうして、虎視眈々と、家を出るその時期を待つ方が良い。壊れたら、元に戻るのにとてつもない時間を要するし、そもそも子供は親の持ち物でも、言うことを聞くお人形でもないのだから。それは、どんなに訴えても毒親には理解してもらえない。そんな人とつきあっていられるほど、人生は長くない。

 こんなに長い文章を最後まで読んでくださり、本当にどうもありがとう。今苦しんでいる人がいたら、少しでも明るい希望が訪れますように・・・。

 そうして、またアップしたら他のエッセイもぜひ読んでほしい。
 


 


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