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小ウソつき子さんに、なりました。(パニック障害と毒母の猛威を隠すためについた数々のウソ)その3

 思えばパニック障害になったから小ウソつき子さんになったのではなかった。母は厳しく何でも管理しようとしてきたので、たくさんの小ウソをついてきた。
 例えば。
 小学6年の時に中高生が読む「セブンティーン」という雑誌をこっそり買っていたこと、遊んじゃいけないと言われた友達と遊んでいたこと。「セブンティーン」を買っているのがばれた時、咄嗟に友達からもらった、とウソをついた。そんなウソ、きっと100や200では済まない。
 周囲を見ていて、そんなこと禁止するのはうちの母だけだと思ったし、本当のことを言って怒られるのも嫌なので、幼いながらも出した結論がウソをつくことだった。
 これは、当然の流れ。子供を持ってから、厳しいお母さんに育てられている子供をよく見かけたけれど、やっぱり私と同じようにウソをついていた。しかたないよ。これしか生き抜く方法は、ないのだから。心の中で、その子たちに伝える。
 ウソをつく時、罪悪感を感じないようにする術も同時に学んだ。ウソをつかなければ友達を失うし、欲しい物は何も手に入らなくなってしまう。後ろめたい気持ちを抱いたら、やっていけないから。
 何も欲しい物すべて手にいれようとしていたわけではない。母は、話も聞かずに何でもダメダメと言う。人の気持ちに寄り添う気が、ゼロなのだ。
 たまに聞いてみても、ろくな結果にならない。小学6年の時のこと。友達から、電話がかかってきた。
「明日マーガレット(少女漫画誌の週刊マーガレットのこと)一緒に買いに行かない?」  
 と誘われた。
「ちょっと待って。ママに聞いてくるから」 
 受話器を置いて、食事中だった母の元へ。内容を伝えると、即座に、
「ダメよ」
 とだけ。取りつく島もない。
 漫画、と聞いただけで教育上良くないと思っているようだ。さらに、母はこの友達が大嫌い。理由は、親が離婚しているから。彼女にまつわる話は、もっとひどいのが色々あるので、それはまたの機会に書くことにする。
 受話器まで戻る間、幼い頭でとっさに考えた。ダメだって言われたこと、友達には言いにくい。もしかしたら、明日の朝もう一度頼んだら許可してくれるかも。きっと一生懸命に頼んだら、良いって言ってくれる可能性もある。
 根拠のない希望をでっちあげ、
「明日にならないとわからないって」
 と返事をした。
「全部聞こえてたわよ。ダメって言われてたじゃない」
 電話の向うの友達の声。まだ保留機能などない時代、ごまかそうとしても無駄だった。私は、顔から火が出るくらいに、恥ずかしかった。友達の声も、心なしか軽蔑のニュアンスが含まれているように感じた。
 よく母と友達の間で板挟みになることは、あった。普通の家庭では反対されないようなこと、例えば隣りの駅にある少し大きな公園にピクニックに行くようなことでも反対してきた。10人位で計画して、反対されたのは私だけのようだ。隣りの駅、と言っても電車は使わず、歩いて行く予定だったのに。小学6年なのだから、それくらい問題ないだろう。
 反対されたことは、友達には言いたくない。
「ママがダメって言ったから」
 そんなのは、ヘンに思われるだろう。もう小学6年生なのだから。しかたなく理由をこじつけで考える。
「その日、おばあちゃんちに行くんだって」
「え、それは残念だね」
 友達は、疑いもなく信じ、心の底から残念がってくれる。
 私は、ウソをついた辛さと、皆と一緒に行けない悲しさで、よく泣きそうになった。
 でも、泣くのもおかしいから、グッと我慢。そうすると止めた涙の分だけ、喉の奥が痛くなってくる。
 すごいストレスがかかり、唾を飲みこむことができなくなる。
 幼少期にこんなことばかり繰り返していたら、そりゃパニック障害にもなってしまうだろう。
 必然。
 我慢ばかりしていた日々は、きっと私の心に積もりつもって、17歳のあの日にとうとう爆発してしまったのだと思う。
 だからもし、若くして苦しんでいる人がいるのなら、そうして一番愛してくれるはずの両親が機能していないのなら、他に助けを求めてほしい。 
 私は、世界の全員が敵だと思っていたから、相談するという発想がなかったし、もし言ってこれ以上傷ついたらもう立ち直れないと思いこんでいたけれど、当然愛されるべきはずの親に邪険にされる以上に悲しいことはそうそうないし、よしんば裏切られたとしても、
「あ、このヒトは、助けてくれないんだな」
 とスパッとおさらばすれば良い。そうして、次のヒトを探した方がよほど前向きで建設的だということに気づくのが遅くなってしまった。
 だから、どうか今苦しんでいる人は、少しだけ勇気を出して言葉にしてほしい。伝えられなかったこと、言葉にできなかった思いを溜めこむ場所は、本当は体の中になどはないのだと思う。
 それを無理やり(しかたがないとしても)ストックしようとしてしまうから、壊れてしまう。冷蔵庫にモノを詰めこみすぎたら、冷気が行き渡らず腐ってしまうのと同じこと。詰めこみすぎは、ダメだ、やっぱり。

 さて、時間を高校3年生に戻そう。
 大学入試はどうなったかと言うと。試験中何度も発作を起こしそうになりつつも、なんとか途中退場はまぬがれて、無事に第一志望に合格できた。その喜びよりも、人様に失禁という醜態をさらさなくて良かった、という思いの方が強かった。
 何の心配もなければ、合格の喜びだけで心は満たされていただろう。皮肉なものだ。
 でも、いい。
 そういう成功体験は、少なからず自信につながっていくのだから。
 ともあれ、
「あんな大変な状況でよく合格を勝ち取ったね、偉いよ!」
 とあの頃の自分を褒めてあげよう。
 今は、あんまり小ウソつき子さんになることは、ない。もう通学を一緒にする友達もいないし、誰かと会ってランチをしたりするのも、現地で会うことが殆どで電車に一緒に乗る機会も少ないから。
 今でも、些細なウソをつかなければいけなかった少女時代のことを考えると、情ない思いが胸に広がる。
 もし同じような思いを抱えている方がいたら、過去の自分を思いきり褒めてあげてほしい。そうすることで、心の隅で悲しんでいる小さなあなたは、きっと救われるから。
 そのたった一人の味方役が出来るのは、自分自身。他の誰にも担える役ではないから。

 こんなに長い文章を最後まで読んでくださり、本当にどうもありがとう。今苦しんでいる人がいたら、少しでも明るい希望が訪れますように・・・。

 そうして、またアップしたら他のエッセイもぜひ読んでほしい。


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