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病院を転々とさまよって。(私のこの症状は、何? 誰も教えてくれない)その2

 病院もあちこち行ったけれど、東洋医学にも首を突っ込んだ。
 私は大学4年の秋から実家を出て一人暮らしをしていたのだけれど、その頃、ある日駅前に駐輪していた自転車のカゴに「どんな病も治る。問題は血流。お灸で体を温め体温を上げれば、不調はたちどころに改善」と言うような文章が目立つ書体で書かれたチラシが、投げこまれていた。
 熟読した。
 西洋医学でどうにもならないなら、この際何でも手を出してみよう、という気持ちになっていた。自転車のカゴに投げ込むくらいだから、その店は近所にあった。訪ねたら、そこは怪しい民家。店ではなかったことにちょっとひるんだけれど、勇気を振り絞って、ドアを叩いた。
 おばあさんが応対してくれ、色々説明を受けた。中でも身体の冷えを取るのがとても重要、という話に納得して、そのお灸を購入することに。一日一回のお灸と青汁の錠剤を飲む生活が始まった。ここでも私は、症状を「繰り返す膀胱炎」と伝え本当の不安は口にすることが出来なかった。たしかにどんな症状であっても、身体を温めるのは有効だと思ったので、真面目に続ければ今困っている症状も良くなるだろう、と拡大解釈をした。こういうところが、問題の本質とちょっとずれて、精神的なことが作用しているという気づきが遅くなった原因なのかもしれないけれど。お灸は、深緑色の半練状のものが小さなカップに入っていて、それを2つお腹の上に乗せ点火、30分施術する。
当時は、まだ若かったので、即効性がないとモチベーションがわかなかったし、いかんせん高くて経済的に難しかった。それでも、2,3ヶ月は続けただろうか。このように、よくわからなくても効きそうなものにはよく手を出していた。
 お灸の治療をしている間、一度実家に帰る用事があった。まだやり始めの頃だったと思う。だから、律儀にお灸セット一式を持ち帰った。
 夕食も済み、自分の部屋に引っこんで、お灸セットを取り出す。母がどうか部屋に入ってきませんように、と祈る。母は、無神経なのでノックもせずに部屋を開ける傾向があるから、その場合お灸を隠す暇もないだろう。見つかったら、その時はその時、と覚悟を決めて火を点ける。
 規程の半分くらいの時間が過ぎた頃、本当にノックもせずに入ってきた。
 私がお腹を出して、お灸を乗せている様子を見て、
「何してんの?」
 と聞いてくる。ここまでは想定内の状況。
「体調良くしようと、お灸してんの」
 用意してあった受け答え。
 そうしたら。
 せせら笑われた。
 言葉にすれば、
「そんなものに頼っちゃって」 
 という感じだろうか。
 ふつう娘がそんなことをしていたら、どこが具合悪いのか尋ねないだろうか? 医者には行ったのか、などと聞くのが普通ではないのか。大騒ぎされても面倒くさいから、この程度で終わって良かった、と思う反面、本当に私のことには興味がないんだな、と思い知らされた瞬間でもあった。
 私自身子供を持ってみてわかったことだけれど、大切な子供にここまで無関心になろうと思ったって、なれやしない。夜に何回も水を飲みに来れば、夕食のメニューの何かが塩辛かったのかな? と思うし、トイレの間隔が近いと、お腹壊しちゃったのかな? と心配になる。
 だからと言って、大騒ぎしないように気をつけている。それって、私が母にやられて最も嫌だったことの一つだから。無関心なのは平常時のみ。お灸が平常時とは言いがたいけれど、この時は私が苦しんだり焦ったりしていなかったことで、平常時とみなしたのだと思う。
 腹痛でうなっていたりすると、
「心配かけないでよ!」
 と怒られる。自分が心配して心を乱されたくなくて、苦しんでいる私を叱るのである。
 原因が食べすぎだとしたら、
「ほら、がつがつしてるからよ!」 
 という具合。生理痛だと、
「そういうことがあるからなの!」
 とヒステリックになる。病気ではない。だから、我慢しろということ。かえって傷つけられてしまう。
 心配することが耐えられないものだから、その状況を作った私を非難する。これは、毒親にありがちな思考回路だということを、最近知った。
 だから私は、子供達の様子を密かに観察して大丈夫かどうか判断する癖がついた。そもそも私の二人の息子は、具合が悪ければ素直に伝えてくれる。そうして、状況をよく聞いて病院に行くべきか否かも話し合って決める。こういうことが、こんなにスムーズで簡単なことだとは、全く知らなかった。
 このように、普通の家庭なら何もトラブルにならないようなことが、歪んだ状況によって、面倒くさい手順を踏まなければいけなくなってしまうのだ。

 「病名さえ知らずに」のエッセイでも書いたけれど、体調がすぐれなくても黙っているようになってしまう。具合が悪くても、元気だと小ウソつき子さんになるのである。
 一度など生理痛で、ベッドの上で七転八倒していた時、階下から夕食に呼ばれた。
「今お腹いっぱいだから―」
 と精一杯明るい声で、応えた。脂汗をかきながら。
「ちゃんと時間でご飯食べなくちゃしょうがないでしょ!!」
 どちらにしても、怒られる。でも、正直に生理痛で苦しい、などと言ったら、
「お母さんはご飯が食べられないほど痛くなったことなんてない! 一体誰に似たんだろ?」
 などとお門違いのことを言い出すに決まっているから、叱られた方がまだ楽なのだ。
 おちおち具合も悪くなれない。


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