見出し画像

ピアノだけに狂騒曲(ほとんど恐怖のレッスン日と発表会) その3

  母は、それが狙いだったのかもしれないけれど、そこまで賢くはないので、単に私が真剣に辞めたいと言っているその熱量に気持ちが推しはかれなかったのだろう。
 小学6年の頃には、これまた勝手に学習塾に申し込んだ。家から離れている場所にあったので、私一人違う小学校で疎外感を感じて、本当に行きたくなかった。こちらは我慢ができないほど嫌だったので、頼みこんで辞めさせてもらった。運よく辞められたのは、きっと塾終わりのお迎えが思いのほか大変だと気づいたからだろう。終わると真っ暗だったので、父か母のどちらかが迎えに来ているのだが、二人とも教師なのだからそのやりくりが難しかったのかもしれない。
 けれども、嫌味を言うことだけは忘れない。何度も何度も、それこそ何十回も、
「あんたが算数が苦手だから、やっと見つけてきてやったのに! 国語は中学2年の学力があるって言われてたのに! 苦労して入れてもらったのに1か月で辞めちゃってさ」
 と言われ続けた。ねちねちと。
 ピアノを辞めさせてもらえなかったのは、この塾の件が尾を引いていたのかもしれない。
 転居先のピアノの置き場所。これは、前の家にもまして劣悪なスペースだった。テレビの置いてある居間に設置されたからだ。
 ふだんは、ピアノの前に3人がゆったりと座れるほどの大きなソファが置かれ、弾こうと思ったら、それを移動しなければならない。
 その億劫さと言ったら‥‥。
 それだけでは、ない。
 まだインターネットもなく、テレビも一家に一台しかない時代。娯楽はテレビだけだったから、いつも家族の誰かしらがソファに座り、ブラウン管を眺めているのである。
「練習するから、ちょっとどいて」
 どくわけがない。
 明日がレッスン日の場合は、そこで引き下がるわけにはいかないので、立膝をついた状態でソファの座面に乗り、ピアノの蓋を開ける。
「うるさいっ」
 父や弟の声が、飛んでくる。
「テレビ見てるんだから―」
 ヒステリックな父の声。
 私は、ほとほと嫌になっていた。
「ピアノの練習が、できない」
 母に訴えたこともあるけれど、
「皆がテレビ見てない時間にやればいいじゃない」
 と軽くいなされた。夜中の11時頃に? 何しろ、ずっとテレビを見ているし、時折母でさえ、
「テレビ見てるんだから、静かにしてよ」
 と言ってのけた。
 そうして嫌な思いだけが、蓄積されていく。
 毎年調律の人が来て、2,3時間とぎれとぎれに音を鳴らして何やらやって行くが、あまり使われていないのがわかるのだろう、帰り際に私がすぐそばに立っているというのに、母に向かって、
「ほぼ問題ありませんでしたが、練習するように発破かけてください」
 と言った。本気で、ムカッときた。
 弾いていないのが、この世の悪、みたいな言い方。
「親がせっかく高いお金を出して買ってくれたピアノを飽きたからってちっとも弾かない悪い娘」に映っていたのかもしれないけれど、だったら私に直接言え、と意地の悪いことを考えていた。ピアノに関わる人すべてが坊主憎けりゃ、で嫌いだったのかもしれない。
 こんなだから、前の先生にもまして、私はお叱りを受けることになった。ある時は、一時間以上も。
 私は、早く終わりますように、と心の中で念じながら聴いているので、内容は何も入ってはこなかった。事実、今でもほとんど覚えていない。
 金曜日の5時のレッスンが終わった後は、天国。あと一週間、ピアノに向かいあわなくても済む。毎週そう思っていた。
 これが練習のできる環境だったら、違ったのだろうか。少しは先生に褒められ、やる気を出せていたのか
 そんな仮定の話は、無意味。とにかくレッスンの日が、ゆううつだったのだ。
 ある初夏の日、レッスンの日だった。学校から帰ってすぐに練習しなければ、もう間に合わない。それなのに、暑かったので缶入りのソーダを飲んだ。梅味だと思ったら、梅酒入りだった。アルコールはほんの少しだったかもしれないが、眠くなってしまい、
「ちょっとだけ」
 とベッドに横になった。
 現実逃避。
 起きた時は、レッスンの10分前!
 あわてた。すぐ近くなので時間に遅れる心配はないけれど、何しろ全く練習をしていない。階下に降りて行ったら、たまたま早く帰宅していた母が台所にいた。
「ソーダ飲んだら梅酒入ってたみたいで、寝ちゃって全然練習してないっ」
 と泣きついた。
 それを聞いた母の、反応。取りつく島もなく、
「知らないわよ。自分がいけないんでしょ!」
 と。
 私の方を、振り向きもせず。私は、楽譜を脇に抱え、叱られるためだけに家を後にした。
 毒母は、こういう時決して助けてはくれない。人の気持ちに寄り添えないから、私がどんな気持ちでいるかなんて関心もない。
 たしかに寝てしまったのは、私が悪い。でも、そもそも、
「辞めたい」
 と言っているのに、それを受け入れずに続けさせるから、このようなことが起こると言うことを全然わかっていない。
 私は、自分からやりたいと言って通ったそろばん塾には熱心に通っていた。友達と楽しみながら、検定試験を受けて級が上がっていくのが本当に嬉しかった。でも、そろばんは母のお眼鏡にはかなわなかったから、進級しても喜んではくれず、逆に級が上がればそれだけ遅い時間のクラスになることに文句を言っていた。塾の時とは違い、迎えに来るという発想もなかった。塾は勉強、そろばんは遊びと思っていたのか、それとも友達と一緒に行っていることがふざけているとみなしていたのか、とにかく良い顔はしていなかった。
 そんな私の気持ちを思うほど、母は暇ではなかったということだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?