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私にとって「それは、普通のこと」だったから。



1月上旬、道の駅でレジをしてもらっている時

令和6年能登半島地震の募金箱が
置いてあるのを見つけた。



その募金箱は、半透明のプラスチック容器に
小銭が入るくらいの穴が、空けてあったもの。

固くて切りづらい蓋を
「カッターナイフで、必死に空けたのかな?」と
思うような歪な穴の形に、その人の温かさを感じた。



私は、その募金箱に
財布の中にあった100円玉を入れた。

本当は、500円玉を入れたかったのに 

その時は、1枚もなかったから
ちょっと悔しかった。



募金箱に入れた後

隣にいた夫が小さな声で
「えらい」と呟いた。

私は、その言葉に「?」だった。



困っている人
悲しんでいる人
怖がっている人
辛い想いをしている人に

自分ができることをするのは
「普通」だと思っていたから

夫の言葉が、しっくりこなかった。



私が「?」と思ったことは
それだけじゃない。

中がぼんやり見えるような
半透明な募金箱を見つけた時

「ん?これお金入ってる?
ん~?本当に入れて良いのか?」と
ちょっぴり不安になった。笑



レジをしてもらっている間

募金箱の底を、冷静にガン見していたが
(顔を近づけて、見ているわけではないですよ笑)

「やっぱり、入っていない…」



店内は、たくさんのお客さんで賑わっているのに…

私の前に、たくさんのお客さんが並んでいたのに…

と、ちょっぴり残念に思った。



だけど、もしかしたら

別な場所で、募金をしているのかもしれない。

私とは別な形で、支援をしているのかもしれない。

そういうことにして
私は、募金箱へお金を入れた。



今回だけではなく
今後も、募金箱を見つけたら

「今の私にできること」として
募金をしていきたいと思う。



こんなにも
たくさんの人が悲しむ大きな地震は
もう起きてほしくないとは思うけど



何度も大地震を経験している私は
「良い部分もある」と感じている。



それは…

必ず「学び」があり
「地震に対する知恵と意識」を
持てるようになる。

ということ。



東北に住んでいる私は

東日本大震災の前から
どっかんどっかん
大きな地震を経験している。

東日本大震災のあとも
同じくらいの強さの地震を
何度も経験した。



3年前くらい前に購入した家も
1年経たないうちに、壊れた部分もある。

その後も、また大地震があり

外壁に亀裂が入ったり
ネジが、すぽーんっと抜けてしまったり…

「おい、キリがねぇよ」
やれやれという感じだ。笑



そんな地震の度に

揺れ方
傾くもの
ずれるもの
壊れるもの
開いてしまうもの
落ちてくるものは

毎回、違う。
だから、必ず「学び」がある。



そこから「次は、どうしたら良いのか」を
考えることができる。

もし、それをやらずに
「ただ片付けるだけ、元に戻すだけ」を
やってしまったら、どうなるか…

考えてみてほしい。



私は、考えることを繰り返してきたから

「危険が少ない収納と、家具家電選び」 

「私達夫婦ならではの、防災グッズ作り」

「キッチンに、落ちたら危険なものがないか」
を寝る前にチェック

など


「地震に対する知恵と意識」を持てるようになった。




大きな地震が起きた後は

「怖い、悲しい、辛い」など
ズーンっと沈んだ気持ちに
なってしまうのは、ものすごくわかる。



だけど、「良い部分」を
皆さんにも、見つけていただきたい。


「◯◯のおかげで助かった」でも、なんでも良い。

それは、次の大地震が来た時
必ず「誰かの命のため」になるから。



私の記憶に1番強く残っている「東日本大震災」

私は、この時の「悔い」が残っている。

それは「もう少し、力になりたかった」
という気持ち。



当時、19歳だった私は

眼科で診察待ちをしている時に
大きな揺れが襲ってきた。

その時、隣にいた足腰が悪そうな
おばあさんを守るために、覆い被さった。

天井から、ポロポロと白い粉が
落ちてきて、大きな恐怖を感じた。



揺れがおさまってから、外に出て

病院の駐車場にいた
患者さん達に声をかけた。



ソワソワ落ち着かない様子の
おばあさん数名に

「怖かったですよね、大丈夫ですよ」と
背中をさすった。

だけど、私の手は小さく震え

心臓から殴られているような
動悸が止まらなかった。



私と同じように診察待ちをしていた
同級生の妹さんがいた。

とても怖がっていたから
背中をさすりながら歩いて

家の近くまで一緒に帰った。



本当は…

もう少し患者さん達に声をかけたり
私にできることを、お手伝いしたい

という想いがあった。


だけど、家にひとりでいる母のことも気になり

妹さんと一緒に帰ってしまった。

それが、私の悔いとして残っている。



この頃、仕事のことで
すっかり病んでいたというのもあり

私の最大限のパワーを
出せなかったのも悔しい。



だから、次こそは

私が、クタクタになるまで
声をかけたい、寄り添いたい。

その時の「今の私にできること」を、全力で。



今日も、読んでいただき
ありがとうございました!

またね~🌼




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