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自律的キャリアの個人的な話(キャリア観)

こんにちは。くにです。

ジョブ型、自律的キャリア、リスキリング。国内でもここ数年で労働市場の流動化を前提としたキャリア観が醸成されつつあります。人によっては急なゲームチェンジに見えるかもしれないですね。たまたまではありますが、個人的には「昔本で読んだ話にようやくなったのだな。」という印象を持っています。

というのも、私は比較的若いころから、今盛んに歌われているような「キャリアは自分で作らなければならない」というキャリア観を持っていたからです。これは、ある意味世間知らずだったからこそ刷り込まれたものでありました。

私が就職した2003年当時、計画的なキャリア目標を持つことの重要性は誰しもが認めていたものの、会社や社会のシステムは今ほど流動性の高いものでもなく、自律的なキャリアを形成するには窮屈なものでした。

この記事では、個人的なキャリア観の形成過程を振り返りつつ、自律的キャリアについて考えてみたいと思います。

草食的な就職活動

私が新卒で就職したのは2003年でまさに就職氷河期の末期でした。とはいえ、地方の大学院に在籍しながら就職活動を行っていた事情もあり、ややのんびりとした雰囲気だったと思います。就職活動は大切だと思いつつも、目の前の研究も充実していた時期でした。

就職先を選ぶときに自分が考えたのは「何をどこでやるか」ということだけでした。つまり、職種・ジョブとして何をやりたいかを第一に考え、それを色濃く実践できる会社を探すという素直なものでした。社風、初任給、残業時間の多さ、立地といった要素はほとんど考えていなかったというのが正直なところでした。

このシンプルすぎる選択方針は自分に合っていたと思います。しかし、初任給や社風の確認をほとんどしないというのはあまりにも無知でした。学生時代は、新聞もとらずテレビもほとんど見ないような生活を送っていたので、世間知らずもいいところでした。

それでも運よく第一志望の会社に就職することができ、晴れてSEとしてキャリアをスタートさせたのでした。

キャリア目標のない新入社員

就職した当時、私は明確なキャリア目標をもっていませんでした。どうやって未知の土地で生きていくか、仕事に慣れるにはどうしたらよいか、ということで頭がいっぱいだったからです。

新人研修が始まって周囲を見回してみると、みな優秀そうで、明るく、コミュニケーション能力の高い人の集まりに見えました。自分より高学歴の人もゴロゴロいて、どんどん不安になっていきました。

この時点で将来のキャリアパス、例えばPMになって大きなプロジェクトを動かしたいとか、マネジメントを目指したいとか、そういった目標を持っていた人はそれなりにいたと思います。

しかし、私の場合はやりたいこと、つまり「SEになりITによって付加価値を付ける」ということだけをピュアに目指していたので、会社の階段とか出世などのイメージを持っていませんでした。非体育会系だったので上下関係の掟にも疎い上、すばやく周囲に溶け込んで関係を作るようなスキルもなく、ただただ大人しい草食動物のようなポジションだったと思います。

そんな私でしたが、配属された部署は非常に仕事が多いところで活気もあり、どんどん仕事に没頭していきました。一日が24時間で足りないと思うこともしばしばで、通勤時間やシャワーを浴びている時でも頭の中で仕事のことを考えるような濃密な時期を過ごすことになります。

自分のキャリア観が周囲から浮き始める

情報工学科出身ということもあり、配属後の仕事は技術的な面ではある程度対応できる下地がありました。一方、決定的に不足していたのが、ビジネスや事業にかかる知識とコミュニケーションなどのソフトスキルでした。

そこで、日曜日になると本屋に出かけていき、ビジネスに関する様々な本を購入して読むようになりました。経営戦略、マーケティング、ロジカルシンキングといったものです。言わゆるコンサル本が流行り始めた時期だったので、実に様々な本を選ぶことができました。当時購入した本のうち、今でも手元にあるものもあります。

このとき、キャリアに関する本も読んでみる機会がありました。当時からキャリアを自分で考えることの重要性を伝える本がいくつか出版されていました。例えば、「キャリアショック」や「サラリーマン・サバイバル」などです。

これらの本を読んだとき、ある種の衝撃を受けました
真面目にやっていてもいつか仕事がなくなるとか、アップ・オア・アウトという話題を目にして青ざめたのです。

私は周りに「サラリーマン」がほとんどいないような田舎から出てきたのでカイシャというものが分からず、こうした本の提言を素直に受け止めていました。もし成果が出せなければすぐさまクビになってしまう……と本気で思っていたのです。外資系企業に就職していないにも関わらず。

そして、数年でキャリアを変えていき、社外でも通用するような武器を身につけていくべき――このようなキャリア観が芽生え始めたのです。

こうしたこともあり、その後職種が変わるようなキャリアチェンジを突如実行したり、自分のテリトリー外の書籍を買い漁ったりしていました。そういった意味で、極めて地味なキャラクターながら、周囲から静かに浮いていったように思えます。

デコボコな自律的キャリア形成

目の前の仕事は直線的に取り組む一方、長期的なキャリア形成においては、王道を進まず自分にとってのけもの道に入ってみる――。気が付くとこのような行動がパターン化されていました。

これまで、SE・PdM、研究職、プリセールス、データサイエンティスト、新規ビジネス開発などを行ってきました。この歩みは節目節目で大きく仕事を変えるようなもので、決して長期的な戦略に基づくものではありませんでした。積み上げ要素はゼロではないものの、周囲の一般的な同期に比べて非効率な歩き方でした。
また、ミドルマネジメントの挑戦ですらポジションを取るためではなく、ビジネス開発のために適切だろうと思って目の前にやってきた機会をパシッと掴んでみたという感じでした。

こうした点で、歳を重ねるほどに地味に変な人という人物評価をいただくことが増えていきました。明らかに周囲の人とはキャリア観が合わなくなっていったように思えます。

ただ、変な人と言っても、世の中に一撃を加えるようなクレイジーかつクリエイティブな活動ができるわけではなく、会社のキャリアパスや社会人としての空気感に合わない人という感じだと思います。しかし、そんな人間でもずっと同じ会社にいられたというのは、在籍企業の懐の深い文化と周囲のサポートのおかげだと思っています。感謝。

今になって振り返ってみれば、こうしたデコボコな歩みそのものが自律的キャリアの一つの形ではないかと思います。

キャリアのROAの面で損をしているよと忠告してくれる人もいましたし、生涯収入面ではもっとうまい歩き方はあったのだと思います。仕事の選択だけでなく、自分の仕事にあまり関係のない本を大量に購入して読むこと自体、不思議に思われることもしばしばでした。時間とお金の浪費だと評する人もたくさんいました。

前向きに考えると、偶発的とはいえ手持ちの武器は広がっていて、リスクは分散されていると思います。何より、自分の思いをベースに選択してきているので、その面で後悔はありません。

趣味としてのキャリア選択

このように、図らずも自律的にキャリアを形成しているようにも見えるのですが、大きな目標に対して計画的に進んだという印象はありません。微かな手ごたえや可能性の一つに足先を入れてみたらドップリ嵌った、ということの繰り返しでした。

例えば、SE/PdMからデータサイエンティストに転身したときは、PdM時代に得た着想を自分で試すためのアクションでした。しかし、異動後にその着想を実現することはできないまま、七転八倒しながらデータ分析の世界の入り込むことなったのです。
ちなみに上記の着想は、その後何度かの異動を経て昨年度実行することができました。それは小さな小さな実証プロジェクトであり世間を驚かせるようなものでもありませんでした。それでも、アイデアや着想が実ったことを自分の目で確認できただけで満足してしまうのでした。

ここで述べたような「自分の中の小さな着想や予感が実る瞬間を待つ。できればそれに携わりにながら最前線でみる。」というのが自分のちょっとした趣味であるように思います。物理的に最前線で見れないものもあるのですが、着想や予感があればそれを定点観測し続ける傾向にあります。
例えば、幼いころから中年に至るまで次のような妄想を持っていました。

<数々の妄想>
・セガ・マークIIIのマイカード+ゲーム&ウォッチでいつでもゲーム。(1986)
・インターネット普及後はインフラ屋よりサービス屋が活況に。(2002)
・対クラッカー向けのサイバー警察みたいのができる。(2002)
・終身雇用がなくなり自分で居場所を作る時代に。(2003)
・ERPパッケージにおけるデータ分析技術の活用。(2009)
・PdMが鍵になる。スタートアップが増えると特に。(2015)
・データ&帰納的アプローチのブーム後は、理論に基づく演繹的なアプローチへの揺り戻しが起きる。(2018)
・Chromebook/G Suiteによる文教攻略とエンタープライズ戦略。(2019)
・国内企業のIT内製化シフトに伴ってPdMやビジネスアナリストの重要性が増加してくる。(2019)

上にあげたリストの中でキャリアの選択に大きく影響を与えた着想を太字にしてみました。こうして見ると必ずしもすべてを追っかけているわけではないですが、ずっと同じというわけではない感じがします。

もし、このうちの一つにベットして全身全霊で取り組むことができれば起業家的なパワーを持つことができるのでしょうけど、多様な可能性を捨てきれないところに自分の弱さがあるのだと思います。また、こうした趣味を持つためにどうしようもなく本が増えてしまうのでしょう。

ここで「趣味」という言葉を出しましたが、趣味というと何となく仕事以外の息抜きや習慣のようなものをイメージする方も多いかもしれません。例えば、デジタル大辞泉を調べてみると「仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしている事柄。」と定義されていました。

一方、手持ちの新明解国語辞典によれば「〔利益などを考えずに〕好きでしている物事。」とあり、それは仕事であるか否かを超越した概念のように思えます。先ほど述べた趣味という言葉のニュアンスはこちらに近いものです。日々の仕事の中で着想を得るものの、それが目の前のプロジェクトからは少し遠いものであることが多いからです。

あくまで個人的な信念として、充実したキャリアや人生を送るためには、損得を考えずに好きでやっていることこそが鍵になると思っています。これは、幼年時代にコンピューターなるものに惹かれたことをきっかけとして、それを大学や就職先の選択基準にしたときから持っている考えです。

渋沢栄一の「論語と算盤」にも次のような一節があります。

事業を処するにもその通り、ただその務めるだけでなく、そのことに対して趣味を持たなければいかぬ。(中略)
何事でも自己の掌ることに深い趣味をもって尽くしさえすれば、自分の思うとおりにすべてが行かぬまでも、心から生ずる理想、もしくは慾望のある一部に適合し得らるるものと思う。孔子の言に、「これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」とある。
引用元: 論語と算盤,渋沢栄一

この趣味に基づくキャリア選択という志向は今後も変わらないと思います。

偶発的なキャリアによる緩やかな自律

さて、ここまで私の個人的なキャリア観について振り返ってみたわけですが、その中身を紐解くと次のようになるでしょう。

①社外でも通用するような武器を身につけていく。(Can)
②損得を考えずに好きでやっていることを重視する。(Will)
③長期的には王道を進まず自分にとってのけもの道に入ってみる。

改めて見てみると、キャリア論でよく言われる「自分ができること(Can)とやりたいこと(Will)の重なるところを目指そう」という話に関連するように思えます。自分ができることを積極的に増やす一方、やりたいことの軸を緩やかに保っていく感じでしょうか。

一方、③にあげた自分にとってけもの道を行くというのは、偶発的な経験を求めるものになります。これはクランボルツ教授が提唱する「計画的偶発性理論」に近いものだと思います。自分が本当にやりたいことや向いていることは「やってみないとわからない」ということが根底にあり、それを試すにはある種のランダムネスが重要になるということだと理解しています。

この点について自分のキャリアを振り返ってみると、確かにうなずける点がたくさんありました。端的には、職種を変える前にイメージしていたことはおおむね間違っていて、良くも悪くも期待を裏切られるという教訓を得ました。

ところで、CanとWillをいい感じで併せ持つ仕事というのは、なかなか見つからないものです。だからといって、それを探すのをあきらめるというのはもったいない気がします。なぜなら、仕事は人生の多くの時間を費やすものだからです。こうしたことを考える時、スティーブ・ジョブズのスピーチをいつも思い出します。

仕事は人生の一大事です。やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。
引用元: 「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳(日経新聞電子版)

結局のところ、私は自分を趣味を押し殺して数年後あるいは十数年先に栄光を勝ち取るような地道な努力をすることができないのだと思います。興味の微かな感触を手掛かりにフラフラとしているうちに偶然今のポジションにいるということにすぎず、それは永続的なものではないかもしれません。

逆に言えば、自分の中の興味・関心を考えてキャリアを選択していったことが、結果的に自律的なキャリア形成につながったのだと考えています。

これは自律的なキャリアとしては一つの形に過ぎないでしょう。大きな目標を実現するために日々競争環境に身を置くやり方もあると思います。このように、キャリアの形や階段の上り方が人ぞれぞれに違うというのも、自律的キャリアの世界観ではないでしょうか。

それぞれのけもの道を歩く

自律的にキャリアを考えるというのは、参加者全員が自分のために自分自身のけもの道を歩いていくことなのではないかと考えるようになりました。

冒頭に書いたように、私は周囲にビジネスマンがあまりいないような、自営業の方が多い田舎で産まれ育ちました。考えてみると、周囲にいた「働くひと」の多くは、それぞれがけもの道を歩いていたのだと思います。私の父親も例外ではありません。

自分でけもの道を選ぶというのは、会社が決めた道に比べて安全でないと思う人もいるかもしれません。しかし、企業の寿命は人の一生よりも短いこともあります。それに、現代の日本型雇用形態が滞りなく運用されたのは戦後のことで高々数十年の間です。自分がこの世に生まれたときに当たり前だったものが、数十年先もそうだという保証はどこにもありません。
社会はいつだって諸行無常であり、人生100年時代において一つのキャリア、一つの社会通念にベットするのはリスクが高いように思えます。

また、就職活動というキャリアの入り口でその後数十年が決まってしまうような世界より、自分でキャリアを作っていける社会の方が可能性に満ちているように思えます。

そういった意味で、特に若い世代にとって社会はよりよい方向に進んでいるのだろうと前向きに考えています。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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