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落ち着きたい。

おはようございます。ことよみです。
今日は早朝に目が覚めました。4時半とかです。
流石に早起きしすぎなので、二度寝しつつ、布団で7時までゴロゴロする計画です。


この数年、ずっと落ち着きたいと言っている気がします。

忙しい社会とか、激しい情報とか、そうしたものたちに疲れてしまい、どうか落ち着かせてほしい、落ち着いた生活をさせてほしい、そう考えるようになりました。

ただ、この落ち着いた生活がどういったものなのか、私自身まだはっきりとわかっていません。

落ち着いた生活を言い換えるなら、心的な負担の少ない日々、になるでしょうか。

私は今不安障害と診断を受けていて、日常の些細なことで心的な負担を感じることが多いです。
そのため、社会に出て仕事をするとなると、自宅にいる時の何十倍もの負担を感じて壊れてしまいます。
なので自宅で家事を仕事のように捉えて生活しているのですが、自身の働きで金銭を得ていないことで、家事だけでは不安が残ります。

食べるものを生産していない私は、手元の食料がなくなった時、スーパーやお店などで商品として食材や食料を購入する必要があります。

お金はそのための資金、いわば生命線です。
なので、労働の対価として外部から資金を得ていないということは、もしもの時に食料を得る手段を持たないことを意味しています。

そのため、自宅での家事労働だけでは不安が残るのです。

ひと昔であれば、実家の畑仕事を手伝うなどして、最低限の食料を確保する、みたいな生活の形があったかと思います。田舎に帰る、というやつです。
しかし私の場合、実家も両親の実家も畑を持っておらず、そのような帰る田舎を持っていません。
なので、畑仕事の知識もなく、食料を生産するという術を知りません。

帰る田舎もなく、社会に出て自由な仕事をすることも難しい、こうした八方塞がりな状況で、人生の療養期間を過ごしている今も、なかなか落ち着くことが難しい。これが今の現状だと考えています。

私はどうすれば今の状況から脱することができて、落ち着くことができるのか。今はまだその見通しすら立っていない状況です。

この状態がいつまで続いていくのか、そうした新たな不安をも抱えながら、今はまだ療養の日々を過ごしていくことになりそうです。

私はいつになったら、落ち着くことができるのでしょうか。
また、今書いたような食料を得る手段を獲得することが、落ち着くことに繋がるのでしょうか。

そうしたことも考えつつ、今日の日記を終わろうと思います。

本日もお読みいただきありがとうございました。
皆様にとって、今日が落ち着いた日々になりますように。

それでは。


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