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コンビニ人間 - 感想



概要

コンビニ人間 / 村田沙耶香
文藝春秋 / 2018/1/16発売 / 第155回芥川賞受賞作

媒体    Audible(1.3倍速)朗読 大久保佳代子
読書時間  3時間
好き度   ★★☆☆☆
おすすめ度 ★★☆☆☆


あらすじ

コンビニバイトを18年続ける主人公古倉は、他人の感情が理解できない。コミュニティから弾き出されないように、社会一般の「普通」や「常識」を観察し真似をして生きてきた。
コンビニの仕事は細部までマニュアルがあり、その通りに動けばコンビニを動かす歯車として他人と一体化することができた。主人公の人生は、コンビニで働くことを中心に続いている。
36歳女性、恋愛歴なし、コンビニバイト、という状態は「普通」や「常識」から逸脱し始め、コミュニティから弾き出されようとしていた。古倉は迎合のため状態の変化を試みる。


読むに至った経緯・感想

芥川賞から新しい順に検索、Audible聴き放題タイトルにあったため、手に取った。知人から共感できて良かったと聞いていた。前回読んだ「海辺のカフカ」がそこそこ長かったので、短い文量のものにした。ほぼ一日で読み切った。Audibleで楽しむには短すぎた。
大久保佳代子氏の朗読は、音に引っ掛かりがたまにあって慣れが必要だったが、そのうち気にならなくなった。台詞の読みは上手いと感じた。
本作はコンビニで働く36歳女性の独白、周囲の観察記である。主人公のステータスやコミュニティを観察するという内容から、共感を呼びやすいようだが、わたしは共感できなかった。露悪的な観察にやや嫌悪を感じ、主人公に哀れみを持った。


以下ネタバレを含む。


主人公の観察眼が露悪的に表現されることについて

主人公の他人の感情のわからなさは病的で、周囲に迎合するために表情を読んだり、隠れて物をチェックして行動する。主人公は他人に興味がない。人間はコミュニティを構成するものでしかなく、コミュニケーションは真似をして形態を伝播するもの程度に考えている。
これまでの生き方から、悪意に敏感、好意に鈍感なので、彼女の観察は悪意に対してだけ細部まで注視する。したがって本作では常に、人間の悪意を含んだ行動を露悪的に描写する。これがそこそこに疲れる。差別的で押し付けがましい他人のあるあるを延々見させられるのだ。
主人公は、人間をコミュニティの中に無数にあるハブくらいにしか思っていないので誰とも関係を持たない。悪意だけ描写されるせいで、登場人物のキャラクターは全て「なんだか嫌な人」になる。自分に対して他人が何を思うかわからない。悲しみか、蔑みか、好奇心か、それくらいの悪感情しか感じとれない。作者はこれで何を表現したいのか。主人公の性格だから仕方ないんですという設定上の欠陥なのか、世間一般って実はこうなんですという揶揄なのか。なんにせよしんどい、というかつまらなく感じた。


主人公の幸福について

変化のために、主人公は交際(のフリ)を試みる。白羽さんという、コミュニティの外に弾き飛ばされてしまう男性と距離を縮める。コミュニケーションをしないので、親密度が上がらないまま物語は終わる。
簡単に結末を見ると、『結婚や就職といった「常識」よりもコンビニで働くことを選んだ』と解釈しやすい。だがそもそも、彼との上辺だけのコミュニケーションや関係性は「常識」的なものではない。
「普通」や「常識」は、人間の感情を土台に作られた一般化された幸福の雛形だ。社会の歯車になるとき、それを使うと手っ取り早く、他のどんな歯車とも噛み合わせが良くなりやすい。
主人公は見様見真似で行うが、感情が理解できない彼女は幸福にならない。そんな彼女にとっての幸福は、幼少期の教育の甲斐あって「社会の歯車になることそのもの」になっている。彼女はコンビニという社会でしか歯車になれないので、コンビニで働くことが彼女にとって至上の幸福なのである。
つまり結末は『様々な人間と噛み合う歯車「常識人」になることは見様見真似では不可能だったので、マニュアルに沿って生きるコンビニの歯車「コンビニ人間」になることを選んだ』と解釈できる。


コミュニティに迎合することについて

主人公には、自分だけでなく他の人間もコミュニティのために噛み合わせの良い歯車に形状を変えているように見える。自分を変えることに周囲は無自覚だが、主人公は自覚的だ。空気を読んで自分を変えることは難しく、上手くやらないと噛み合わせが悪くなってコミュニティの外に弾き出される、と思っている。
ここは共感を呼ぶ部分だと思うが、わたしには疑問に思えた。
主人公は、コミュニティの外に行く理由が弾き出される以外にもあることを知らないのだ。逆に、コミュニティの中にいる理由もわかっていない。自由意志によって、コミュニティを出たり入ったりすることを知らない。
主人公以外の人間がどう生きているのか、本作ではわからない。しかし、主人公の見えない部分でいきいきと自由意志でそこにいて選択し続けているのではないかと思う。人間は自由にコミュニティの外に行くことができる。中に入るのはある程度難しいが、目的のためにコミュニティに入る。コミュニティにおいて噛み合わせの良いように表面上取り繕うし、取り繕えなかったら自分の足で出ていく。
そこにいるための努力は、そこにいるためにするのではなく、実現したい幸福のためにするのである。自分を変えることは、マニュアル読んで行動し他人の良い行動を模倣して取り入れることであり、幸福に向かって前進する、目的に向かう手段の一つと考える。
周囲の人にとっては幸福の実現の通過点であるコミュニティの所属を、主人公はゴールに置いている。周囲を模倣して自分を変えることはコミュニティにいるためだけのものなので、無意味で空虚なのである。


幸福へのフロー(人生のゴール)について

健康的な人間のコミュニティに属するフローは、

他人の感情を見て学ぶ→自分の感情がある→自分の幸福を考える(または、一般的な幸福の雛形を知り、使うことを検討する)→やりたいことをやる→やりたいことをやりやすくするためにコミュニティに属する→幸福の実現

だと考えている。主人公は、

他人の感情を見てもわからない→自分の感情もない→自分の幸福もない→一般的な幸福の雛形を知る(コミュニティに属することが幸福と考える)→見様見真似で何かをやる→コミュニティに属する(=幸福)

というフローと思われる。
だから、コンビニ人間になるという主人公の決意は、彼女の人生の幸福のゴールであり、Good Endである、と悲しみをもって言える。


総括

感情の発露の前に「常識」の定型を押し付けた結果、大枠の形だけ模倣して幸福と勘違いしてしまう歪んだ状況は、現実にあるんだろう。また、そうでなくてもコミュニティに属するために自分を変えてしまう人、それに悩む人が多いから、本作は共感できると評判なのだろう。
コンビニ人間の幸福について書ききっているので、表題に偽りない。上記にあるような状況に心当たりのある人は共感すると思う。
しかしわたしは、主人公と幸福の置き方が違うので、あまり共感できなかった。露悪的な人物描写は、病気(性格)を原因にした他責的な見え方に感じられた。偏見しているのは周囲だけではないという自覚と、幸福への追求が真に主人公を変化させると期待してしまう。病気なのか生まれ持った性格か、不可能なのだろうか。わたしはその物語が読みたいと素直に感じた。
Audibleではさっくり読めた。手に取りやすい一冊と思われる。


余談

読了後、テレビ朝日「マツコ&有吉 かりそめ天国」を流していると大久保さんを見た。
ロケ先で目を虚にしながらギャグを交え食レポする姿が、主人公古倉と重なった。プロのロケ人間の姿である。これからも大久保さんを見るたび、頭の端でコンビニ人間が思い出されそうで、これは少し弊害だ。

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