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銀行の個人営業(リテール)を辞めた話①

私は、11年勤めた都市銀行を辞めた30代の男性。
一貫してリテール営業を経験してきた。

現在は、7月末で退職し、無職期間中、一種のモラトリアムの中で生き心地を感じている。9月からはまた別の企業で働き始める。

このnoteでは、そんな社会人人生を振り返るとともに、「嫌だったなぁ」とか、「楽しかったなぁ」とかできるだけ本音の言葉を書き進めたいと思う。

「銀行のリテール営業は、一生をかけて続ける仕事では無い」と感じ、辞める決意をした。
辞めたいと思ったことは、計3回あったが、全て違う動機で、覚悟もバラバラ。

そんな中、自身の体調の変化もあり、人生を見つめ直すことになる。

幸いなことに最愛の妻もおり、趣味も充実していて、人生を「楽しく過ごす」ことについては何の心配もしていなかった。

就職活動〜新人の頃を思い出していた。

とても青臭く、最も多くを学んだ時期だ。


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私は、2011年に就職活動をしていた。
未曾有の大地震が鮮明に思い起こせる8月に、お世話になる銀行の内定を得た。

この「8月の内定」というのは、当時からしてもとても遅かった。
理工学部生だった私は、メーカーや研究開発など一切興味がなく、
「手っ取り早く金が稼げて、社会的な地位も得られる会社」という安直でモテ願望のみを提げて、銀行員となった。
順風満帆な就活とは言えなかったが、当時から完璧を望む性格では無いこともあり、覚悟を持って卒業まで楽しく暮らした。

入社した時、同期が法人部門やシステム部門も合わせて70人くらいいた。
その優秀さは、大学のゼミ同期、先輩、学生団体の仲間にはいないような、所謂「コミュニケーションに長けた」人材が揃っていた。
私の自信が一瞬にして吹き飛ぶくらいの。

リテール営業の仲間は、他の部門と比べても、人当たりの良さが良かった。
私は、群れるのが嫌いで、仲の良い同期は男女一人ずつしかいなかった。

配属までの2ヶ月くらいは研修をこなした。
研修は、それほど私にとって辛いものでは無く、仕事をするために企業が有給でスキルを伝授する環境に驚いていた。
配属先が関西の地方都市だと聞いても(地方転勤となる)
さほど慌てることも無く、どんな生活が待っているのだろうとワクワクしていた。

コミュニケーションお化けの同期の中でも、特殊な立ち回りができた方だった。
配属前の決起会では社長の前に代表挨拶をした。

銀行員人生スタートの配属店舗は、その年度の営業成績最下位の店だった。
今思えば、この支店に配属になったことで、「環境に依存されないことの重要性」を学んだかもしれない。
特に一緒に働く社員達の質が尋常じゃなく低い。

・PC画面にはいつもアパレルのECサイトが映っているお嬢様育ちのメンター「やる気無し子」

・販売目標の達成率は毎月5%くらいのボソボソ変なアドバイスをしてくる「カラオケ陰湿先輩」

・部下に興味が無く、良いお客さんから楽な商品だけを契約してくる「鈍感セールスマネージャー」

・業務が終了したにも関わらず、雑談を延々と展開する「無頓着支店長」
新人なのに残業が多く、当時の私は人事部から目をつけられていた。

・自分の仕事以外は一切関心が無く、定時になると急いで帰る「D&Gジャケット業務コンプライアンス責任者」

・不満を常に持ち続け、周りをネガティブに巻き込んでいく「説明書類記憶おばさん」

・婚活に余念が無く、権利を主張し続ける「髪ボサボサおばさん」

新人の私が一切尊敬できなかったロールモデル社員を抱えた、この支店は、「無頓着支店長」が異動したことにより、徐々に変化が起きはじめた。

今思うとそれは私にとってとても重要な変化となった。。
11年間も銀行のリテール営業を続けなければならなかったのだから。。


写真:みつぼ(江戸川橋)の「サバ串」


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