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銀行の個人営業(リテール)を辞めた話④

銀行員として、2年目を迎えた年に、大きな出来事が起きた。

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恐怖支店長との出会い

大きな異動をそれまで経験していなかった私は、銀行のいわゆる全国転勤の“スピード感”を経験したことも初めてだし、何より、支店長(上司)が変わる経験をしたことも新鮮だった。

その時に初めて上司が変わることによる、『自分に起こる状況変化』が著しいことを知ったし、何より人生さえも大きく変えてしまう出来事になる。

新しく迎えれらた支店長は、今までの支店長よりも若く、とにかくかっこいい方だった。
その支店長は、会社に転職をしてからリテール営業としての高い成果を買われ、入社まもなく関西の支店出張所長を任され、さらにスピードで関東圏の中規模店舗の支店長になっていた方だった。

前述したが、私のいた支店は最下位店舗で、その支店長は“テコ入れ”での人事異動。
ちなみにこの支店は彼の地元だった。

彼は大きな改革を次々と行っていた。まとめると下記のようなものだ。
①セールスマネージャーやお局営業ウーマンの一掃
②代理職以上に対して特に厳しい要求やコミットを求める
③若手への厳しい指導とお客様の割り振り
④異動によって入ったセールスマネージャーの激詰
⑤しっかり仕事して早帰り

特に③についてだが、
彼は、とにかく醸し出している雰囲気が、“恐”かった。
例えると、北野武映画に出てくる参謀と行った雰囲気で、ボクシングが好きで、体も屈強だった。(関東にいた頃は帝拳ジムに通っていた)

私を含め後輩やそのまた後輩などにも厳しくあり続けた。
業務中の私語や、お客様に対する態度・発言など、気に入らないことがあるとすぐ叱りつけた。

「おい、お前なんや。仕事しないのなら帰れ。お前がなんぼのもんじゃ。」
「何回目それ?なんの態度やこら。ちょっとこっち来い」
と、何度も別部屋に連れて行かれ、少女漫画で恋に落ちそうになるような至近距離で叱られる。

しかし、この話には続きがある。

まず彼は、叱る時に、絶対に本気で叱る。
本気で叱って、出口を必ず「お客様のため」とする。
私が本当に大事にしたい部分を必ず捉えてくる。

そして、必ず業務後に飲みに誘う。
「おい、ちょっと行くか?嫌ならいいけど。」と。

これがセット。
叱ったことはぶり返さず、楽しく馬鹿な話をして楽しい酒を飲む。
支店運営のことなども全て話てくれて、なぜそういった行動をとっているのか、あえて行動していることなど。

それが若手で野心家だった私にはとても刺激的で、支店運営を一緒にやっている、良い仕事を一緒にしたいと思わせてくれるような時間だった。

当然ながら業務中は、厳しい指導は続く。

そのおかげで、仕事(営業活動やお客様に対する態度)が洗練されていき、私は、この年のジュニアスタッフ(10年目くらいまでのセールススタッフ)の社長賞を3四半期連続で獲得した。
(本当は4四半期連続であったが、コンプライアンスルールの減点があり、1位から圏外になってしまった。。)

また、架電件数やアポイント数、実績数字なども他の同期や先輩を引き離すほどの達成率を維持し、本部や他の支店にも認知されるようになる。(この頃、投信会社や保険会社からのスカウトがあったのも良い思い出だ)

他の支店での飲み会にも私を子分のように連れて出かけ、私の話を嬉しそうに話してくれた。

厳しい支店長は、私の師であり、兄貴であり、人生を変えてくれた恩人だった。

その支店長のもとで約3年半働いたが、彼がいなければ今の私は存在することは無いだろうし、この仕事のやりがいやモチベーションをたくさん与えてくれた大切な出会いであった。

もっとリテーラーとして成長して、彼に認められたい。
そんな想いで仕事に前向きに取り組み続けて、いよいよ自身が異動する時期になっていた。
異動先は当時、関東で最も稼いでいたメガ店舗で、勢いのある若手とそれを制する先輩がいるハイレベルな場所だった。

恐怖支店長が用意してくれた最高の舞台に、一層のやる気を持って戦いを挑んでいく。

やる気が上がり、益々、銀行を辞められなかった。。


写真:大衆スタンドむらかみ(岐阜市長住)の「海老チャーハン」

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