ブルシット・ジョブ #22

◆こにし説としろくま説への反論

うえむら 3つ目の節「ブルシット・ジョブの上昇についてのいくつかの誤った説明について」は、これをこにし説としろくま説というフレームにしてしまいましたけれど、反論をお待ちしています。

P211にある第一のタイプは、民間企業であるから「競争環境にある企業がなにもしない労働者に報酬を支払うことはありえないので、たとえ労働者自身は理解していなくとも、その仕事はなんらかの意味で有益であるに決まっている」という主張はしろくまさんのこれまでの意見に近いと思いました。民間企業である以上、そこには何らかの価値がある、そうであるからこそカネが生み出されている、という主張ですよね。

しろくま 誰かにとっては価値があるという話ですよね。そう思います。

こにし 第二のタイプ「ブルシット・ジョブの増大は政府の介入の産物である」は確かにこにし説っぽいですね。捉え方次第の部分もあるような気がしていて、回り回って誰かの役に立っているというか、結果的に事業を続けられているのは、そこでちゃんとコンプライアンスが確保されているからだと捉えて、何かしらの利益確保に貢献していると言える気はしますけれど、やりようだとは思います。ただ、不釣り合いに多いような気はしますし、そのうちまた増えますね。カーボンニュートラルとか。

うえむら 脱炭素は成長産業だよ。頑張ってください。

こにし ホントですよ。会社でも檄が飛んでいます。誰がやんねんと思いますが。

うえむら しろくま説に対するグレーバーさんの反論は、実は民間の方が無駄が多いんじゃないのという話でした。公共の方が、税金の使途に対する圧力があるので、無駄を削減するインセンティブが強く働くけれど、民間の方が無駄を温存する体質になってしまっている。競争によって合理化が図られているはずだと思うけれど、実はアレコレ色々な理由をつけて無駄が生じているのではないか、というのが大学職員の数によって論証されていますね。

しろくま 確かにお金のある社長が何人も秘書を雇うとか、そういう無駄はありますね、民間の方が。

こにし 政府機関の方は倫理観がしっかりしていらっしゃる方が多いと思っています。血税だからというのもありますし、その規模は彼らの活動規模に比べれば小さいとも思いますが、相当厳しい制約の中で、さらに強い倫理観をもって仕事をしているので、そういう意味ではブルシット・ジョブの数を制約するような環境にあると思いますね。ゼロにはならないでしょうけれど。民間部門には、そういう倫理観はないですよね。ある分は使い切らないといけないというのもあるでしょうし。

営利活動のミッションとして、コストを限りなく軽減しつつ、売り上げを向上させることで営業利益を増やすという話は資本主義のロジックとしてあるのですが、末端までそれが行き届くのかどうかという話と、コストを減らしていくことに対する相応の圧力がある。つまりコストを減らしたいのだけど、抵抗がある。

民間企業だから資本主義のロジックで全部の非効率が一掃されるかというと、それは温存されやすいことと、資金調達が公的部門よりは容易なので、コストセンター部門が拡大しやすい素地はあるかもしれないですね。ブルシット・ジョブの増殖が組織改革に追いついていないということだと思います。

うえむら 財源調達が容易なのですね。

こにし 最近は市場にお金余っていますしね。

うえむら 金融機関が投資先に苦慮しているよね。しろくまさんの反論は何かあるんですか。グレーバーさん、言いがかりですよ、みたいな。

しろくま 私が今考えていたのは、民間はお金を使う基準を比較的自由に考えられるからかなということでした。法律の制約も小さいし、コスト削減についても、社長が、自分が好きなように、注力できるように秘書を予め雇っておくとか、研究にお金を割きたいからそっちに投資するとかの選択は民間企業の方が自由だと思うので、グレーバーさんがブルシット・ジョブだと言おうと、社長や経営陣がそこに価値があると思えば、リソースを割くことはあるだろうなと思います。

うえむら 大企業とは違うかも知れないけど自営業の社長が、息子が20歳になった記念に会社のカネで車を買ったりするよね。で、プレゼントする。

しろくま それは税金対策的なくだらない要素も入っている気はします。

うえむら それは非上場だと特に、監視の目がないからですよね。税金も捕捉できないし、「いや事業に使うんです」みたいな言い訳もしやすい。ナンバープレートも緑だけど、でも使っているのは息子のドライブ。それが競争原理によって淘汰されていくのかというと、野放図な財務体質が後々の没落の原因になることはあるかも知れないけれど、いまミクロでみたときに何かサンクションを受けるわけでもなく成立してしまう。そういう我が儘が合成の誤謬になって、民間企業全体の無駄やブルシット・ジョブを推進してしまう余地になっていますよね。

こにし 企業の本質的な活動として位置づけられていない部分でコストや仕事が生じている側面もあると思うのですが、どちらかというと、管理部門の膨張みたいな話がありましたが、企業の本来持っているべき機能として位置づけられているけれども、営業・製造・販売といったバリューチェーン上の利益活動と直接結びついている以外の部分である、総務・人事・法務・経理・ITの部門がものすごく大きくなってきているのは、彼らをブルシット・ジョブだというのは失礼だと思うけれど、利益を生み出さないのに組織の中で職を保証されている状況になりやすいので、ブルシット・ジョブの上昇にかなり貢献している気はしますね。

うえむら IR、投資家説明はそんな感じじゃないの。IRにめっちゃ注力して、キレイなペーパー作って、株式を喜ばせて、資金調達して、そのカネでIR部門を強化して、さらにキレイなペーパーを作る。

こにし 詐欺的な行為だと思いますよ。企業自体をブラッシュアップしている訳ではないので。コンサルの仕事ってある程度そういうものなのですけれど。

しろくま はい、それは思います。

こにし 中身を整理して見た目を良くしている。あまり大きい声で言えないですけれど。

しろくま 言えないよね。

こにし それがまさにブルシット・ジョブを含んでしまっている所作でもありますけれど。

しろくま 確かにね。何も生み出していない。

こにし だから著者の言うリアルジョブへの転換が必要だと。まあリアルジョブは生産とかモノを作ることに限定される訳ではないと思いますが、モノ以外で価値を発揮している企業は山ほどあるので。ですけれど、サービスを提供するとか、提供されるものが何であったとしても、生産される価値に対して直接的にコミットしない部分、サポート部門の拡大、そこへのミッションが増大していることと、そこがある程度資本主義のロジックがありつつも生き残り続けているし、何なら拡大していることが、ブルシット・ジョブの上昇であり増大と強く結びついている気はします。

◆市場原理の生み出した無駄が、消費者に転嫁される

こにし それで、コンサル業種みたいに、戦略○○みたいな、そういうところがお金になることを分かっている人たちもたくさんいるので、間接部門が企業の利益に対してプラスの効果を与えているのだという言説を恣意的に生み出し、そこにお金をかけるべきであると言って人を貸すような産業も巨大化している。ブルシット・ジョブワーカーを作り続けるための仕事みたいな。

うえむら そこがまさに次の節「なぜ金融産業をブルシット・ジョブ創出の範例とみなしうるのか?」で書かれていることで、最初に『荒涼館』の、「相続争議が双方の弁護士によってわざと長引かされることで、弁護士たちへの支払いだけで相続財産を使い果たしてしまう」という話がありました。ディケンズは『二都物語』しか知らなかったので興味がわきましたが、この例にあるように、中間搾取のためにブルシット・ジョブを創出することが市場原理的に正解なのですよね。だからアレコレ理由をつけて資産を掠め取っていく。

その具体的な方法として、政府の法規制が厳しくなるようにロビイングして、その対処のためにコストが嵩むようにして、その対策のために人を貸し付けるというコンサルビジネスもあれば、建築事務所のように、総工費の○%を報酬として得るみたいなビジネスモデルの場合は、総工費が嵩むほど利益が出るのだから、できるだけ複雑な意匠を設えるし、建築基準法を厳しく改正させて、対応のためにといって、総工費が嵩む要因をどんどん増やしていくインセンティブが市場原理として働くという指摘ですね。ここはすごく納得しながら読んでいました。

こにし 政府のみなさんに期待するのは、そこで嵩んだ費用が、出資する者にとって回収できる費用の範囲に収めてくれよということですね。例えば原発だと、「安全上必要だ」など、規制上必要な嵩増しの費用を増やしていくことになる。特に3.11以降は厳しくなっている訳であって、それに事業者が耐えられなくなってきている。費用を誰が負担するのか、提供する上で事業者の体力が保つのかという、全てを費用に転嫁できれば良いのですが。

うえむら おっしゃるとおりで、最終消費者に転嫁されている部分が絶対にあって、消費者からすると賃金水準は変わらないのに、負担すべきコストが大きくなっている傾向がある。だからブルシット・ジョブの増殖は、価格転嫁を通じて最終消費者の負担になる。それを前提とした上で、ということを今は言っているわけね。

こにし 電気やガスなどの独占産業は、費用を価格に転嫁しやすいので、規制が上乗せされてきたときでも対応費用を最終的に料金に乗せることができるので良いですが、原発や建築では、価格に転嫁すべきだけれども、買い手がそれに対して抵抗する可能性があるし、買い手の利益はそれに関連して増えている訳ではないので、払ってくれない可能性がある。そうなると対策が増えたことでかかる費用が回収できなくなるので、だれも買わなくなって、だれも作らなくなることで、産業自体が死滅してしまう可能性がある。

うえむら 電気は3.11の後の廃炉費用とか再生可能エネルギーの負担金なんかを経済産業省が統制した上で料金に上乗せして回収している規制産業だけど、それによって事業者の体力が保たなくなっている産業ってそんなにあるのかな。

こにし 原発は特殊な例になるかも知れませんが、作る段階では1兆円で作るはずだったのが、あとから安全対策の費用が乗っかることで、元の金額では全然収まらない場合がある。買う側に追加でキャッシュを頂きたいと頼んでも、理解を得られずに払って貰えないケースがある。

うえむら 発電事業者じゃなくて、原発メーカーの方ね。そっちはあるね。東芝のウェスチングハウス減損はそれだね。

こにし 原発産業のプレイヤーの数が明らかに減っているのは、新規製造するなという雰囲気もあるし、建設中のプロジェクトに関するそうした事情もある。規制によって産業自体が潰されることがなければ良いなと思います。テキストで挙げられるような、規制を食って元気になることができる産業は、全てを消費者側に転嫁できる産業だけだと思います。

うえむら その通りですね。過去から連綿と生じてきたブルシット・ジョブ化によって、負債が生じている。その負債はあらゆる消費者に薄撒きに課されていて、経済を圧迫している。

こにし 自動車産業も苦労していると思います。コネクテッドカーといって、セキュリティ対策をしていますが、一台何万円分か価格が上がったとして、その分の価格上昇を消費者が許してくれる訳ではない。より低価格な製品ではより深刻です。そこで対策をするかどうかの判断に際して、最終消費者がそれを受け容れられるかどうか、価格転嫁できるかどうかを考えていくのでしょうが、なかなか魅力的な説明が出来ていない。独占の元の高圧的な説明に終始してしまうことも多い。

うえむら 競争が働くかどうかに尽きるよね。

こにし テキストの後ろの方でも、P233で「手数料や使用料、地代、徴税などによって平民から徴収することで、たんまりと略奪品を獲得し、それを再分配する」とありますが、こことも結びついている。

うえむら 国家は国民を独占しているからね。

こにし 企業側もそれができる。

うえむら まさにGAFAが言っている「あるのは競争ではない。あるのは独占だけだ」みたいな言説ですよね。

こにし 一方で、最終消費者に受容されず、産業自体が成長を止めて没落してしまうケースも生じてきてしまっている。

うえむら ここはかなりこれまでの論の中心にあるテーマで、ダラダラお便り投稿読んでないでこれを最初に立論しろよ、と思ったけど、そういう意味ではかなりカタルシスを得ましたね。やっとこれが来ました。

こにし P234「大きすぎて潰せない」についても、構造を理解しても変えられない場合もあるので、ブルシット・ジョブがたくさんあったり、産業自体がブルシット・ジョブだったりしても、保存され続けてしまう。

うえむら ここでToo Big To Fail回転ドア人事といった、アメリカで特に生じている社会問題を「封建制の政治と経済の接着」という観点で解釈するのは面白かった。人類学者の面目躍如ですね。

◆秘密保持マウントと社員規模マウント

うえむら P223で秘密主義の話がありましたが、社会人になったばかりの子らって「いやーちょっと秘密保持契約があってさー」とか言いたがりますよね。

こにし 秘密保持マウントですか(笑)

しろくま 学生時代のサークルでも、「局外秘」とかありましたね。

うえむら 秘密主義は共同体意識の醸成にも役立つし、その中に入っている個人たちの自己意識を肥大化させる装置として役立ちますよね。守秘義務の内側に居ることに陶酔を感じる幼稚な者たちが、優越したいためだけに隠蔽することで、守秘義務の不経済はさらに増幅しますよね。

こにし 痛快ですね(笑)

うえむら あと訊きたかったのは、P232で「従者の一群から構成されている」巨大銀行の話があって、「社員、グループ○○人の大銀行」とか言いたがるけど、その人数を標榜するためだけに人を雇っているのかな。

しかし、役所の人間は、総人数○○人の大組織であることに全然誇りを持っていないですね。地方では、町で役人に会うとげんなりする。この地方、おまえらしかいないのかと。役人に会うたびに、この地方には公務員しか産業がないことを見せつけられる気がする。もっと色々な企業の人と出会いたい。でも銀行の人たちは、同じグループの人たちに出会うことに喜びを覚えるの?

こにし 田舎のレベルに依るかもしれないですね。ウチの地元は石川県内のしがない、都市ですらない町ですが、収入面でミドルクラスといえる仕事が公務員、教師、医者、銀行員くらいしかない。サラリーマン的に中流階級でいられるので、彼らは銀行員であることに相当誇りは持っていると思います。そういうサークルにいることで得られる快楽がある。

うえむら 公務員、教師、医者、銀行員しかいない集団ってすごくつらいよね。

こにし 全部公共セクターか準公共セクターじゃねえかと。でもそれが実態で、あとは零細の自営業しかいない世界もあります。

しろくま 函館はもうちょっと企業がある気はしますね。色々な人に会えます。

うえむら まあ港だしな。

しろくま 確かに。漁師とか、水産加工会社も、そういう企業が目立っていますね。

こにし あとは規模が安心感になっているのは否めない気はしますね。最近は言いづらい時代にはなって来ていますが。そんなに人員を抱えて、「重くないか?その称号」みたいな状態になっている。

うえむら (もこう先生やんけ・・・

こにし 規模を維持できない場合は業務移管や合併をして、称号が重くなってきている気はしますよね。誇りは持っていたけど、抱えきれなくなってきている。

うえむら ピラミッドの上の人は、下の人間の数が誇りに直結するのは分かるけど、下の人たちが自分と同じ階層にいる人間の数を誇りに思うのはよく分からないな。「わたしは10万人グループの一員です」とか言われても、「それお前が10万分の1のコマってことやん」と思うけど、デカいことで安心を自他共に感じられるということか。

こにし 親ウケは抜群ですね。

うえむら そうね。後は結婚フェーズね。

しろくま そうですね。こないだの議論の(笑)周りには説明しやすい。

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