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ブルシット・ジョブ #21

◆ブルシットデータ分析への怒りと赦し

しろくま 第5章は、情報労働者がブルシット・ジョブだよという話でした。

うえむら ここでようやく、ブルシット・ジョブは主観だけではなく客観的にも決まりうるという、著者が言いたいことの牙を剥き始めた感じです。

こにし 冒頭はだいぶデータ分析に不備があって、読んでいられなかったですね。ブルシット・ジョブが増えていることを論証するに際して、著者はGDPという金額で測ろうとしている。しかし、仕事の数は労働者の数や仕事自体の数で計られるべきだと思います。GDPは就業者数だけでなく生産性向上によっても上昇するし、第二次産業である製造業は、GDPの貢献は増えているけれど、労働者の数は減っている。逆にサービス業のGDPは横ばいだけれども、労働者数はもう少し増えているのではないかと思います。

うえむら 図表のどれを見れば良いかな。2,3かな。

こにし ちょっと待ってください。怒りが先行してしまって(笑

うえむら まず図表2では、労働力の配分を指標として、サービス業の配分が上がっていることが示されていますよね。であるならば、次の図表3も、ちゃんとサービス業の内訳である「対人サービス部門」と「情報産業部門」に切り分けた上で、それらを労働力の配分という指標で切り分ければいいのに、いきなり指標がGDPに変わっているということね。

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こにし しかも図表4の縦軸は%で示されているだけなので、何が指標化されているのかすら分からないですね。労働力数のボリュームの話なのか、生産性を込みにしたGDPというか、全体の生産額の話をしているのかが明確に書かれていない。ブルシット・ジョブが増殖しているという結論を導くのにこの指標を使うのは適切ではないと思いながら、怒りを持っていたのですが、その怒りを思い出せない・・・

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うえむら 怒りを思い出せないのは赦したということで、良いことですよ。ここで情報産業は労働力に対する生産性が高いという見せ方になっていますが、どうなのでしょう、SEの人たちって、めちゃめちゃ工数をかけて非物質を生み出しているよね。

こにし 日本のIT産業は、サービスが弱いので、本来労働集約ではないはずなのに労働集約的な構造になっていますよね。

思い出してきましたが、P199の終わりからサービス経済の中身を話している。サービス業の中にも、低付加価値の「対人サービス部門」と高付加価値の「FIRE部門」があると。そこまでは良いのですが、問題はその後のボリュームの話だと思っていて、FIRE部門が不均衡に発達しすぎていることを論じるときに、最終的にはそういう仕事が増えてきているというなら、全体的な金額ではなくて労働者の数でそれが示されるべきだと思うのですが、GDPのような付加価値の指標で図ろうとすると、低付加価値の対人サービス部門が伸びていないのは当たり前ですよね。

情報産業はこれに対して、ITや金融が典型的ですが、テクノロジーを活用して非常に生産性を上げてきた。だから一人あたりの売り上げは伸びてきている分野であって、金額で図ろうとすると、実際に労働者の数が伸びているよりも遥かに高い伸びを示しているような印象を与えてしまうけれど、実際はそうではなくて、対人サービス部門に対してFIRE部門が著しく労働者の数を伸ばしてきたというのは、ここで述べられているほどそうではないだろうし、仮にそれを主張するならこのデータでは不十分だと思いました。

うえむら いまご指摘があったように、色々な要素が複合されている意味でミスリードであるにもかかわらず、グレーバーさんがここでGDPという指標を選んでいる理由として彼なりの思いを忖度するならば、情報産業が過剰に伸びているのが、サービス業を抑圧して、対人サービス部門から搾取することで伸び率を達成し、GDPを叩き出しているという主張が含まれているのだと思います。私はそういうふうに読んでいました。FIRE部門が高付加価値であることを所与の前提として読むならばそこには搾取はないけれども、実は高付加価値の理由には搾取が含まれているという主張になっている。

こにし それはそうだと思いますが、それとは別に、「ブルシット・ジョブが増殖している」と言うときにこのデータは、FIRE部門が経済的プレゼンスを持つようになっているという事実までであって、労働者の数で言うならば、ぼくはここで言うほど劇的に増殖していないと思っているので。

うえむら そういう章の冒頭に置くにはふさわしくないデータだということですね。

こにし 多分、労働者数を指標にすると都合が悪かったのだろうなと。

うえむら そこまで考えていたのかな。単に搾取している様子を見せたかっただけだと思ったけど。

しろくま 情報部門がサービス部門から搾取しているというのは、例えばどういうことですか。

うえむら 美容系プラットフォームサイトは美容師を搾取しているよね。またこれ言うとしろくまさんに怒られるけど、普通なら私たちは美容院に行って4,000円を払うけれど、プラットフォームを通じて予約することによって、そのうちの何%かはプラットフォーム会社の元に入ってしまう。それって搾取だな、という話です。

こにし すみません、本筋と違うところでキレながら読んでいたという話です。

◆格差と世代間モビリティ

うえむら 何度も生活保護の話をして恐縮なのですが、P204から、なぜ労働に包摂されないのか、という類型に、親に見捨てられた子ども、PTSDの退役軍人、DVから逃れた女性などの困難な事情を抱えた人たちが挙げられている。

ここでまず思ったのは、あれ、「いじめ」のこと書いてないな、いじめってやっぱり日本の問題なんだ。日本ではいじめ被害者が精神的な課題を抱えて、労働包摂に繋がっていかないのは強く問題視されていますけれど。P205「なぜアメリカ人たちは野宿者たちがいることを国民の恥とみなしていなかったのか」という一節。これは確かに言われてみたら、貧困層の存在はその国の貧しさの象徴なのだから、みんなで豊かになろうという相互扶助の原理が働く余地もあったはずだし、というか、現にありますよね。しかしそれが社会の趨勢になっていかないことに、生産性至上主義の呪いの強さが現れている感じがしました。

ギャツビー・カーブという、世代間のモビリティが大きいこと、つまり貧しい家庭に生まれた子どもでも上流階級に移れるかどうかの指標と、格差を表わすジニ係数は、負の相関があると。格差が大きいほどに、モビリティが小さくなる。だからアメリカは格差が大きいが故にモビリティが小さくなって、再生産が出来ない社会になっていると。

本当は格差が小さい方が良いし、モビリティもあった方が良いとみんな思うけれども、それを阻害していく原理があるとすれば、それは人々の願いをかき消すくらいに強いということで、テキストでは「ゲームが過酷になっている」と書かれているところの意味なのだろうなと。

こにし 世代間モビリティについては、『われらの子ども:米国における機会格差の拡大』ロバート・D・パットナムを読書会の題材案のひとつとして挙げさせてもらいましたけれど、アメリカンドリームという概念がアメリカから消失しつつあるという話で、界隈では流行っている話です。世代間の経済的な格差が所与であったものを覆して、経済的に成功する神話がアメリカの中で共有されていたのに、そういうことがどんどん起こりづらくなって、ギャツビー・カーブで言うと、既にジニ係数が非常に高い経済になってしまっているので、ジニ係数で国内格差を図るのは現代的ではない気がしますけれど、アメリカンドリームは起こりづらくなっているし、それが強化されている。

ただ、そこで確かにいじめとかは語られないですね。世代間での経済格差があることの結果としていじめの有無がある訳ではないし、いじめの有無が客観的には相関関係があるかもしれませんが、まだ社会的なイシューには成っていないという段階でしょうね。

うえむら 「なぜ世代を超えて階層が継承されていくのか」という問いに対する色々な説明があって、遺伝はほとんどなくて、スキルと社会的人間関係と教育投資ができる財力が主な説明になると思うけれど、モビリティを語るときに、いじめは主要因ではなくて、阻害要因として取り上げられていく。虐待やPTSDやDVといった社会的な苦境は阻害要因であって、主要因と阻害要因の両面によって階層が決定されていくという切り分けだと思います。

そうした上で、階層が固定されて、モビリティ指標が低下していく社会の中で、こういう議論が流行っている理由は多様性社会、移民社会となる中で、日本もベトナム人労働者がいっぱいコンビニで働いていますが、彼らがずっと階層を固定されて、低賃金労働者として使い捨てにされていく姿を見ていると、その上に配置されているはずの日本人の最下層、中間層がどんどんスリムになって、富裕層がちょこっと乗っているヒエラルキーが固定されることで、先程言ったような自らの将来に対する不安、今頑張って自分がスキルをつけていないと自分の階層が転落してしまうという不安に加えて、自分の子どもたちまでも永遠に低い階層に固定されてしまうと、不安が増幅されることになる。

こにし 本来的なメリトクラシーからはだいぶ遠い状態になってしまっていますが、ただ世の中で奇妙なのは、格差関係の中では上部にいるはずの人たちも、安全度は高いはずなのですが、彼ら自身も経済的な地位を守ることに四苦八苦しているし、怯えている。

うえむら 最上層部はそうではないかもしれないけれど。

こにし そうですね、ただエリートサラリーマンくらいだとそうなっている。

うえむらエリサーは不安でしょうね。子どもの教育にすごく強迫観念を持って、自分が獲得したスキルをどうにかして絶対に子どもに伝えないといけないと思っている。

こにし 非常に余裕がない社会になっている。

しろくま どの層にいる人も不安じゃないですか、それ。絶望的ですね。

うえむら そうそう。

こにし 下の方の話で言うと技能実習生制度なんていつまでやっているんだろうと思いますけれども。

うえむら それはその通り。ただ上部も安泰ではないと。

◆合理化すると職がなくなる

うえむら 次の節は、政府の果たす役割が実はそんなに無いという話でした。「合理化するとその人たちの職がなくなるから、合理化しないんだ」というオバマの記事が挙げられていて、日本でも国鉄を民営化するときに職員たちをどうするのかが一番大きなイシューになった歴史を思い出しました。

こにし 国鉄のときのように、政府として職を失う人たちはどこどこに移しましょうという面倒をみてやるのも違いますよね。そこは自助努力でよろしくというふうにしかならないと思いますし、何も手出しが出来ないので、非効率が温存されていたとしても守ることが役割になってしまいますよね。

うえむら 守ることが多大なる価値であるという共通認識が存在することで、さらにリストラによって人員削減することが「かくもむずかしい改革を成し遂げた」というトロフィーになる側面はあるのかな。「失業という痛みを生み出してまでも合理化を推進できた素晴らしいCEO」みたいな。「工場労働者の削減によって5,000億円のキャッシュを会社にもたらしたCEOは、報酬として7,000億円のストックオプションを手にしてexitしていく」みたいなクソなストーリーもあるけどね。

こにし ビジネスをしている側は、自分の会社を維持するために人材の新陳代謝を図るインセンティブが働くと思うのですが、政府系の事業って、ぼくは儲けて良いと思いますけれど、みんな儲けたら怒るじゃないですか。GPIFとかめちゃめちゃ儲けているやんと。よってもって、効率化へのインセンティブも働かせてはいけないことになってしまう。あとこの節は医療保険を勝手にブルシット・ジョブ扱いにするな、それなりに大事やろと思っていましたけれど。書類仕事が多いのは確かでしょうけれど。

うえむら まあ私の考えとしては、民間医療保険は不要だと思っていますけれど、それを所与の前提として書いているのは少し暴力的ですね。

こにし アメリカの場合はほとんどがプライベートな医療保険が占有しているので、それが要らないとなるとブルシット・ジョブになってしまうのかもしれないですが。

しろくま 要らないと思う理由は何ですか?

うえむら 日本では公的医療保険でほとんどの医療給付が受けられるからです。民間医療保険が公的医療保険に継ぎ足しでカバーしている分野は、入院の差額ベッド代とか、ガン治療の1日ごとの給付金といったプレミアムな部分でしかなくて、ほとんど公的医療保険に包含されているので、民間医療保険には加入しなくても大丈夫です。生命保険や損害保険には存在意義があると思いますが、日本では民間医療保険は要らないですよ。アメリカではプライベートの医療保険のシェアが大きくて、公的医療保険はメディケアとメディケイドという、高齢者と貧困層だけを対象とする状況だったのですが。

こにし 長らく制度自体がなかったですからね。

うえむら オバマケアによってそれが少し拡大して、公的医療保険に包摂していこうという議論になったけれども、そのときですら民間医療保険のシェアに配慮した政策決定を余儀なくされたということがオバマの敗北として語られるので、グレーバーもそういうことを念頭に置いてこのあたりを書いていると思います。

こにし その上で、政府側にとっては、産業自体をぶっ潰す決定はできないですよね。

うえむら だからこそオバマケアは、頓挫とまでは言わないけれど、中途半端なものに終わった。

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