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ブルシット・ジョブ #31

◆投下した学歴が、会社偏差値を気に病む学生を生む

こにし 「ブルシット化の政治的細分化およびその結果として惹き起こされるケアリング部門の生産性の低下、そしてそれとケアリング諸階級の反乱の可能性との関係について」の節です。ここは短めでした。P341「現在の労働の配分が現代のような形をとっている原因は、経済学的要因とも人間本性ともあまり関係がない。つまるところ、それは政治的なものなのだ。」これはずっと言ってきている話ですね。

「ケアリング労働の価値を数量化しなければならない真の理由は存在しなかった。(中略)しかし、労働や労働の価値評価をあり方を再構築するよう促すキャンペーンにのりだす前に、現在作動している政治的諸力について慎重に考察してみるべきだろう。」これは彼が労働の配分が偏っているのがブルシット・ジョブで、それが政治的な要因によると考えているから、こういう記述になっている。

P343の「少なくとも過去50年にわたって価値の領域が諸価値の領域を体系的に侵犯しているのはまちがいない。(中略)アメリカの主要都市において最大の雇用主は大学と病院である。そのような都市の諸経済は、人間と生産と維持をつかさどる巨大な装置に集中しているのである(中略)学校や病院のような機関を運営する専門的管理者諸階級に支配されるようになった。」このあたりが著者の怨恨を感じるところですが、今までに言っていたことと、このあたりの記述を総合して見解を述べると、ブルシット化等の労働経済の偏りの状況と政治的状況の強い相互作用、これは勝手に要約すると「企業部門とケアリング部門の双方における金融化とブルシット化」と言い換えられると思いますが、それは主流右派と主流左派による対立の結果で生まれてきていて、民主政権とロビイストが生み出した壮大なジョークであるという話だというのが本章を通じて筆者の要旨だと思います。

ただ、個人的にはあまりピンとこない。彼らを批判して、そう言いたいだけでは、という。個々の論点は非常によく理解できますけれど。例えば労働経済の中でブルシット・ジョブと言われている仕事や、具体的に言うと金融業の仕事やケアリングの仕事が増加していることは疑いようがないですし、それとは別個で政治的な二極化や、アメリカ固有の部分もあるでしょうが、ロビイストがある党に話を吹き込みに行って、そのまま政策の大きなテーマに結びついたりするという話もよくある。ただそれら両方が強く結びついているかというと、そういう部分もあるだろうけれど、それが大部分なのかは疑問を持ちました。もっと別の、著者が違うと言っていた経済学的要因の方がウエイトは大きいのではないかと思いました。

うえむら ここは節自体も短かったですね。

こにし 飛ばしてしまっているところもあるかもしれませんが。

しろくま 価値が諸価値の領域を体系的に侵犯して行っているという話は実感を持っています。価値化したあとって、諸価値を価値化することがビジネスチャンスになっている気がしています。効率化していくとか最適化していくといったコンサル的な部分もそうですし、例えば介護の領域にセンサーを作っていた会社が新規事業として乗り出して、見守りを数値化するなど、効率化を諸価値だった部分に求めていくことは経済活動として自然に起こっていると思ったので、納得しました。企業としても生き残りをかけて新しいビジネスを作っていくしかないので、その流れは止まらないだろうなという印象です。

こにし 効率化するために価値化が必要だという話があるし、そもそも可視化したり数値化したりというそれ自体が固有で価値を持ってしまっているなとも思います。効率化や経済性が根底にあった上で、諸価値を価値化しているのがずっと続いているトレンドだし、それが当たり前になりすぎていて、可視化すること自体が目的化してしまっている側面もある。

うえむら ここはこにしさんが言う、「暗に学校と病院を批判したいだけではないのか」という意見に私も同感でした。P344で言っている「アメリカで発生している破産の最大要因は医療にかかわる負債と学生ローン」というのは、言われてみたらそうだなという気がしました。医療機関と大学が、グレーバーさん言うところの「負債」を生み出す機関として機能していると思います。

こにし この著者は働かないといけない状態を作り出すことがめちゃくちゃイヤなのだろうなというのがすごく伝わってきますね。だから働く前に負債を持つ、借りを作るという話って、将来を自分の意図とは別のところで決めてしまうことであって、ネガティブなスタンスを持っている。それを持つことによってブルシット・ジョブを拒否できなくなってしまう。でも今はそういう時代ですからね。個人だけでなく会社もそうですよね。会社は営利目的なので、無理に負債を負っている訳ではないでしょうが、事業活動を行うときには負債を作らないとそもそもチャレンジはできないですから、銀行目線で言えば投資をするというのはカネを借りることなので、負債をすることが偉いということでもありますが。

うえむら まあここで言っている負債は、コントロールできるもの、選び取った結果としての負債ではなくて、歴史上のあらゆる世代からツケ送りされた負債によって、私たちの人生の経路が狭められているという問題意識だと思います。

こにし そこは階級による差もありそうですけどね。特にアメリカの大学がバカ高いということですが、負債を負わないと大学に通えない層は、ブルシット・ジョブを我慢せざるを得ない層になってしまうのかも知れません。

しろくま ちょっと話が逸れるかも知れませんが、負債じゃなくても、せっかくここまで自己投資してきたのだから、それに見合った仕事じゃないと、と思ってしまって、逆に選択肢を狭めてしまっているということを、職業選択において感じることがあります。

うえむら サンクコストってヤツですね。埋没投資にならないように。

しろくま そうです。

うえむら オリンピックはまさにそうだったものね。「ここまで投資してきたのだから中止できない」という。

しろくま 確かに。その尻拭いがブルシット・ジョブを生みますね。

こにし それが自己実現や商業上の達成とかと結びついていれば、それによって得られる果実があって、主観的な意味ではブルシット・ジョブにはならないので、狭い意味でのブルシット・ジョブではないのだろうけれど、著者から言わせると広い意味では客観的にブルシット・ジョブではあるので、どちらにしてもそれはよくないという話なのでしょうね。おっしゃるように、いわゆる良い大学に行っている人たちの間には「せっかくここまでお金をかけて勉強してきた、勉強させて貰ってきたのだから、ちゃんとペイする仕事に就かないといけないし、それが他の人と自分を差異化する要因になっている」というような空気は感じますね。昔からそうだったのかもしれませんが。たまたまバブルの時はその先が金融機関や、今ではいわゆるJTC(伝統的な日本の大企業)と言われる日本の大手企業だったのが、今はコンサルファームや総合商社や、外資系の金融機関にすり替わっているだけなのかもしれないですが。

また、これも話が逸れますが、就活生やインターンと喋っていると、彼らはめちゃくちゃ他の人を気にするんだよね。例えば社会的にレピュテーションが高い大学に通っている学生で、正直言ってウチの会社は業界的にそこまで地位が高くないので、周りから「そんな会社を受けている自分がどう見えるか」とか、会社偏差値みたいなものをめちゃくちゃ気にしている人もちょこちょこいる。その人はたまたまそういうことを普通に言う人で、「失礼なヤツだな」と思いながら喋っていたけれど(笑)心の中ではみんな気にしていて、生きづらい世の中だなとは思いました。収入的な意味でそれが回収できないといけないと思って、測れないものを測った結果、会社偏差値みたいなものができて、それに相当縛られている。

うえむら 会社の価値は、まだしも年商とか時価総額とかによって数量化できるけどね。

こにし まだ諸価値ではないかもしれないですね。

うえむら そこを「ウチの会社は価値じゃなくて諸価値を生み出す方に舵切ってっから」「リソースどっちかというとSDGsにふってっから」とか打ち出されると混乱しますけれど。

こにし そういう会社は珍しいですね。そうは言いつつ、なんやかんや悪どく儲けていそうです。

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