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ブルシット・ジョブ #32

◆ブルシット・ジョブ緩和のための柔軟な失業、スティグマの緩和、官僚制の弱体化の手法としてのベーシックインカム

こにし ベーシックインカムはみなさんご存じの通りのもので、いきなり特殊なものが出てきたとは思わないですが、著者の思想とは合っていると思います。確かにベーシックインカムは複雑になりすぎた社会保障制度を単純化する方策としてしばしば出てくるし、政策に関わっているセクターを小さくして、ひいてはブルシット・ジョブを縮小させることになるというスタンスと合っている。著者は無政府主義者なので、そういうセクターをなくすことが目標だと考えると、ベーシックインカムはよい手段だろうと思います。

最後がこのテキストの簡単な要約だったのだろうと思いますが、P364の「経済のおよそ半分がブルシットから構成されているか、あるいは、ブルシットをサポートするために存在しているのである。(中略)もしあらゆる人々が、どうすれば最もよいかたちで人類に有用なことをなしうるかを、なんの制約もなしに決定できるとすれば、いまあるものよりも労働の配分が非効率になるということが果たしてありうるだろうか?」とあるように、自由に選択できる社会があるべきだし、それができるようにベーシックインカムが良いやり方だと言っているのだと思います。それは別にこの人だけではなくて、日本ではホリエモンも言っているように、色々な人が言っている。

それに対する個人的なレスポンスとしては、「自分の仕事がブルシットだと思う個々人の判断で仕事辞めたりすれば、そもそも社会の混乱は大して起こらないし、みんなが意義あると思える仕事ができてよくね?」(意訳)という主張だと思いますが、この人が言うには、「どこかの仕事の人がみんなストライキしたけれど社会的な混乱は全然起こらなかったよね」「ブルシット・ジョブの人たちがストライキしても社会の混乱は起こらないし、その結果みんなが意義のある仕事や活動をできるようになればよくね?」と言っている気がしますが、それ自体はよいのでしょうが、それが全体最適になるかというと、個人的には否定的です。

経済学や行政学の世界だと「市場の失敗」やそれに対処する政府の役割に関する議論があって、政府の必要性が提起されている。市場に任せたからといって分配効率が最適になる訳ではないから、市場のメカニズムや外部性によって偏ってしまったバランスを適正に戻すのが政府の役割としてしばしば語られるし、その政府の在り方として大きな政府が良いのか小さな政府が良いのか、という議論に繋がっていくのですが、そういう観点が、無政府主義者の著者には完全に無視されている。

それは彼の政治的スタンスなので別にいいですが、ぼくは無政府主義者ではないので、よく分からなかったです。彼の言うとおりにしたとしても、過去と同様の失敗を繰り返し混乱だけを招き、気づいたら昔あったものの価値が見直され勝手に政府が復活するのではないかと予想します。

市場の失敗について補足しておくと、典型的なのが環境問題です。普通にみんなが経済活動を行っていると誰も気にしないので、気づいたら川が汚れているし、空気が汚れているという状況になってしまう。負の外部性というヤツですね。それを経済活動の一部を政府が規制や暴力装置を使って是正するのが役割の一部だとしたら、ベーシックインカムの導入とともにそうした政府の機能を全て放棄してしまうと「高度成長期くらいに戻るんじゃね」という気はしました。なので、「うーん」という感じですね。

うえむら 結論は「うーん」だった訳ね。

こにし ぼくは無政府主義者じゃないし、わりと政府拡張論者寄りなので。ベーシックインカムを導入しても良いとは思いますが、著者はそこについてめちゃめちゃ喋りたいというわけではなさそうですね。

しろくま わたしはP355でキャンディさんが話している「ケアリングが貨幣化・数量化されて、それゆえにクソみたいなものに成り下がってしまう危険をわたしたちは孕んでしまっている」というところは、効率化や数値化をしていく中で、ケアリングの大事な要素が抜け落ちていく感じがあるというのは納得だと思いました。

最後の部分で、ベーシックインカムを導入することによって、「バカバカしいとか無駄だと思えるブルシット・ジョブが減る」「辞めるという選択肢が広がる」というのはあると思いますが、ただ本人がブルシット・ジョブと感じているジョブは減ると思うのですが、ハタから見ると意味がないと思われることをやる人がいるという状態は変わらないのではないのかなというのが、わたしの正直な所感です。

それこそさっきの、暇になった人がよく分からない理論を体系化し出すとか、あとはビジネスチャンスになるから介護の領域にもちょっと参入してみようとか、いままで時間がなかったり、すぐにお金にならなかったりしたからできなかったような事業に乗り出す人たちが現れるとか、結局、私はそういうことをブルシット・ジョブだとは思いませんが、このテキストで言うようなブルシット・ジョブっぽい出来事は生まれ続けるのではないかなと思いました。

ベーシックインカムがないと、ブルシット・ジョブをやらないと生きていけないので抜け出せなくて選択が減ってしまうけど、ベーシックインカムがあることで選択肢が増える、本人が望んでやることが増える気がするので、人びとの幸福にとって有意義だと思います。

こにし 借金返済のためのブルシット・ジョブは減りますね。

しろくま うん。でもハタから見て意味ないんじゃないということをやっている人は居続けるのではないかなと思います。

こにし 新しい種類のブルシット・ジョブが生まれるような気がします。

しろくま そうそう。私はそれをブルシット・ジョブだとは思わないですけどね。ハタから見て「これ意味あるの?」と思われることをやり続けることで、そこからイノベーションが生まれるかも知れないですし。

こにし 本人が別にそれで良いじゃんと思っていれば、ブルシット・ジョブではないと。最終的な目的が個々人のレベルで精神の解放にあるのだとすれば、これはいい解決策な気がしますね。ただ先程自分が言ったように、世の中の人びとが全員精神を解放した結果、社会全体の秩序が守られなくなると、ちょっとよく分からなくなってくる。個々人の話で完結してしまっている気はする。

うえむら ここで語られているのが無政府主義者の極端な提言だとすると、それをどのくらいモデレート化することができるのかということを、理性的な読者は考えていくべきなのだろうなと思いました。ベーシックインカムの議論をするときにいつも思うのは、「それは”ベーシックインカム”じゃないとできないの?」という観点です。

そこで、著者の主張の中心を考えてみます。グレーバーさんがここで言っているベーシックインカムの価値はいくつかあって、まずはご指摘いただいているように「所得保障、生活保障がされていれば、仕事を辞めたっていいし、もっと良い仕事を探せるし、好きなことをできる」という話で、失業したときに困らないというだけなら、失業保険制度を拡充すればいいだけじゃんと思う。「簡単に仕事を辞めることができる」という部分は、別にベーシックインカムじゃない方法で補うことができますと。

次に「金持ちにも貧乏人にも等しく給付することで、お金の権力性がなくなる」みたいなことをP356で言っていましたね。「お金は象徴的な権力を持っている」「全員に等しい量のお金を給付するならば、カーストの高低が解消し始める」と言っているけれど、これはどうかな、逆なのではないかな。よく言われるのはスティグマ、生活保護を始めとした社会保障給付を受けることに対する恥やキズの概念があって、そこではお金は権力ではなくてマイナスポイントとして把握されています。そのスティグマを、全員に等しく給付することで緩和するのがベーシックインカムの役割だというのは分かりますけれど、「象徴的な権力」を解消するためにバラマキを行うのは少し短絡的な気はしました。

こにし それに加えて、官僚組織をできるだけ小さくしたいという目的と絡んでいる気がしました。資源の効率分配を考え始めると、制度が必要だし、そこに人を要するし、組織的な力が必要となるので、それをできれば避けたいという制約がかかった結果、ベーシックインカムという提言に繋がったのだと思います。

うえむら それが3点目ですね。だから①失業という選択肢への閾値の低下、②スティグマの緩和、③官僚制の弱体化。この3つがブルシット・ジョブ緩和の文脈におけるベーシックインカムの効用として念頭に置かれているということだね。

確かに再分配は権力性が強い。自民党55年体制がまさに道路という資源を分配する政治だったように、再分配は権力そのものなのだけれど、それが今は社会保障の分捕り合いになっていると。医科診療報酬と薬価診療報酬と、介護保険と、国家財政のファイナンス上制約された財源を、いかにどの社会保障分野に割り振るかという分配問題に姿を変えているということだけれど、グレーバーさんも言っているように、全体のパイで見たら生活保護なんて微々たるもので、ほとんどが医療と年金という高齢者へのお金の流れになっている。

こにし 全世代の給付は相当限られていますね。増やしてはいるのでしょうが。

うえむら 保育とか障害者福祉にも流しているけれど、それでも60から70くらいは高齢者に給付されている。

こにし テキストでは言われていないですが、そういう給付の在り方が不要な世代間対立を生んでいるとすれば、そういうデメリットを帳消しにするためにもベーシックインカムを導入する、という理由も日本固有の話としてはあるかもしれない。ただそれについても、「それは”ベーシックインカム”じゃないとできないの?」というのはありますね。

うえむら ベーシックインカムが荒唐無稽だと感じるのはやっぱり財源がないよねという話で、複雑化した社会保障を全部ガラガラポンしてミックスしてベーシックインカムに平準化しようというのは土台無理な話だし、かつ現物給付を中心になり立っている社会保障をなぜ現金給付に切り替えないといけないのかという論点もあります。

こうした論点についてグレーバーさんは知らない訳ではなくて、ある程度分かった上で言っているんだよね。P358に書いてあるのですが、「無償教育や健康保険のような既存の福祉国家政策を完全に解体しあらゆるものを市場に包摂させるための口実として控えめな手当を給付することを狙った保守バージョン」から「国民保健サービスのような現存する無条件保障はそのままにしておくラディカルバージョン」までと方法論を整理している。でもこのラディカルバージョンなんて、消費税を50%にでもしないかぎり財源的に不可能ですよね。

こにし 消費税50%は絶対に合意を得られないですね。

うえむら そういう意味では先程申し上げたように、著者が言っているベーシックインカムの効用を切り分けた上で、それらにどういう別のアプローチを当てはめていくのかということを、賢明な読者は考えるべきかな、という読み方をしていました。

こにし 既存の制度の改善によってある程度ここで言われている理想に近づけられる部分があるのだったら、それは取り組む価値があるのでしょうね。途中で生活保護の話が出てきましたが、国によってだいぶ制度は違うと思いますが、アメリカ、イギリス、日本的な抑制的な在り方だと、著者の理想で言うと良くなくて、もうちょっと柔軟な給付を受けられる北欧的な給付の在り方に持っていって、働きたくないときには働かずに済み、働きたいときには働けるようにするという、軽く使えるセーフティネットを考えるのは、一考の余地があるのでしょうね。それもどこから財源を持ってくるのだという話はあるでしょうけれど。

うえむら そのときにP358の先程引用した箇所がP404の注20に繋がるのですが、「いくつかの点でそれらは拡張される必要があるのだろう。」「ほとんどの住宅が賃貸であるばあい、収入を増やそうとすれば家主は家賃を単に倍増させればいいからである。最低限、家賃統制は必要となるだろう。」とあって、このテキスト全体として、銀行やコンサルは虐める割に、意外と不動産業のことを虐めていないのですよね。でも社会保障を考えるときに、ハウジングファーストという言い方をするけれど、住宅保証が凄く重要で、家さえあれば生活再建できるし、家がないから生活再建できないという生活保護受給者がすごく多くて、だとするとベーシックインカムじゃなくて、ベーシックハウジングくらいはしてもいいかなと私は思っています。

こにし それは良い気がしますね。絶対土地はこれから余るし。

しろくま 良いですね。高齢者が家を借りられない問題もありますよね。

こにし 移動を強制できないという問題はあるかも知れないですが、良い案ですね。

うえむら 家さえあればある程度、食い物がなくても寝転がることはできるので。

こにし 雨露はしのげますからね。それに住所がないというのは社会的スティグマがめちゃくちゃ大きいですよね。住所不定無職。住民票がないと行政のサポートも受けられなくなる。

うえむら そこで不動産業者たちが儲けているのが、彼らこそが搾取の主体だと私は思うのだけど、グレーバーさんはそこにはあんまり踏み込んでいかない。この注20でちょっとだけ触れて、何かの参考文献の記述をつまみ食いしたのかも知れないけれど、そこから全然考察は深めていないなと思いました。

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