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ブルシット・ジョブ #23

◆ブルシット・ジョブをスキャンダル化できるのは誰なのか

うえむら 第6章に入ります。労働規範についてようやく掘り下げられてきました。まずブルシット・ジョブ増殖のスキャンダル化が防がれているというマクロなメカニズムがある気がしつつ、それでいてかつ個々人も自分自身の仕事について、存続を求めるように価値づけられている。それはなぜだろうかというところから説き起こしていくところでした。

P253に「ブルシット・ジョブを解決しようとする活動は、その活動のせいで却って問題を悪化させる」とありました。ここはみなさんも会社になぞらえて色々と体験談があるのではないかなと思いますが、問題があったときの解決プロセスは、まず審議会やプロジェクトチームなどの組織を作って、ヒアリングをして状況把握をして、アジェンダ設定をするという流れの中にもペーパーワークが生じているといったメカニズムが生じていることを言っているのかなと思いました。

こにし 労働倫理的なものにみんな絡め取られすぎだろうという話に対して、意味のある反論を続けようと思うと、そのアンチを示すための行為がものすごく限られている。例えばそもそも仕事をしないとか、著者のように仕事をする代わりに社会運動にコミットすることよって社会の役に立っている実感を得るといったことが主な行動だと思いますが、そうしたことをしていると運動が経済的に継続できないという問題が生じる。これは多くの社会運動家が直面している課題だと思うのですが、カネがないと続けられないから、働かざるを得ない。つまり活動を続けようと思うと、彼らが否認している現実に絡め取られていくという矛盾が生じる。

以上は労働運動に限定したときの話ですが、もう少し一般的な話をすると、会社の中に事故調査委員会を設置しても、現場はそんなに解決を望んでいなかったりします。ヒアリングとかも「めんどくさいの来たな」としか思わないことも多い。みんながそれを望んでいればいいですけれど。

うえむら まず現状を把握しようとしても、ブルシット・ジョブは客観的には観測できない。例えばサボっている人間が管理上問題という意味で取り締まるにしても、サボっていた場合にそれが単に怠惰によってサボっているのか、ブルシット・ジョブの痛みを受けながらサボっているのかは観測できないから、手法としてブルシット・ジョブの調査にはならないということですね。

こにし テキストでここまで言われていることにそれほどシンパシーはないですが、会社には別に「ヘンなことしていないけどサボっている人」を抑止するインセンティブってそんなにない。ヘンなことをされると困るのですが、何もしていないことにはそれほど害がない。経営的に困ったときにリソースの無駄遣いをカットしていくという話にはなるのだけれど。

うえむら 無益だけど無害だからね。

こにし そうです。無害だから制裁を課す必要がない。制裁が必要になるのは「予定されていた成果がその人から上がってこない」とかがシグナルになって、そこから先にその人の行動が問題化されることはありますが、ブルシット・ジョブと呼ばれるような、その人に課されているノルマが極小化されている状態だと、そういったシグナルすら表れてこない。会社として監視対象にならないし、監視対象になるのは経済的な理由が出てくるときや、よくある理由は会社の上の人が変わって「そんなヤツを会社に置くな」という話になったとき。

うえむら 組織改編や業務改革の機会ということね。この話を挙げた理由として、いまデヴィッド・グレーバー氏が行っている取り組みは、「活動のせいで問題を悪化」させないのか、というちょっとメタな投げかけだったのだけれど、グレーバー氏は「悪化」させずにどのようにして問題を政治化させようとしているのか。ここまで事例をヒアリングしてきたけれど、ヒアリングすることで何かが生じたのかと問われると、そこはグレーバー氏の地頭やインテグレイト能力にも関わるのかも知れないけれど、結果的に2021年においては政治化することに成功しているわけよね。その違いはどこにあったのだろう。

こにし ある程度成功していると思うのですが、テキストの範囲を飛び越えてしまうのですが、それすらも分断を生んでいる気がします。表紙の帯に書評を出している人たちって、左翼系の論者たちが多いと思うのですが、そういう人たちがこういう本にコメントを送って、新聞に寄稿するなどの推薦を行うことによって、この本の周辺にいる人たちの党派性が明確になって「こういう人たちがこの本を読んでこういう解釈をしている」と。この本自体が経済左翼な人びとに受容されて広まっている。そういう受容のされ方をすることによって、ますます経済界のメインストリームからはギャップが広がっていますよね。

うえむら まあそうね。経団連の中核の人たちは見向きもしないよね。後の節でも書いてあったけれど、資本主義にどっぷり浸かっている経営者たちはアレルギー的に反応してしまう。

こにし いわゆる資本家の人たちだけではなくて、エリートサラリーマンや、将来起業してお金儲けしたい学生など、資本家を目指して活動して頑張って、「経済的成功」や「社会的地位」の達成を動かしがたい価値観として内面化している人たちからのウケもよくない。政治的なイシューとして、それらが問題だぞと明らかにする試みは成功しているのですが、それが却ってメインストリームの中にこういう活動が入り込んでいけない原因を生んでいるような気はします。

うえむら 党派制を浮き彫りにしていると。なるほどね。

こにし やっている人が一緒で、「いつものメンバー」みたいな感じになると、見ている側からすると「またこいつらか」になってくる。

うえむら これは論壇というものの特質というか。

こにし 大学にいたときは、特にウチの大学はそうでしたが、経済界とめちゃくちゃ距離を置いていて、文壇とか論壇という世界に籠もっていて、一歩外部に出ると、基本的に目も当てられていない、なんかちょっとめんどくさいヤツらだと思われている。

しろくま 分かりますね。

こにし 彼らが批判を強めれば強めるほど、本来活動に吸収しなければいけない人たちとの距離感がどんどん空いていっている。これはホント社会運動あるあるだと思うのですが、自分たちのスタンスを明確にしようと思うと主張をある程度先鋭化しないといけないけれど、そうすることで活動自体がマス化しない。反原発や反オリンピックのように象徴的な出来事があれば乗り越えられたりするんですけど。最終的に主張は汲み取っていい部分があったとしても、やっている人たちが問題で、運動自体がどうにもならない状況になってしまう。

うえむら あとは、さっきおっしゃっていた活動費の問題ね。これは確かに、労働問題に関してはそうだね。労働組合時代はめちゃめちゃ高い組合費を徴収して、ストライキの反動で休職を余儀なくされている人たちの所得保障の財源にしているのが、60年代から70年代の労働組合のファイナンススキームだったと思うのですが、いまそういう連帯できるような労働組合はなくなってしまった。グローバル化したことによって却って、個々人において活動が担われ、運動が個別化することによって所得保障機能が組みにくくなっている。労働組合の時代には組合費によって成し遂げられていたファイナンスが、現代の社会運動においてはどのように成し遂げられるのか。クラウドファンディングとかあるのかもしれないけれど。

こにし 独自財源がない活動って弱いですよね。続かない。そこになにがしかのファイナンススキームが必要になってくる。日本の労働組合の場合だと60年代くらいから経営側と妥協的な関係を結ぶことによって、彼らの仕事が半ば賃上げ活動だけに極小化していった結果、大きいイシューを喪って、横で連帯できなくなったという感じですね。一応連合とかありますけれどね、あんまりなんもしていないじゃないですか。

うえむら 反原発と反オリンピックは、どういうファイナンススキームなのかな。彼らは何者なのだろう。分かりやすいのはヴィーガンとかオーガニックやべえ人たちですよね。あの人たちは生産手段を持っているじゃない。農産品を作ってそれを同じ思想を持つ人たちに通信販売してお金を集めることができるから、彼らの活動は継続しやすい。

こにし 主たる仕事としてそれをやっている訳ではない人たちが担っているのが大きいですね。反原発は学生やそれに毛が生えたような世代であったり、もう少し高齢の学生運動世代のリタイア後の趣味になっていたり、アカデミックなバックグラウンドに居る方がイデオローグになったり、という感じでしょうか。

うえむら そうした運動と比較することで尚更、労働運動はイシューの所在が稼得手段と結びついているが故に運動として継続しがたいことが浮き彫りになりますね。

こにし そうです。担うはずの主体が、批判するはずのメカニズムにすでに絡め取られている。フルタイムで運動することもできないし、自己矛盾していますよね。経済的な活動を担いつつ、一方でそれを転覆させるような活動を継続することは。でもそうしないと、その活動自体を継続できない。非常に厳しいですね。

うえむら 厳しいですね。

こにし 知り合いでも社会運動をやっていた人はいましたが、だいたい仕事に就くときに止める人が多いですね。

しろくま だから学生が多いのかな。

こにし あとは単純に時間がなくなる。活動自体にお金がそんなに要らない場合もあるけれど、時間は必要だからね。

うえむら 労働分野では学生が一番ポテンシャルを有しているかもしれないですね。まだ労働包摂されていないけれど、将来的に労働包摂されることが予想される存在が、自らの参入していく場を整えるために運動するのが一番いいのかな。

こにし 成功している活動はそういうものが多いですかね。いわゆる上から見たときの若者世代を取り込めている運動。

うえむら 利害関係があるようでないようで、という存在が必要なのか。例えば労働市場から出てしまっている人たちは、地主や株式配当で生きている人がいたり、逆に病気や精神的な状況によって労働に参画できていない人もいたりするけれど、そういう人たちが積極的に労働市場に働きかけていくインセンティブってないよね。

こにし そうですよね。関係ないので。

うえむら 誰も見事に、やるインセンティブがないよね。どうしたらいいのかな。

こにし 地主や、労働市場から逸脱している人たちは運動を推進している側からするとポテンシャルがある人たちだけれど、彼ら自身にモチベーションがない。

うえむら ないよね。学生くらいかだから。将来的に、という。

こにし あとは既にリタイアしている人たちですかね。労働市場の抑圧で30年以上我慢してきた人たちは、包摂され終わった人たちとして。ただ社会経済的に成功している人たちは、自分を否定する活動になるので参入しにくい。そういう意味ではある程度不満を持っている層に限定されてしまう。そう考えるとこういう活動にはガラスの天井があると思います。

うえむら 誰がやったらいいのかな。厚生労働省しかないよね。つらつら考えていくと、もう政府しかないよね。

こにし 省庁で言うと厚生労働省でしょうね。でも働き甲斐を改善する、働き方改革という活動は、著者が批判している倫理の中にその人たちを絡め取ろうとする話でもあると思います。会社組織自体を否定しようとする著者に対して、労働包摂によって会社組織に参画させようとする政策は、既存の価値観を保存しようとしている動きになる。

うえむら 悩みは尽きないな、これは。

こにし 担い手という問題はありますね。メディアは中立的な存在ですし、労働で稼得している人たちと、そうでない人たちという構図から関係ないという意味ではポテンシャルがある人たちですが、しかし彼ら自身もサラリーマンですから、問題化しない動機も十分ある。フリージャーナリストなら完全に中立ですが。

うえむら 結局、民主主義と矛盾しているよね。組織というものの存在を批判する運動は、組織を作ることが力の源泉となる民主主義と矛盾してしまう。組織のしがらみがない人間はそうした運動に関わって一定の主張をできるけれど、彼らは組織力がないので力がない。

こにし 労働運動の話で言うと、大きい運動化をしない方向に日本の労働組合はシフトしてきた。戦後直後のゼネストや労働争議の時代は違ったのでしょうが、いつからか飼い慣らされた組合化してきた歴史があって、ブルシット・ジョブを全国規模で扱って経営者や、彼らの対面にいる人たちに訴えかけることは、どんどんやりにくくなっている。働き甲斐を主張するのはアリだと思いますが。

うえむら それって、国家の労働組合においてナショナルセンターの力に依存しているということかな。でも西欧のナショナルセンターが相対的に強い国であっても、別にブルシット・ジョブが減殺されている訳ではないようにも思える。

こにし 現代の労働組合が争点にしている賃上げとか、雇用の保障強化とか、そういう話は「同じ業務に従事しながら」「どのように待遇を改善していくか」という話なので、業務内容自体を問題視しているブルシット・ジョブとは噛み合いが悪い。彼らが「待遇」と言っている中に心理的な側面が含まれているならば別ですが、いまのところ二の次でしょうね。

うえむら そこが後の論点にあるように、賃上げや労働時間といった「生産性」という側面の議論に終始してしまっているということね。結論を先取りすれば、ケアリングという視点での労働運動のアジェンダメイキングが待たれているけれど、その展望は開けていないというところかな。

こにし ケアリングも広く言うか狭く言うかだけの違いである気はします。どんな仕事にも多かれ少なかれケアリングの要素があるけれど、別に業務の大半がケアリング的だという訳ではない。業務の大半がケアリング的である仕事は確かにあって、ベビーシッターとか介護職のように、たいがい給料は低いし、多くの場合女性が担っている。完全に業務の内容がケアリング中心になっている仕事にスコープを集めようとしても、そんなに多くはないし、活動は個別化して組織力がとても低く、そもそも労働組合や業界団体がない業界なので、正社員や企業といったメンバーシップがなくて苦戦することになる。

うえむら ケアというフレームにしたところで、結局ケアという対象に価値の優先付けをしているだけじゃないのかという論点は、後に論じましょうか。

こにし ケアをしていることで経済的な収入を得ている人たちが大多数である中で、それを奪うような主張を運動の中ですることはできない。全然関係ない人たちからは言えるでしょうけれど。

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