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【完結】健康的で清潔で道徳的な秩序ある社会の不自由さについて

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友人たちとのオンライン読書会記録です。各回5千文字程度。 テキストは『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』熊代亨 https://honto.jp/netst… もっと読む
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記事一覧

資本主義、個人主義、社会契約 #4

◆ディスコミュニケーションに最適化された個人こにし この節は納得度が高かったです。 うえむら ペルソナの話については、「分人」というのは『ドーン』平野啓一郎という小説に出てくる概念です。個人の人格はひとつに定まるものではなくいくつかのディヴに分割されており、AさんにはAさん向けのディヴ、BさんにはBさんのディヴというふうに、個人Individualではなくて分人dividualとして私たちは他人と接している。だから現代は「個人主義」individualismではなく、「分人

資本主義、個人主義、社会契約 #3

◆欧米のようには解決できない東アジアの少子化問題うえむら ここは落合恵美子さんの「圧縮された近代」論ですね。 こにし そうですね。ただこの節に関して補足すると、若干事実誤認があります。つまり欧米も低出生率の問題を別に克服したわけではない。出生率が2.0以上ある国は先進国の中には無い訳ですから、日本と同じ問題の中にいる。アメリカは非白人の、ヒスパニック系や黒人系の移民効果で出生率が高くなっていますが、欧米が少子化問題に苦しんでいないという見せ方は間違いです。 途中でフランス

資本主義、個人主義、社会契約 #2

◆ずっと窮屈になった「他人に迷惑を掛けない幸福追求」(後半)しろくま こにしくんは東京に行って変わった? こにし 変わったのかな。だいぶマイルドになったと思うけれど。過激発言はしなくなった。 しろくま ちょっと東京化してマイルドになった。 こにし 東京に染まったというより、社会人カルチャーに染まってしまっていて、非常に残念ですね。 うえむら それは東京化ではなく社会人化でしょう。 しろくま そっかそっか。 こにし 身近な人たちのトレンドを追いかけていると思います。

資本主義、個人主義、社会契約 #1

◆自由の代償として私たちが背負わされているものうえむら 最終章、第7章です。P240で「自然科学的なテクノロジーや社会科学的な制度」に加えて「思想上の正しさ」という政治的な面が区別されているのは章の見通しとして分かりやすかったですね。 しろくま P244には「しかしミルが展望していたのは、多様な人間と多様な議論が存在しても構わない社会で、マジョリティの思想やライフスタイルがマイノリティに押し付けられる社会や、ブルジョワに端を発した思想やライフスタイルが全ての個人を捕らえて離

快適な社会の新たな不自由 #2

◆労働者に期待される能力のハイクオリティ化(後半)こにし 「風の人」のような流動的な働き方と、日本の伝統的な雇用慣行は相性が悪い。流動性を残さない正社員の部分と、流動的な非典型雇用(日本でいう「非正規雇用」という概念は、時間でしか区別しない海外の学会では理解されない)に従事する部分を分けて、ピーク時には非典型雇用者を雇って、ピークが過ぎると放流するという雇用調整をしている。 そうした慣行があるので、非典型雇用労働者は社会的に安定的な仕事に就けない者として、魅力的な仕事であり

快適な社会の新たな不自由 #1

◆労働者に期待される能力のハイクオリティ化(前半)しろくま ここまで色々と話してきたので、第1章はこれまでのまとめのよう読めますね。 こにし 「昭和」と「令和」のデジタルな対比などはデフォルメされています。著者は、場所は全然違うと思いますが、私と同郷でして。 うえむら そういえばそうなのか。 こにし 地方出身者の視点で、東京と地方の違いもかなりデフォルメしている。あまり細かいことはツッコミを入れずに読むと良いですね。 石川県は都市圏以外は保守的なマインドが強いですね。

アーキテクチャとコミュニケーション #2

◆コンテンツ媒介型コミュニケーションの時代しろくま P213で、街でもSNSでもコミュニケーションしたい相手と、コミュニケーションしたい話題を交わすという話があって、これには肯定派です。テレビとか、歌とかもそうですが、「みんなが知っているもの」がなくなり、個別化していっている。コンテンツ自体も多様化して、コミュニケーションも知っている人同士だけでする、というふうになっています。 うえむら P214では、逆に昔は「時間や空間がシェアされていたため、特定の相手と特定の話題だけで

アーキテクチャとコミュニケーション #1

◆人々の行動を枠にはめ込む都市としての「東京」しろくま 第6章です。P200からは信号無視の話ですね。田舎育ちの平成生まれである私にとっても、信号無視や道路横断は日常茶飯事でした。修学旅行で東京に行ったときに、友だちと信号無視して渡り、クラクションを鳴らされたのが衝撃的な思い出でした。 うえむら 田舎の旧村が残っている街だと、道が狭いから渡りやすくて、東京は拡幅しているから渡りにくい、という話もあるのではないのかな。 こにし いや、東京の人は1車線道路でも渡らないですよ。

秩序としての清潔 #2

◆いつからこれほど清潔・安全になったのかしろくま P183もあんまり共感できなかったですね。汚水が街路に垂れ流され、ひどい匂いが街じゅうに充満していた頃と比較されても、さすがに安全を求める欲求はあるのでは、と思いました。 うえむら P186に1週間の平均シャンプー回数グラフがありますけれど、これはびっくりしましたね。80年代って週3しかシャンプーしてなかったの、みんな、という。これは20年代の人からすると衝撃ではないでしょうか。 こにし 今は週10回くらいやっているんじゃ

秩序としての清潔 #1

◆不審者を警戒するまなざし◆ホームレスのままではいられない美しい街うえむら 第5章です。P167の「不審な行動を取るもの・秩序からはみ出しているように見える者に疑いのまなざしを持つよう、たえず訓練されている」については、この章を通したテーマですが、保護者向けお知らせメールで、ナンセンスなことが書かれているというのはよく記事になりますよね。「50代男性が歩いているところを発見」とか、「いや、歩いているだけやん!?」という。 しろくま P172で隅田川の話をしていましたが、数

健康という“普遍的価値” #4

◆どこまで健康リスクを避ければ気が済むのか?うえむら P123「健康を損ないかねない習慣や行動に対し、不道徳な感覚さえ覚えるようになった」とありますが、こにしさんがこの週末に日光白根山を濃霧と暴風雨の中で登ろうとしたように「登山」が流行している。または各種エクストリームスポーツも徐々に人口が増えているのではないかと思います。それは死が隠匿されているが故に、却って死に惹かれていく活動であり、こういう言説とは逆の現象であるようにも感じます。 こにし 登山は宗派が分かれますね。健

健康という"普遍的価値" #3

◆私たちは長生きしなければならなくなったうえむら P116「何のための健康か、何のための長寿なのか」で思い出したのは、先程の繰り返しですが、健康はあくまでも手段なので、手段としての長寿なのに目的が失われている。例えばオリンピックの意義を語るときのアスリートの言葉が「感動を与えたい」や「記録というロマン」に留まったことは残念でしたね。「別に感動なんぞ要らんっちゅうに」「感動ポルノやめろや」という反論が容易になってしまう。 しろくま あそこまでいくと逆に不健康なのじゃないかと思

健康という"普遍的価値" #2

◆健康という道徳の差配人としての医療・福祉うえむら 最近人間ドックに引っかかりまくったので身につまされましたけれど、P107「医療者のこうした助言には、無視しがたい響きが宿っている」については、「まあワイは無視するけどな」と思いましたね。「医者ごときがワイにパターナリスティックなことを言うのは許さない」という精神でいたいと思いました。 こにし 医者側にもコーチングの技術が必要そうですね。 うえむら コーチングされたい人にコーチングするのはいいけれど、私はコーチングをされた

健康という"普遍的価値" #1

◆かつて喫煙に寬容だった日本社会うえむら 受動喫煙に関する政策については、2017年と2018年の健康増進法改正における政治的混乱プロセスをちょうど仕事で観察していたので、塩崎大臣が飛ばされたり、タバコ議連とのバトルがあったりといった、過程における議論が飛ばされていると感じました。 著者は全体的に「昭和=古→令和=新」というデジタルすぎる捉え方に基づいて記述しているけれど、こうした変化の過程における議論やコンフリクトが省略されすぎているとは感じました。 こにし 色々要素は