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健康という"普遍的価値" #1

◆かつて喫煙に寬容だった日本社会

うえむら 受動喫煙に関する政策については、2017年と2018年の健康増進法改正における政治的混乱プロセスをちょうど仕事で観察していたので、塩崎大臣が飛ばされたり、タバコ議連とのバトルがあったりといった、過程における議論が飛ばされていると感じました。

著者は全体的に「昭和=古→令和=新」というデジタルすぎる捉え方に基づいて記述しているけれど、こうした変化の過程における議論やコンフリクトが省略されすぎているとは感じました。

こにし 色々要素はありそうなのですが、導入の節ですね。

◆健康という概念の成立と普遍化

うえむら テキストでは「ソーダ、ジャンクフード、アルコール」と書いてありますが、私自身も、糖質、コレステロール、カフェインが入っていない食品や飲料を選んでいるとは思います。炭酸水は夏場好んで飲んでいたのですが、歯に悪いという話を聞いて止めました。

しろくま 糖が悪いのではなくて、炭酸が悪いのですか? 

うえむら そうらしいですよ。だから炭酸水すら飲めないのか、と絶望的な気持ちになりました。アルコールやジャンクフードはもともとそんなに摂りませんが、飲み物がないよね。炭酸もダメ、カフェインもダメ、糖質も入っていない飲み物は。

こにし それはですね。

うえむら 水やん、っていう(笑)

しろくま 今の自分のためだと思うと、健康に気を遣った食事ができますよね。今のパフォーマンスを上げるために、すぐに結果が見えるなら、食事に気を遣うのも楽しいと思います。あまりにも先のことまで考えて、パフォーマンスを鑑みながら食事に気を遣っていると、自然と年齢を重ねていくうちに食べられなくなっていくと思うので、食べられるうちは食べても良いだろうと思います。

うえむら 妊娠中は、ってこと?

しろくま 妊娠中は特にそうなりますが、別に将来のことを考えてそうしているのではなくて、今の自分がそっちのほうが楽ならば、自然と健康に気を遣った食生活になると思います。成人においては、喫煙も、飲酒も、塩分や糖類の過剰摂取も、その健康リスクを考慮して他人に危害を加えない限りにおいて、自分自身の人生に是非とも必要なら選択されてしかるべきであると。

うえむら 聞いてみたかったのが、コンタクトレンズって目を虐めているじゃないですか。私は最近ほぼ付けていないのですが、それはどう考えたら良いですか。

しろくま 私、レーシックしたんですよ。

うえむら めっちゃ目を虐めているな。

しろくま レーシックは良いですよ。

うえむら やった人はみんなそれ言うよね。

こにし そうなんだ。

しろくま そこは見た目の問題ですね。眼鏡をかけているのがいやなので、コンタクトを付けていました。本当は目が乾燥してコンタクトがいやだったので付けたくなかったけれど、モチベーションは見た目のことしかなかったですね。健康ではなく見た目という別の概念に支配されていた。

うえむら ルッキズムですね。健康ではなくて。しかしテキストに書いてあるように、皮膚や筋肉もルッキズムであると。健康を表象する有力な指標として、ルッキズムが存在する。

しろくま 美という概念は、健康と重なっている場合もあれば、ズレている場合もありますよね。痩せすぎ体型とか。

うえむら どんどんアルコールやカフェインが除去されていく一方で、欧米の若者って、カジュアルにドラッグを使っていますよね。そこの認識が著者とちょっと違う気がしました。さっきも議論になったように、投薬がカジュアルになっている中で、身体に摂取する化学物質は全てが健康に悪いものだと考えられているのではなくて、エビデンスによって決められるのだろうけれど、場合によっては良いものだ、と少し揺らいでいる気はしました。

しろくま 確かにドラッグはテンションが上がってパフォーマンスが上がるみたいな受容をされることがありますよね。

うえむら インド・ヒマラヤを旅行する『偶然の聖地』宮内悠介というエッセイ調のSF小説があるのですが、ヒマラヤ山脈の中に入っていくときにバスの運転手が注射器を打っているのを見るみたいなエピソードがある。それによって運転手はハイテンションになって、山岳地帯の危険な道を逆に安全に走行できるという。そんなバックパッカーの証言もあります。

こにし ハイテンションの方が安全で、恐れることでリスクが高まるのは、道の設計を誤っていますね。とはいえ戦争に際して、覚醒剤が士気を高めるために使われていたという話はあります。

うえむら それで言うと、エナジードリンクとか眠眠打破もそうだけれど、「72時間働けますか」を実現するために兵士に打ち込むドラッグですよね。

こにし 合法ドラッグですね。

うえむら 健康に悪いし、持続可能性がないよね。しかしそこは生産性向上という資本主義のテーゼに一時的に合致しているという意味で許容されているのでしょうね。

しろくま しかしタバコのように、今後は禁止や制限がかかり得ますよね。

うえむら この間こにしさんが言っていたように、そういうコンサル的な働き方は持続可能性がない。

こにし エナジードリンクみたいな文化は、それ自体が健康に良くないことに加えて、健康に良くない職場文化を助長するという、二重の意味で健康に悪いですね。だとすると健康志向の人々はNoを言うべきではある。

うえむら だけれども一時的な、締め切り前の資本主義に資するという意味でエナジードリンクは許容されてしまう。

こにし 果てには人によっては「そっちの方が良い」とか言い出しますからね。「そういう働き方が結局は一番いいんだよ」みたいな。

うえむら 合言葉は「死ぬ気でやれよ、死なないから」でしょ。

こにし エナジードリンクはさておき、ハードワーク信仰はありますね。

しろくま 精神的な充実感を感じられる。

うえむら ドーパミンを分泌するんだろうね。

こにし 仕事に対する貢献が可視化されていることで、何かが高まるのでしょうね。

うえむら それが結果的に、持続可能性はないかもしれないけれど、人生の充実感や価値を高めるという考え方は分からなくはない。私には合致しないけれど。

しろくま 分からなくはないですね。年齢によってはアリかなと思います。食べ物もそうですけれど、どうせ年をとると食べられなくなっていく。ジャンクフードも身体が求めなくなってくる。

こにし 確かに、食えるウチに食っとけという。

しろくま 「食べたいと思うならば食べられるうちに食べれば良いのでは」と思いますし、それと同じで「働きたいと思うならば働けるうちに働いたら良いんじゃないの」とは思います。

こにし 個人の自由になっているならば良いという話ですが、エナジードリンクが良いのか悪いのか、将来的には問題視されるかも知れないですね。

しろくま タバコと同じで、エナジードリンクも30年後には「あんなものを飲んでいたの」というように振り返られるかも知れない。

うえむら 持続可能性に対する価値観が向上していけば、そうなるかもしれない。特に若年層に対しては「22年間投資して育てた子どもをブラック企業が1年で潰す」というこれまで公然と認められてきた過酷な労働状態が最近になって批判されるようになってきています。その背景には、若者の人口が減っていく中で、彼らを大事にしようという文化が進展してきていることがあるように思います。

エナジードリンクによって若者の長時間無秩序労働を助長する文化はちゃんと抑制していこう、そのためにはエナジードリンクは規制しよう、という方向になる可能性はある。ただ受動喫煙と違って、他人に直接迷惑をかけている訳ではないからな。

こにし ダメだと思ったら買わなければいいだけかもしれないし、逆にエナジードリンクを規制したからといって必ずしも長時間労働が緩和される訳でもないですからね。

うえむら 若者が潰れることで、若年労働層が減少し、社会全体のサービスや便益を低下させること、それが広い意味では「他人に迷惑をかけている」という通念が広がって、社会全体の幸福の合計を突き詰める功利主義が加速していけば、エナジードリンク規制にもなり得るでしょうね。

受動喫煙は副流煙によって害になるという「迷惑」が直接的に見えやすいものでしたが、「若者が倒れることで若年労働人口が減少する」という「迷惑」を捉えるにはマクロな視点が必要で、そこが可視化されていくというステップが必要かもしれないです。

こにし エナジードリンクの未来について語ってしまいました。

◆健康的な個人=優越した個人というイメージ

うえむら 健康はあくまで手段であって、富国強兵、ブルジョワ的な外見、スポーツマンシップ、規律正しいコントロールといった、軍事や労働を目的として健康が求められていったし、労働に最適化した身体が志向されるという意味で現代にも残っている。しかしテキストが問題視しているのは「健康それ自体」への価値観が行き過ぎているということですね。

こにし 「体育会ゴリラ」というキーワードが興味深いのですが。

うえむら P105の最後で「身体のトレーニングは・・・隅から隅までテクノロジー化されていく。と同時にトレーニングによって養った自己顕示・粘り強さの精神・順応性は、出世や人生向上のためのリソースにもなる」という一節があって、体育会ゴリラは社会に求められているんだなと思いました。

こにし 某不動産テックの会社があるのですが、最近株価が落ちてしまった。それが何故かというと、ずっと不動産市場にAIや最先端テクノロジーを導入することで付加価値を増進することをウリにしており、それによって会社自体も上り調子だったのですが、実はその会社の売り上げのほとんどを担っていたのはワンルームマンションゴリラだったことが判明したようです。結局ビジネスの核は彼らで、「AIは添えるだけ」みたいな状況だったことがバレて上手くいかなくなってしまった。

うえむら ワンルームマンションゴリラって何?

こにし 個人投資用マンションですね。そこの営業は完全に馬力の問題なので、買うことによる合理性よりも、気合いが大事みたいなところがある。意思決定をする踏ん切りがつくかどうか。そこでめちゃくちゃ押しが強い売り手がいると良い。

うえむら そこでは売り手も買い手もゴリラなのか。

こにし いや、むしろ買い手はヒョロガリの方が都合が良いですね。売り手がゴリラで買い手がヒョロガリというケースがいちばん良い。一番都合の良い客だと、完全に押しに負けてしまう。やっぱりテクノロジーやDXの社会になっても、どこまでいっても付加価値を生むのはゴリラだったんだなと。

うえむら ワンルームを売りつけるゴリラにはヒョロガリ男子だけではなくDV女子たちも被害に遭っていそうで怖いですね。ゴリラは加害者にしかならない。

こにし 知能ゴリラもいますので厄介で始末が悪いですね。

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