産業医からのにじいろ処方箋#17 僕が「家族」を取り戻すまでの話
家族にカミングアウトするということ
いつのことだったか、アメリカで同性婚訴訟が行われていることがニュースで報じられていた。
そのニュースをリビングで見ながら両親が「この人たち気持ち悪いね。」と言葉を交わしていたのを今でも鮮明に覚えている。
この一言が僕にとっては長年の傷になっていた。
多くの人にとって家族とは代替が難しい存在だと思う。
生まれてから多くの時間を過ごして来た人たちである。
もちろん悪いことも沢山あったが、それでも長い時間を過ごし、多くのものを与えてくれた両親を僕は心から大切に思っていた。
自分がカミングアウトすると、そんな家族を失うかもしれない
二度と家族とは会えなくなるかもしれない
あるいは家族が他の親族やご近所さんから後ろ指をさされるかもしれない。
僕はもう親が誇りに思ってくれるような息子ではいられないかもしれない。
そんな恐怖を持ちながら僕は大人になった。
僕と家族のこれまでの関係
こんな恐怖心から僕はこの10年近く家族との関わりを避けてきた。
連絡が来ても一言短くLINEを返す程度。
電話は出ないし、実家に帰ることもほとんどなかった。
特に兄弟結婚して子どもを授かってからは、自分にも同じようなことを期待され、ますます距離をあけるようになった。
「いつになったら結婚するの?」
「良い人いないの?」
そんな質問にどう答えたらいいのかも分からず、
なるべく関わらずに生きていくように努めていた。
家族を大切に思えば思うほど、
僕にとって家族は安心して帰れる場所なんかではなく、
出来る限り仮面をつけて接しなければいけない居心地の悪い存在になっていった。
家族への諦めがついた日
自分の家族と距離をあけて接する中で、
「もういいかな」
と吹っ切れた瞬間があった。
1つはパートナーとの関係が安定して、家族と呼べる存在になったこと。
もう1つは義理の家族が自分を家族の一員として温かく迎え入れてくれたことだ。
新しい家族が出来た今なら前に踏み出せる気がしていた。
たとえ血縁の家族を失っても自分には帰る場所があるからだ。
またこの1年で親族が複数人、他界したことも、「家族」や「人生」のあり方を考え直す契機となった。
人生はいつ終わりがくるか分からない。
残された時間を有意義に生きていくためにも、
どのような結果になろうと、現実を受け止めたいと思うようになった。
母へのカミングアウト
母は
「結婚しなくても良いけれど、1人で生きていると思うと心配になることがあるの。あなたが困った時に支えてくれる人がいれば、別に結婚してもしなくても、私達は安心なの。」
と僕に話してくれた。
これなら少しは理解してくれるかもしれないと思い、
勇気を振り絞ってカミングアウトをした。
母は言葉を失っていた。
それでもなんとか言葉を紡いでくれた
「あなたが決めたことは尊重したいと思う。
でも、すぐに全てを喜んであげることは出来ない。ごめんね。」
理解して応援したくとも、予想外のことに戸惑っている様子だった。
そこから母は「失礼な事は言いたくないけれど、あなたのことを理解したいから」と沢山の質問をしてくれた。
僕たちの世代からは考えられないような突飛な質問が沢山あったが、それでも出来る限り僕も根気よく丁寧に説明をした。
母が一生懸命理解しようとしてくれている嬉しさ
母に不安を与えてしまったことへの申し訳なさ
異性愛前提の社会のなかでマイノリティであることに対する劣等感
多くの質問を自分が答えないと前に進めないことへの苛立ち
色々な感情が一杯になり、その翌日は1人で泣いているか泣きつかれて寝ているかのどちらかだった。
それでも母は「話してくれてありがとう。今まで気づいてあげられなくて、ごめんね。私も努力するから時間を下さい。」と連絡をくれた。
再び母と「家族」になった日
カウンセラーさんの力も借りながら、母が少しでも安心して質問できるように定期的に連絡をとるようになった。
10年近くも距離をあけていたので何を話して良いかも分からなかった。
少しでも自分が幸せに、そして「普通」に生活していることを知ってほしくて、パートナーとの食卓の風景を送ったり、休日に出かけた時の話をした。
時にはパートナーについての質問をしてくれることもあった。
こんな些細なやりとりが
「きっとこれが普通の親子なんだろうな」
と思えて嬉しかった。
僕は自分のセクシャリティが足かせとなり、こういった小さなやり取りすら出来ていなかったことに初めて気がついた。
自分が悪いわけでも、母が悪いわけでもないのに
家族として関われなかったことの悔しさはどこにもぶつけることが出来ない。
もっと社会が多様性に開かれていれば、僕たちはずっと家族として過ごすことができたはずだった。
だからこそ僕よりも若い人たちには同じ思いをさせたくないと思う。
子どもたちがセクシャリティに関わらず愛され、大切な人たちとの絆が壊されることのない社会を次の世代に残すことが僕の使命だと思う。
そのために僕は、産業保健という自分のメイン領域から少しずつ希望を紡いでいきたいと考えている。
カミングアウトには終わりがない。
これからも他の家族や親族、そしてこれから新しく知り合う人達にカミングアウトしないといけない。
この先もずっと、ずっと。
その度に傷つきながら、支えられながら前に進んでいくのだと思う。
最後に
皆さんの家族や友人がLGBTQ+の当事者だった時、カミングアウトが出来ないばっかりに、楽しい時間を過ごせなくなると思うと、どんな気持ちだろうか。
それは当事者だけではなく、当事者ではない方にとっても悲しいことだと思う。
言い換えると全ての人が「当事者」である。
そして、これは決してどこか遠くで起きている空想上の問題ではなく、ひとりひとりの周りで実際に起きている問題なのだ。
そのことに多くの人は気がつけていないだけなのだ。
LGBTQ+は全人口の3-8%程度存在することを考えれば、LGBTQ+の友人や同僚に1人も会ったことがないというのは現実的には考えにくい。
LGBTQ+の人たちが存在しないのではなく、あなたに言えないだけなのだ。
それがどれだけの悲しい結果を生んでいるのか、思いを馳せてもらえたら嬉しい。
僕達は次の世代に何を残せるのか。
その思いをカタチに変えていこう。
全ての人が自分らしさを愛せるように。
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