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涙の先に見たものは

最後に泣いたのはいつですか?

涙が止まらなかったと進められた小説を読んでも
全米が泣いたというキャッチコピーの映画を見ても
どれだけ仕事で悔しいことがあっても
多くの笑顔が生まれたイベントを主催できても
僕はこれまで泣いてくることがなかった。

そんな感じで僕は人間の心をもたないのかもしれないと
友人たちによく冗談で話している。

ただ、そんな僕でも一度だけ
涙が溢れて止まらない出来事があった。

それは遡ること約10年、大学2年生の12月。
大学時代は合唱団に僕は所属していた。

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うちの合唱団はサークルではなく部活動ということもあり
かなり活動へは真剣に取り組んでいた。
またコンクールを目標としていたわけではないが
高校時代は全国コンクールで出場していましたという部員も多く
それなりにレベルも高い。
大学時代から合唱をやり始めた僕にとってはついていくのに必死の毎日。

練習の質も高かったのだが、練習の量も非常に多く
演奏会1ヶ月前になると通常の週3日の練習にプラスして
個人練やペア練を空きコマや昼休み、そして普段の練習後にも行うなど
ほぼ毎日合唱漬けだった。
(ほんとの直前期はほぼ終電近くまで練習していたので、下手な運動部よりも練習していたかもしれない)

そしてその合唱団の一番の大きな演奏会は12月に開催される定期演奏会。
1年で一番大きなイベントであり、ほんとにこの瞬間のために毎日練習してきたということを感じることができるものである。

それくらい大きな演奏会なので、打ち上げも盛大に行われる。
大阪の山奥の施設を貸し切ってのオールナイトでの実施。
歌って騒いでのどんちゃん騒ぎが朝まで続く。

ただ、その打ち上げの1つの恒例行事のなかに
各パートに分かれて車座になって1人1人演奏会についての
感想を伝え合う時間というものがある。

下回生から順番に1人ずつ感想を述べていき
何を今年は言おうか悩んでながら自分の番を待っていた。

そしていよいよ自分の番がきたときに
言葉より先に涙が流れた。

ほんとにその直前まで泣く気配なんて微塵も感じていなかったのに
涙が溢れて止まらなくなった。

別に心のなかでそんな泣くとも思っていないのに
ただただ涙が止まらない。言葉を発することが出来ない。

結局、そのときは何も話すことはできずに終わった。

1年生のときはそんなことはなかったし、
その後の3年生と4年生のときも泣くことは一切なかった。
ほんとに2年生のこのタイミングだけだった。

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時を経て、今あらためてこの出来事について考えた。

3年生からは自分自身は演奏会の運営面に携わることが多くなり
4年生からは合唱団自体の執行に力を入れることが多くなり
いわゆるプレイヤーからマネージャーへ移っていた。

1年生のときは右も左もわからずで過ごしていたことを考えると
純粋にただプレイヤーとして合唱に打ち込んだのは2年生の1年間だけだった。

中高時代もなんとなくそつなくこなし
社会人になっても程よく楽しくで仕事もプライベートも過ごしてきた。

そう、人生で本気で打ち込んだ経験はこの1年しか僕にはない。

今、もしもあのときの感情に名前をつけるならば
「本気の向こう側」と名付けるだろうか。

今回のnoteをしたためるにあたって、
副次的に「人はなぜ泣くのか」ということについても調べてみた。
そんななかでこんな記事に出会った。

・・・だから、苦労したことや大変だったこと、それを乗り越えて得た喜び、そうした経験を多く積んできた人ほど、人の状況に共感して涙を流すことができるといわれています」
感動や共感の涙は、大人になったことのしるしともいえるのかもしれません。(引用)

そんな経験を積んでこれなかったことを少し後悔している。
上記の言葉を借りればまだまだ子どもなのかもしれない。
ただ、今、あらためて振り返ってあのときの純粋な気持ちを思い出すことが出来た。

1年という長いスパンじゃなくても
仕事であろうともプライベートであろうとも
1つのことに真剣にただ実直に泥臭く突き進む経験はまだ積めるはず。

そして、あの日と同じ「本気の向こう側」を眺めてみたい。





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