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交流会というのは「企画」ではないのかもしれない

先週の土曜日に言葉の企画2020第二回の講義があった。

その講義のなかでTV番組の企画を考えるという課題があり
その講評の時間で講師の芦田さんがこのようなことを
おっしゃっていた。

トーク番組は「企画ではない」

ただのトーク番組だと出演者のポテンシャルにかけていて
その方々の負担になってしまう。
演出がなぜいる必要があるのかを考える。
例えば、アメトークはトーク番組にOO芸人という視点を与えた。
トーク番組×OOというものを考えられているか。

なるほどと納得しつつ、これはテレビだけの話だけではなく
自分の身の回りの「企画」でも同じことが言えるのではないか。

まっさきに浮かんだのが「交流会」と一般的に呼ばれるもの。
もしかしたらイベント後の懇親会もそうなのかもしれないし
関係がまだ浅い友人たちとの飲み会もあてはまるかもしれない。

ある程度興味関心が近い人であっても
ただ集まるだけじゃ、参加者のそれぞれの性質に左右される。
そういった場が得意な人にとっては
満足度の高い場になるかもしれないけれども
その反対の人もきっと出てきて、満足度にバラつきが出てしまう。

このような場に参加してるんだから
自分で能動的に動くのが当たり前でしょという意見もあるが
企画者としてはそれはある意味無責任で
どんな人にでも「参加してよかったな」と思える仕掛けづくり
が必要であると思う。

上記のような交流会であれば
・話したいテーマごとにテーブルを分ける
・事前に参加者一覧とプロフィールを公開する。
・周りからみてどんな人なのかすぐにわかる名札をつくる。
・ある程度時間が経ったら強制的にシャッフルする時間をつくる。

しかもこれはオフラインだけではなく
オンラインでも心がけないといけない。
むしろ自由に話すのが難しいオンラインの方が
より意識すべきことなのかもしれない。

偉そうに言っときながら自分でもできてないことは
多々あるので自戒をこめて書き残しておく。

人を集めるまでが「企画」のゴールなのではなく、
人を集めてからが「企画」のスタート

企画ってそういうものなのかもしれない。

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