7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【4】昔の電車そしてさらに…
7年ぶりの訪韓、懐かしさやら新しい発見やらでナカナカ先に進まずこの旅行記も4章めになって未だ入国から4時間の時点でのモノという…
さて往十里の町で過去の電車の痕跡に思いを馳せ、次へ…って次もそうなのですがね。線路跡探訪は続きます(これが韓国入国後いちばんにする行動かと我ながら呆れる)
トンネルを潜って、電車が向かう先が、今のこの道なんですね…
約60年前まで電車が走っていた場所、今もその「空間」が残っている。ちゃんと生活空間として。なんとも不思議な、時間を超えるような浮遊感の中で眺めるソウルの街。
振り返ると、なんだかトンネルから電車がやってきそうな気になります。なくなって60年経って尚残る存在感、しかもここは異国の地。なんとも不思議な感覚になります…が、現地はしっかりと「いま」を生きています。さて、改めていまの街へ。
60年前に戻るような路地から「まちの隙間」のようなクランクを抜けると、そこには賑わう学生小路が。先ほどの浮遊感からの突然の展開に一瞬クラクラしますが、そういや大学のすぐ近くだったわ…と我に返ります。ここはソウルの都心部外縁、総合大学の御膝元。
隙間から出たら、そこは韓国らしい広い道路、大きな交差点。
60年前までの電車は、この先の丘の裾へ道路に沿って(左側車線は線路跡を使って拡幅した部分)進んでいましたが、その前は違う方へ向かっていました。
トンネルを潜った京城軌道の線路は、当初はそのまま南方へ曲がってゆき箭串(サルゴジ)駅へと向かう青線のルートで、その先の清渓川橋梁が木橋で増水のたびに流されて運休が頻発していたので現在の漢陽大のある丘の裾に道路を新設した際にそちらへ移設しコンクリート橋の城東橋を共用する形になりました。その青線のルートが、ここ。
この道路は後に設けられた新道なのですが、恐らくこの右側車線辺りが、大昔の線路跡。小さな列車(当時は電化前)が、ここから木橋に向かって走っていってたのですね…この客車もここを通っていたと…
韓国のマップサービスには「地籍」表示レイヤーがあり、土地用途が更新されず昔のままのところも多くあるのでこのレイヤーを見ると昔ここが何だったのか分かる場合があるのです。そして地籍の「철」は漢字で「鉄」、철도용지/鉄道用地のことなのです。
今は川底になっている철の場所を見てみたく、川岸へと渡ります。
ロードビューで確認したお立ち台に、立つ。ここが、川底に残る철を望む光景…
ここに、木橋が架かってたのか…(当時の川幅はもうちょっと狭そうですが)
感慨に耽りながら見る川辺。岸には遊歩道と緑地があり、市民が往々に憩い、歩き、自転車で水辺を楽しむ。いい空間だなぁ…ソウル市は最近こういう空間づくりが上手くなったよなぁ…と思いながら、今度は線路跡を離れてもっと古い時代へ遡る
(つづきはコチラ)
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