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韓国について

 さて私、元は、笑韓派だった。いわゆる、ネトウヨ的な。

 時はノムタン時代。盧武鉉大統領の登場で俄かに日本のネット民が沸きたっていた。まさか現役の大統領が二重の整形手術をするなんて…(眼瞼下垂の手術ということでしたが)。
 それから色々とノムタンの「ネタ探し」が2chの中で始まるのだった。政策面でも色々と話題になった大統領たっだけど、色々と隙の多いというか、フランクで親しめる大統領だったのかな…。

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 ノムタンには、楽しませてもらったのだった。あっちでも、クルミそのまま齧ってるかな…。改めて、哀悼。

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 さて、まあ、典型的な2ch(今は5chになってますねぇ…)の東亜板常駐ネトウヨな私だったのだが、ひょんなことから2005年に大陸中国へ団体で旅行する機会があり、その後、2010年には韓国へ渡航することに…(これも団体旅行です)。

 散々2chでネタにして笑っていた韓国。あの、理不尽で不潔で粗暴な韓国。ワロス曲線で国力をどんどん落とす、あの国。あぁ、反日国家…。
 とは言いながらも、反日云々という面では、5年前の中国訪問時に「市民レベルでは、そうではない…」というのを実感済だった当時の私。

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 団体旅行だけど深夜に数人で抜け出した中国広州の街。ホテル近くのマンション街を歩いていると、子供たちが猫と遊んでいる。それをデジカメで撮る私たち、カメラに興味ありげな子供たち。デジカメのモニターには、フラッシュで目が光った化け猫、そしておでこが思いっきり光っている子供。それを見せたら子供爆笑、その姿を見てこちらも笑う。言葉のコミュニケーションは一切取れてないけど、このとき、お互いに、心から笑いあったのは確かだった。


 そして初めての訪韓。反日の国だし、石でも投げられるか…と思いきや、もちろんそんなことはなく、とはいえ素っ気ない接客とか雑な給仕とか商売ッ気丸出しで買わない相手には舌打ちするような売り子とか、まあ色々とありますが「命の危険」を感じるようなことは当然なく、出される料理は団体観光客向けなので特別に美味な訳ではないんだろうけど、これが意外に適度に辛く香ばしくて、結構おいしい…。

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(わがままを言って追加したラーメン、インスタントの塊を期待してたのに下茹でしたのが出てきて残念…)

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 あれ?なんか、違うぞ…。ネットの話とは、違うぞ…。
 そう言えば、夕食前に見学した九龍浦地区の旧日本人街も地域の人たちが「日本人街だったマウル(集落の意)の歴史を調べ、当時の姿に復元しよう」と動き出しているので「ぜひ見ていってください」と、市役所の人が言ってたんだよな…。

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 復元作業と調査中で様々なものを整理がてら展示しているのを見ると、建物の解説や建材の紹介なんかは変な偏向なく結構ナチュラルに紹介してたっけな…。あれ?日帝憎し打ち壊すべし韓国化すべし!じゃないの?あれ?あれれ…?


 そして、その夜、ひとりで街へ出てみることにした。ひとの暮らしの息吹を感じたく、路地に入ります。いつも、日本で、やっているように。

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 なんか、日本と、同じような「匂い」がするなぁ…。建物は煉瓦造りで形態は沖縄のコンクリート住宅っぽいけど、サイズ感が、日本と一緒だなぁ…。窓から洩れる光や音、ポストや玄関灯の形、日本と、変わらんよなぁ…。やっぱ日本統治が影響してるのかな。
 いろいろと感じながら、街中へと。

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 なるほど道はガタガタだねぇ~噂通りwww
 などと思いながら歩を進めると、こんな光景が。

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 ナイトクラブ、ですね。とてもアメリカ的な、ナイトクラブ。

 そうか、そうだよな、改めて考えてみたら、朝鮮半島って、数年~30年単位で「中世統治機構の混乱(朝鮮王朝末期)~他国による統治Part1(日本)~解放のはずが他国による実質的統治Par2(アメリカ主体の連合軍管理)~目まぐるしい内戦~他国による実質的統治Part3(朝鮮戦争後しばらくは米国の保護下)そして軍事独裁政権からの民主化勝ち取り、というのを経て、今があるんだよな…、と。

 為政者や統治機構に関わる人はともかく、一般市民は、よく考えたらこりゃ大変だよなぁ、目まぐるしく変わる「統治者それぞれによる国の在り方」や「価値観」、そして「正義」とされるもの。いったい何がどうなってるんだ?という感じで振り回されていたんだろうな、と…。

 日本は、結局はこういう統治の混乱は第二次大戦後の僅かな期間しか経験しておらず、他国に征服され統治されるとか軍事独裁政権から民衆の力で政権奪取という経験は、ほぼしていないんだよなぁ…と、このナイトクラブを見ながら、暫し考えこんでしまったのだった。


 宿へ帰る道すがら、こんな光景を目にし、改めて、考えた。

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 激動の近代史を経ても尚、自分たちの「らしさ」を保つというのは、どんなものだったのか。日本の下で近代化を突き進み、大戦後の混乱と東西冷戦での最前線地としてのプロバガンダやアメリカの強い影響などを潜り抜け、それでも「朝鮮/韓国らしさ」を維持するって、けっこう大変なことだよなぁ…、と。

 韓国に対する印象が、大きく揺らいだ一日だった。


 初訪韓の2日目は、いよいよ敵陣本拠地(苦笑)のソウル訪問・宿泊。
 はじめてのソウルの景色は、これ。

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 あぁ、あれがタルトンネ(貧民窟)かぁ…なんて思って見ていたが、実際はそこまでの状況ではなくも庶民が寄り集まって暮らす街並。そんな光景が大都市の中心駅から見えることに、ちょっと意外性を感じながら次のスポットへ誘導され…。

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 南大門市場。これは、なかなか賑やかで、不思議な感じ…。
 店番をする店員は観光客向けのところ以外は基本的にはぶっきらぼうで呼び込みも「無し」か「粗雑な声掛け」かで、道行く人々もそんなに笑顔はない。でも、賑やかで活気がある。

 なんとも、なんだか、不思議な感覚…

 そんな心もちでこの日の団体行動を終え、夜中にまた一人で抜け出し、街を歩いてみる。

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 をを、これが都市計画事業として世界に名高い「清渓川」かぁ…。

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 高架道路を取っ払って、暗渠化してたドブ川を復活させたと聞いてたけど、なんかいい感じ…。これ、結構面白いわ…と思いながら散策し、岸に上がってみると…

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 市場、だなぁ。ふむふむ店じまい後に市場関係者が一杯引っかけてるのかな?と思いながら奥へ入ると…

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 市民が集い、賑やかな市場の屋台街。なにこれ…、めっちゃ楽しそう…。

 近年の日本では見なくなった「暮らしのパワー」みたいなものを、感じたひととき。3月とはいえ寒波直後の深夜、かなり寒い中でも夜中にこれだけの人が集まり、食べ、呑み、そして「程よい秩序」の中で楽しむ空間。これを構築し維持できるんだから、この国の人たち、結構すごいのかも…。

 これがきっかけで、韓国に「より深い興味」が、湧いたのだった。

 やはり、行って、見るべきだと。
 百聞は一見に如かず。なるほど、と思った初訪韓だった。

(後編はコチラに)
   ↓

https://note.com/ktnh/n/na7f443e2e1ce

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