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歳を重ねること、大人になること

会社の同期と焼肉を食べた帰り道、「脂ののったお肉は、ちょっとだけで十分」「昔は無限に食べられたのにね」なんて話した。
入社したばかりのころは、飲み会のあとには必ず二軒目かカラオケに行く流れになっていたのに、今日は皆さくっと解散。

お肉や揚げ物を食べすぎると、すぐに胃もたれする。夜通し外ではしゃぐより、家でまったりと過ごして眠りにつきたい。
それは、大人になったということなのだろうか。
少なくとも、肉体がこの世に生まれ落ちてから年月を重ねた証拠ではある。


小学生くらいの自分が思い描いていた「大人になった自分」って、なんとなく25歳くらいだったと思う。両親くらいの年齢は遠すぎて想像もできなかったけれど、親の庇護下を離れ、ひとりでも生きられるようになっているはずの年齢。
わたしは今まさに、あのとき想像していた自分のその先に差し掛かっている。

毎日仕事をしてお金を稼ぎ、生まれ育った場所を離れて自力で生きている。
でも、嫌いな食べ物のいくつかは未だに克服できていない。あの頃の悩みはちっぽけに思えるけれど、対象が変わっただけでくよくよしがちな性格は変わっていない。
変わったことも、変わらないことも、数えきれないほどある。


選挙権を得たとか、飲酒が解禁されたとか、年齢を重ねることで得られる明確な権利もあるけれど、大体のことは地続きでグラデーションだ。
何歳になったら急に何かが変わるなんてことはなく、毎日絶えず少しずつ何らかの変化を続けるのだろう。

さて、これからの一年、自分にどんな変化が起きるだろうか?
25歳最後の夜、つらつらとそんなことを考えてみる。


(668字)

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